11 テセウスの船
「いらっしゃい」ハジロは目を細めて微笑んだ。「久しぶりだね、ヤムイ君、カシグネさん」
カシグネとヤムイはハジロにお辞儀をしてから、イサミと一緒にショーケースを眺めてお菓子を選んだ。ショーケースの中には、ショートケーキ、シュークリーム、エクレアなど、さほど種類は多くないにしても、集落には十分すぎるほどの生菓子が並んでいる。
皆シュー クリームを選んだ。ハジロは目の前で絞り袋を使い、シュー生地にカスタードクリームをたっぷりと入れた。重たくなったシュークリームを受け取って、店の入り口近くに置かれた、年季の入った背もたれのない長椅子に並んで座った。ハジロも工場から丸椅子を持ってきて、斜め隣に腰を下ろした。
「学校はどうだい?」
「とくに変わりないよ」イサミはシュークリームを飲み込んで言った。「ヤムイの家が新しい仕事を考えてて、大変だってこと以外は」
「僕も耳にしたよ。家業がなくなってしまうって」
「まあ、たぶんなんとかなりますよ。おふくろが色々と考えてますし」ヤムイは笑った。「でも、正直トイタの家がうらやましいです。医者はなくならないでしょ?」
「確かに」カシグネは言った。「うちの材木屋だっていつまで続くものやら……。そもそも、わたしにできるのかな? 体力にはあまり自信がないんだけど」
「医者だってどうなるか、わかったもんじゃないぜ」イサミは身を乗り出して言った。「群が大きな病院でもつくったら、話は変わってくるだろ?」
「テセウスの船みたいになるかもね」ハジロは煙草を咥えて火をつけた。
カシグネは首をひねる。「どういうことですか?」
「くたびれた船があるとしよう。いろんなところが壊れていくから、悪くなった部品を片っ端から交換していく。あるときとうとう、部品が全て入れ替わってしまった。もうすでに、元の部品は一つも使われていない。さて、見た目は変わらないその船は、元の船と同じだと言えるだろうか?」
沈黙が降りた。ショーケースのコンプレッサーが低く唸った。
「イサミ君はどう思う?」濃く豊かな口髭を指でとかしながら、ハジロは訊いた。
「わかんない」イサミは首を横に振る。「そうなったらもう、別物なのかもしれない。でも中身が変わったところで、実際、たいした違いはないんじゃないかと思う」
「どうだろうね」ヤムイは顎に手をあてて言った。「俺には全然イメージできないな。タツリカが変わってくなんて」
三人はシュークリームを食べ終えたあと、熱い薬草茶を飲んで、くたびれた長椅子から立ち上がった。イサミが引き戸を開けると強い風が吹き込んだ。いつの間にか肌寒くなっていた。
「また来るよ」イサミは戸口の外から言った。
「いつでもどうぞ」
「ごちそうさまでした」
日が落ちて、あたりは薄い闇に包まれていた。強さを増した風が密度の高い草や木の枝を揺らし、葉擦れの音が不規則にざわめく。若干の冷気を孕む風を身に受けて、ある記憶がイサミの脳裏に浮かび上がった。
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