魔動船の花嫁 #4

 沈む。底へ沈む。藻掻いても、藻掻いても、暗い底へと沈んでいく。

 遠ざかる水面、閉じかけた瞳に映るのは、光を背負った人影。薄れ行く意識の中で、レリアは光に包まれる。



 幼いレリアが泣いている。抱きしめた両腕の中には、ぐったりと項垂れる小さな獣。こらえた涙が今にも溢れ出そうな、レリアに近づく人影。その人影に何かを必死に訴えると、大きな手がゆっくり近づき頭を撫でる。ぼろぼろと大粒の涙を流すレリアに、優しく語りかける声。



「……か」

 呼んでる。誰かが誰かを呼んでる。呼んでいるのは私?


 耳元で聞こえる声に薄っすら目を開けると鼻先に、青い空を思わせる瞳が覗き込んでいる。

「大丈夫か」

 聞こえた声の主が分かり、覗き込んでいるその近さに、思わず顔が紅葉していくレリア。徐々に覚醒していく意識のなかで、整理がつかず瞬きを繰り返す。

「あの、その、私……」

 状況を問おうとしたその時、頬に触れる感触。地竜が鼻先で、優しくレリアの頬を優しくなで、愛くるしい大きな目で覗き込む。

 意識が覚醒するのと同時にむせ返るレリア。状況を思い出し起き上がると、川面に目を向ける。大きく盛り上がった水面から、バンブルが浮かび上がる。

「大丈夫だ」

 慌てて立ち上がろうとして、ふらついたレリアを、ロッシュが受け止める。改めて川に目をやると、竜に乗った騎士が数名、バンブルを囲むように飛び、捕縛を試みている。それに抵抗を見せるバンブルだが、動きに先程までの勢いはなく、瞳の色も黒く輝いている。


「せんぱーい。だいじょうぶですかー」

 対岸から地竜に乗って橋を渡るリズが、こちらに手を降っている。

「ひとつ、頼み事をしてもいいか」

 騒動が終結していく光景を眺めていたレリアに、ロッシュが静かに口を開く。その眼差しは橋を渡るリズに向けられている。



 昨日と同じく、晴天が眩しい竜の発着場。大きく羽を広げたジストの眼の前には、ゆっくりと口元に指を添えるレリアが立つ。まばらに取り巻く野次馬たち。青く広がる空に指笛が鳴り響くと、大きく広げた羽をゆっくりと畳むジスト。赤と青、左右の色が違う大きな瞳で、レリアを見つめる。見つめ合うひとりと1頭、ジストの背後から近づく影、リズの両手には練習用の鞍が握られている。

 レリアとリズ、ふたりの視線が合わさって頷きあう。

 低く響く指笛に答えるように、喉を鳴らすジスト。そっと、そっと、近づいて、ジストの背中に鞍を乗せる。

 笑顔のふたり、再び視線を合わせてうなずく。ゆっくりと、ゆっくりと、鞍をジストに取り付けていく。ときどき首を傾け、穏やかに目を細めるジスト。


 無事、鞍を取り付け終わり歓喜の表情を浮かべるリズ。喜びの声を上げそうになり慌ててこらえる。真剣な表情になり、ジストの鞍に手をかける。

 作戦成功に安堵して、視線を背後に向けていたレリアが、異変に気が付き慌てて手を上げる。

「だめ!」

 静止する声を振り切って、リズが力いっぱい鞍へと飛び乗る。が、次の瞬間、ジストは羽を大きく広げ羽ばたくと、背中の異物をふるい落して空へと舞い上がる。

「わっ!」

 ジリッと焼けた発着場に転がり落ちるリズに、駆け寄ったレリアが手を貸す。ふたりの上空を、気持ち良さそうに旋回していたジストが、少し離れた場所に着地する。


「もう、うまくいったと思ったのに」

「焦ってはだめよ。この子、きっと他の子より警戒心が強いんだわ」

「そんな。こんな小さい頃から世話してるんだよ。そんな私を警戒するなんて。少しくらい乗せてくれたっていいじゃない」

 胸の前で小さく作った両手の輪を、大げさに広げてジストに抗議する。そんなことは意に介さず、ジストは小さな前足を器用に使い、顔を気持ちよそうにぬぐっている。

「どう思ってるんだろう」

 ふたりを交互に見ていたレリアがつぶやく。

「どうって……そんなの分かるわけないよ、先輩じゃないんだから」

「どういうこと?」

「あれ?言ってなかったっけ。先輩は竜と喋れるの」

 リズの言葉に驚き、思わず振り返った先には、腕組して竜舎の入口にもたれ掛かるロッシュの姿。

「ねぇ。レリアはどうジストに話しかけてるの?」

「え」

 純粋な声に反応してリズに向き直るが、質問の意図が飲み込めず、上手く返事が出てこない。

「話し、かけてはないわよ」

「そうなの?」

「ええ」

「でも、ジストはレリアの言うことなら聞くじゃない」

 少しむくれてジストを睨むリズ。その仕草に思わず吹き出してしまう。

「あ、レリアまで私を馬鹿にして」

「ごめんなさい、ちがうの。その、私も昔、同じことを言ったことがあって」

「そうなの」

「ええ。私に界獣や竜のことを色々と教えてくれた人がいて、その人に、この指笛も教わったの」

「そうだ。ねぇ、私にもその指笛教えてよ。それが吹ければ、ジストが大人しく乗せてくれるかも」

 晴々とした声でそう願い出るが、レリアは首を横に振る。

「これは従わせる笛だもの」

「なんでよ。なら、もってこいじゃない。なんで教えてくれないのよ」

「遥か昔、緑界で生きる民が、界獣に襲われないために考えた指笛なの。従わせると言えば聞こえはいいけど……服従させる、あるいは制圧するために使うものなの、本来は」

「それでもよくない?言うことを聞いてくれるのは確かだし、服従とかはその先の話で、使い方次第だと思うけど」

「そうね、そうかもしれない」

 遠く空の向こうに、何かを見つけたように仰ぎ見るジスト。南から吹いてきた風に、レリアの長い金色の髪が揺れる。

「けど、騎士と竜とは、それではダメな気がする」

 腰に手を当てジストを見つめていたリズが、空を仰ぎ見る。

「あー、もうー。わかんないや」

 そう言い、組んだ両手の手の平を空に突き上げるように大きく伸びをして、力いっぱい息を吸い込む。

 よし。誰にも聞こえない声でそう言うと、ジストに向かって駆け出す。

 顔にまとわりつく髪を、指で払いのけながら、レリアは駆けていくリズの背中を見送る。



「どうだ調子は」

 竜舎の入口。柱にもたれ掛かり両腕を組んでいたロッシュに、背後から声がかかる。奥の薄闇から現れたガンテが、眩しく光る発着場のリズとジストに目を細める。

 ガンテの質問に無言のまま、視線で返事をするロッシュ。

「少しはマシになったみたいだな」

 ロッシュの横に立つガンテが、一枚の封筒を差し出す。

「俺の見立てが甘かった。まさか、ここまでとはな」

 封筒裏に書かれたラミア騎士団長のサインを確認して、促されるままに中身を取り出す。便せんにつづられた中央の腐敗。

「悪かったな」

「らしくないな」

「そうか?」

 戻された封筒を受け取り、シワが目立つ年季の入った大きな手で、つるりとした頭をひと撫でする。

「……そうだな。おい、そんな逃げ腰でどうすうる。脇を締めろ脇を!」

 眩しく光る発着場に進み出るガンテ。相変わらず腕組して、入口にもたれ掛かるロッシュの肩をひと叩きして、嬉しそうにがなり声を上げる。

 反射した光に薄めになり、ロッシュが思わず空を見上げると、まだ帰る時刻でもない烏の群れが、森へと帰路を急ぐ姿がうつる。



 駆け寄っては跳ね除けられ、飛び乗っては振り落とされる、転んでも転んでも諦めない。顔にまとわりつく汗と砂埃を拭い、舌なめずりをするリズが、立ち上がりジストへと駆けていく。

「待ってジスト、待って」

 楽しそうな鳴き声を上げながら、いつの間にか集まって、取り囲む野次馬たちの間を飛び跳ねる。ざわめきに消える声に、急に立ち止まり左右を確認するジスト。

「捕まえた!」

 その背中に飛び乗るリズ。鳴き声と共に舞い上がるふたり。バランスを崩し、鞍から発着用へと再び滑り落ちる。

「リズ!」

 転がるリズに駆け寄り、レリアが膝をついて手を差し伸べる。上空を旋回するジスト。もう一度。跳ねるように立ち上がる。

「ああ、もう。もう少しだったのに。意地悪しないでよジスト」

「ジストはなんて言ってるの」

「へ?」

 視線を落としていたレリアが、足元を払うような仕草をして立ち上がり、空を仰ぎ見るリズに質問を投げかける。

「ジストが言うことが分かるわけない

よ。それがわかれば、こんなに苦労してないし」

「でも貴方いま、ジストの意地悪って。どうして意地悪だってわかったの?」

「それは……」

 真っ直ぐに見つめる瞳に言い淀むリズ。真剣な眼差しに言い返せない。

「それは、だって、乗せてくれないから。こんなに頑張ってるのに、お願いしてるのに」

「それで意地悪……」

「だってそうじゃない。そうでないなら、なんで乗せてくれないの」

「あなた、ジストに話した?自分がなぜ、鞍をつけるのか。なぜ、背中に乗りたいのか」

「なに言ってるの、話して分かるわけないじゃない」

「そうなの?」

「そうだよ、だって相手は竜だよ」

「なぜ?だってロッシュは話せるんでしょ?」

「それは先輩が特別だから」

「でも、もしロッシュの言葉が通じるのなら、ジストの言葉はわからなくても、貴方の言葉は伝わるかもしれないじゃない」

 思いもよらなかった言葉に、反論できないリズ。口を開きかけたその時、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り渡る。



 発着時の中心で、向かい合って佇むふたり。ジストを追いかけ走り回っていた先程までとは違う雰囲気に、ロッシュが歩み寄ろうとしたその時、反対側から大きく手を振り近づく人影。

「ひめさまー。ひめさまー」

 声がする方向に顔を向けたリズが、その呼び声に驚いてレリアに向き直る。

 遠く、その光景を目にしたロッシュは、大きくため息をついた。



 職人街の外れ、堅牢に佇む自警団の本部。地下へ続く階段から、慌てた様子で飛び出した警備兵がどこかへ駆けていく。地下へと続く階段の先に現れる鉄格子。その一部に作られた扉は開け放たれ、中に居るはずの、昼間に捕らえられた黒衣の男の姿が、消えている。

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