第2章 魔動船の花嫁

魔動船の花嫁 #1

 ホコリたつ職人街に、鳴りひびく指笛の音。1頭の地竜が大通りを駆け抜ける。


「しっかり掴まれ」

 背後にそう声を掛けると、小柄な人影が腰に回した細い腕で、力いっぱい抱きしめる。感触を確かめて、ロッシュは握った手綱を引き、速度を上げる。

 大通りから脇道へ。職人たちの倉庫が密集する裏路地に、急旋回で滑りこむ。数秒後、両側に立つ壁が土煙を上げて崩れ落ちる。頭上から降り注ぐ瓦礫。紙一重でかわし、暗く続く路地の奥へと加速する。土煙から現れる、赤く光る大きな目。背中にしがみついた人影が振り向き、異常な光を放つ目を見つめる。高い壁に切り取られた光の柱。その先に見える、大運河を目指しひた走る。

 白昼はくちゅうの逃走劇。地竜を追う怒り狂った赤い目の主。その背後に見える、世界樹を守る巨大な壁。そして、上空に停泊する、空に浮かぶ黒い船。

 ロッシュは背後に乗る、金色の髪をなびかせる少女を横目で見ながら、昨日のことを思い返していた。




 昼下がりの午後、夏の日差しが防壁の上の発着場を、明るく熱く照らしている。

 昼休みを持て余した竜舎番と、待機任務中の騎士たちが輪になって、あれやこれやと野次を飛ばす。その中央には、黒い鱗に長い尻尾、青と赤、左右の瞳の色が違う竜。そして、体勢を低くしたリズが、ジリジリと竜ににじり寄る。

「よし、そのままそのまま」

「ばかやろう!背後に回れ、背後に。ゆっくり、ゆっくり」

「素早くだ、素早く。気がつかれる前に、一気に着けちまえ」

 思いつくままに、好き勝手な野次が飛び交う中、額に汗を光らせるリズが、そおっと、そおっと、気が付かれないように、体勢低くゆっくりと近づく。

 なにかに気を取られ、空を見上げている竜の耳が微かに動き、俊敏にリズに顔を向ける。黒い竜の背中めがけて、素早く駆け寄る。が、一歩届かず、羽を素早く広げた黒い竜が、羽ばたいて距離を取る。



 それを遠く、竜舎の入口にもたれ掛かったロッシュが、腕組みして見守る。

「どうだい、調子は?」

 背後から声を掛けられ振り向くと、班長のイザベルが、右手の平を額に当て発着場の騒ぎを見ている。小さくため息を吐き、無言でロッシュは視線を元へと戻す。

「まぁ、通過儀礼みないなもんさ。どうせ、今年は出られないんだろ?なら焦ることはないさ」

「程度がある」

「何日目だい?」

 イザベルの目の前に差し出される、三本指。

「3日目だったら」

「3週間だ」

 予想外の答えにイザベルが、腰に手を当て苦笑いをみせる。



「もう!いい加減に、鞍をつけさせてよ、ジスト」

 空振りした練習用の鞍に振り回され、つんのめったリズが、悲痛な叫び声を上げる。野次馬からは、ため息混じりの野次が飛ぶ。

 なにが可笑しいのか、笑ったような表情をして、翼を大きく広げ踊るように喜ぶジスト。

 その姿を見てやけになったのか、今までとは打って変わって、リズががむしゃらにジストへ突進していく。

 近づき、かわされ、空振る。つまずいても、倒れても。何度でも、何度でも。



「なんだいあれは、見てらんないね」

 そう言いながら、野次が声援に変わった人だかりに近づいていくイザベル。口元には笑みがにじみ出ている。

「あ。そうだった。おやっさんが呼んでるよ」

 立ち止まり振り返ると、それだけ言って人だかりに指示を出しながら近づいていく。

 後に残ったロッシュは、空を仰ぎ見る。その先には、晴天を覆うような黒い影。空に浮かぶ異国の船を仰ぎ見て、もう一度、小さなため息を吐く。



「客人を待たせるな」

 竜舎番の詰め所、その一角に作られた小部屋。応接室とは名ばかりの、普段は使われない不用品があふれている部屋。その部屋の小窓に人影を認め、ロッシュは扉をノックする。

 促されるまま入室すると、ガンテに身に覚えのない叱責しっせきを受け、ロッシュは顔を歪ませる。

 いつ片付けたのか。いつもは体をねじ込むのがやっとの部屋には不用品は見当たらず、見慣れぬ長椅子が2脚、向かい合わせに置かれている。

 入口に向かって座るガンテ、その向かいに見える小さな頭。ロッシュが本日、3度目のため息をつこうとすると、咳払いが飛んでくる。

「ちょっと頼み事があってな。まぁ座れ」

 その指示は無視して、手前の長椅子の横に立つロッシュ。ガンテは頭をひとなで。

「なに、大した事じゃない。少しの間だ、その人の面倒を見てほしいんだ」

 そう言われ、横目でその人物を確認する。

 銀の髪留めでひとつに束ねた、艶やかな長い金色の髪。目尻が少しつり上がった大きな目が、ロッシュを見つめている。

「断る」

 そうとだけ言い、扉へと振り返る。

「おい!ちょっと待て」

 思わぬ返事に、ガンテが慌てて立ち上がる。

「これは、お前にしか頼めんのだ」

「お姫様の道楽に、付き合うほど暇じゃない。他を当たってくれ」

「おい。今、なんて言った?」

 ロッシュの言葉を聞き、ガンテの顔つきが変わる。険しいその表情と威圧感は、竜舎番のそれではない。

「暇じゃないと言ったんだ」

「そこじゃねぇ。姫さまがなんたらってとこだ」

「ああ、言い方が不味かったか。王族の道楽に付き合ってやれるほど、暇してないって言ったんだ」

「てめぇ。その話どこで聞いた?」

 威嚇いかくするようにロッシュを睨む目は、今にも飛びかかって首をへし折らんとばかりの気迫だ。

「聞いた?聞かなくても分かる」

「デタラメぬかすな。根拠は?」

「整った身なりと銀細工の髪留め。それだけでも、ここには似つかわしくないのに、その髪留めの細工は、下の職人街でも見たことがない代物だ。となると頭の上、あのデカブツの客人」

 扉のノブから手を離し、ガンテたちに向き直ると、人差し指で天井を指差す。

「しかも、団長不在で、実質ここの頭だが、頑固なあんたが頼み事を聞くなんて、あの空に浮かぶ船の主ぐらいだろ。なら、かの国から中央に向かう途中の王族関係者、見た目から、どこぞの姫様でもおかしくない。そう思っただけだ」

 大きく溜息をついたガンテが、どかりと席につく。

「……ったく。相変わらず扱いにくいガキだぜ」

 小声でつずやいて、大きな手で頭をもうひとなでする。

「そこまで分かってるなら話は早い。頼まれてくれないか」

「俺の話を聞いてたか?暇じゃないって言ったんだがな。厄介事はひとつで十分だ」

 両腕を組み小さく息を吐くロッシュ、本日何度目かは、もう数えてはいない。

「ならしかたない。これは竜舎長としての命令だ、ロッシュ。この人の……」

 そこまで言いかけたガンテを、右手で制して立ち上がる、金色の髪の少女。ロッシュの前まで歩み出て、愛想よくニコリと笑う。

「暇じゃないと言われましたが。もしお忙しいようであれば、手伝いがいるのでは?」

「無理だ」

「それは私が若いからですか?それとも……」

「そうじゃない。厄介事を持ち込むな、そう言ってるんだ」

「そんなに私が厄介ですか?」

「あんたじゃない。あんたが持ち込もうとしている厄介事だ」

 大きな瞳がさらに大きく見開くと、ガンテに振り向く。

「だから申したのです。この砦で秘密裏に、あなたの護衛を任せられるのは、この男以外には考えられないと」

 窓の外。竜舎番と騎士の歓声は、まだ続いている。



「いや。それにしてもデカいね。あんなのが浮いてるってだけでも驚きなのに、あの緑界を渡ってきたってんだから驚きだよ。にしてもあれ、落ちねえのかな?あんなが落っこちてきたら、ひとたまりもないやね。なぁ、あんたもそう思うだろ?」

 職人街の大通りで、露店の店主が世間話をしながら、名物のバリッソを手渡す。代金と引き換えにそれを受け取ると、無言でその場を後にする黒衣の男。店主の悪態を背後に聞きながら、天を仰ぎ見て、口元をひとなめしていびつに笑う。

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