政略結婚をするまでの一ヶ月間、王女姉妹の秘密のロマンス
光野じゅうじ
第1話 妹に恋した日
昼過ぎ。ルミナリア王国の中心に聳え立つ荘厳な城、ルミナリア城の中庭にて。
一人の少女が、熱心に剣の素振りをしていた。
「ふっ……! はっ……! はァ……ッ!」
美しいボブカットの金髪が乱れることも、額の汗が弾け飛ぶことも厭わず、少女は全力で剣を振るっていく。腕の振り方、腰の捻り方、足の運び方、どれをとっても隙がない見事なまでに洗練された剣術だ。
そんな少女が身に纏っているのは、左胸に王家の紋章が縫い付けられた白色の軍服。ルミナリア王国騎士団に所属している騎士に支給されている服だ。
一目見れば、彼女が騎士であると誰もが思うことだろう。
しかし、それは半分正解であり、半分間違いだった。
少女はただの騎士ではなく──姫騎士なのだ。
名を、ユリス・ディ・ルミナリア。
ユリスはルミナリア王国の第四王女として生を受けた正真正銘のお姫様であり、またルミナリア王国騎士団に所属する正式な騎士でもある。
なぜお姫様のユリスが騎士なんてやっているのか? その理由は──
「もっと速く、もっと鋭く! リリシアを守れるようになるためにも、私はもっともっと強くならねばならないんだ……!」
剣を振るう度、ユリスは思い出す。
最愛の妹を守るために強くなると誓った、十年前の日のことを。
幼少期のユリスは人と話すのが苦手で、家庭教師から習い始めたダンスも楽器の演奏も全然上手くならなくて……子供ながらに自分はダメなお姫様だと思っていた。
そんなユリスの自己肯定感をさらに下げた要因が、妹の存在だ。
リリシア・ディ・ルミナリア。ルミナリア王国の第五王女。
ユリスの双子の妹であるリリシアは、容姿こそユリスと瓜二つだったが、それ以外はまるで正反対な女の子だった。
リリシアは人当たりがよく誰とでもすぐに仲良くなれたし、ユリスと同時期に習い始めたダンスも楽器の演奏もすぐに覚えて上手くなった。
ダメな姉のユリスと、できる妹のリリシア。
二人の間には、路傍の石と太陽ほどに歴然たる格差があった。
もっとも、そのことを面と向かって言われたことはない。ユリスが王女ということもあり、公然と悪口を言う者はいなかったのだ。だが言葉にされずとも、自分ができない子扱いされているのはなんとなくわかる。暗黙の了解として『ユリス王女が不出来なのは仕方ないこと』みたいな風に思われるのは、むしろ逆に胸が痛くなった。
歳を重ねるごとに、ユリスの自己肯定感は段々と下がっていき……十年前、八歳の誕生日に限界が訪れた。
(私なんて生まれるべきではなかった。リリシアだけ生まれてくればよかった。誕生日パーティーで祝われるべきなのはリリシアだけで、私には祝われる価値なんてない)
誰に言われるでもなく、ユリスは勝手にそう思い込んだ。そして「体調が優れない」と言い、仮病を使って自分の誕生日パーティーを欠席するという暴挙に出たのだ。
ユリスとリリシア、王女である双子姉妹の誕生日パーティーはそれはもう盛大なもので、当日になって中止なんてできるわけがない。そういった事情から、その年の誕生日パーティーは妹のリリシアだけが出席する形となった。
パーティーが始まると、階下から和気あいあいとした声が聞こえてくる。
ユリスは真っ暗な部屋のベッドでうずくまりながら、ひとり思う。
(ああ、やっぱり。私なんて必要なかったんだ。リリシアだけがいればいいんだ)
多くの人々が祝いたいのは妹のリリシアだけで、姉の不在なんて誰も気にしていない。その証拠とばかりにパーティーは楽しげに進行しているようだ。
まったくもって、すべて想像通り。こうなることはわかりきっていた。
だというのに……ユリスの心は耐えようのない寂しさを感じていた。
涙がこぼれ落ち、枕を濡らす。
自分から仮病を使って欠席したのに。それなのにユリスは、どうしようもないくらいの孤独に押し潰されそうになっていた。
今からでも部屋を出て行けば、パーティーに参加できるだろうか? リリシアと一緒に祝ってもらえるだろうか? ユリスは一瞬そう考えるが、すぐに首を横に振る。
……そんなの無理だ。できっこない。ユリスには、自分の意思で部屋を出て行く勇気がなかった。
そうしてしばらくの間、ユリスがひとり虚しく泣いていると──
「姉さん、起きてますか?」
ドアを叩く音と共に、リリシアの声が聞こえてきた。
ユリスはすぐに理解する。心優しいリリシアが、パーティーを欠席した姉の体調を心配して様子を見に来たのだと。
心配してくれるのは嬉しいが、実際にユリスは体調が悪いわけではない。ただの仮病だ。それ故に罪悪感を覚え、心苦しくなった。
「起きています。でも心配は無用です。リリシアは私のことなんて気にせず、パーティーを楽しんで……ぐすっ……きて、ください……」
リリシアを安心させるべく平静を装おうとしたが、できなかった。涙が止めどなく溢れ出てくるので、声が嗚咽混じりになってしまったのだ。
「……姉さん。部屋、入りますよ」
おもむろにドアが開かれ、ゆっくりと足音が近づいてくる。
やがて眩しさを感じてユリスが目を開くと、ランプを片手に持ったリリシアが不安そうな面持ちでこちらを見つめていた。
「もう、やっぱり泣いてるじゃないですか。そんな様子で心配は無用だとか言われても、信じられませんよ」
「……ですが、リリシアはここにいるべきではないのです。リリシアはパーティーの主役なのですから、私のことなんて放っておいて──」
「──違います!」
ユリスの言葉を、リリシアが声を張り上げて遮る。
リリシアは普段、王女らしい優雅な佇まいを決して崩さないのに。こんな風に感情を顕にするところ、双子の姉であるユリスでさえ今まで見たことがなかった。
「姉さんは、大きな勘違いをしています」
「勘違い……? なんのことですか?」
「今日の誕生日パーティーの主役は、わたしたち姉妹二人です。どっちか片方が主役ではないんですよ」
「…………っ!」
リリシアの言っていることは、本来であれば正しい。双子の姉妹の誕生日パーティーに、どちらが主役も脇役も普通ならない。でも──
「それはリリシアがそう思っているだけです……。パーティーに参加する誰も、私のことなんて必要としていません……。現に、私がいなくても会場は十分盛り上がっていたじゃないですか……っ!」
ユリスは悲痛に叫ぶ。対するリリシアは「違います!」と言葉を重ねた。
「姉さんはぜんっぜんわかってないです。他の誰が必要とするとか、盛り上がりがどうとか、そんなものは関係ないんですよ。だって──わたしたちは双子の姉妹なんですから。わたしたちは二人で一人なんです。どっちかだけじゃ、ダメなんです。それにわたしは、姉さんと一緒に誕生日を祝いたいんですよ」
リリシアは春風のように暖かい声音で言う。
「姉さんは、どう思っていますか?」
「…………いです」
「聞こえません。もっと大きな声で言ってください」
「……リリシアと一緒が、いいです」
「はい、よく言えました」
満足そうに頷いたリリシアは、ユリスの涙をドレスの袖で拭う。
ユリスは改めて思った。
リリシアはまるで太陽だ。路傍の石だって優しい日差しで照らし温めてくれる、どんな宝石よりも眩く輝く光そのもの。
リリシアの顔を見ていると、ユリスの胸がじんわりと温かいもので満ちていく。いや、胸だけではない。身体も頭も、全身がポカポカと温かくなっていく。
なんだろう、この感覚は──ユリスが不思議に思っていると、リリシアが首を傾げた。
「姉さん、大丈夫ですか? 顔が真っ赤ですけど。もしかして、本当に体調が悪かったんですか?」
「いやあの、えっと……わからないです……」
さっきまではなんともなかった。でも今はわからない。
もしかしたら、急に熱を出してしまったのだろうか?
「ちょっと確認させてもらいますね」
ランプをサイドテーブルに置いたリリシアは、ユリスの前髪をそっとかき上げる。そして目を瞑って、端整な顔をユリスの顔に近づけていく。
「り、リリシア!? いったいなにを──」
「動かないでください。ちょっと熱を計るだけですから」
リリシアは言葉通り、自らのおでこをユリスのおでこにくっつけた。
ああ、なるほど。熱を計るために顔を近づけたのか。ユリスがそう得心した、瞬間。
ドクドク、ドクドク、ドクドク──。
ユリスの心臓の鼓動が急激に速まった。
(な、なんですかこれは……!? 私、なんでこんなドキドキしてるんですか!?)
ただ妹とおでこをくっつけているだけ。それだけのことで、ユリスは今までの人生で感じたことがないほどのドキドキを感じていた。
思わずぎゅっと目を瞑る。ゼロ距離にあるリリシアの顔を直視できない。
自分は本当にどうしてしまったのか。ユリスが困惑しながらじっとしていると、程なくしてリリシアがおでこを離した。
「うーん……たしかにちょっと熱い気がしますね。姉さん、体調はどうですか? 気分が優れなかったりとかしませんか?」
「……いえ。べつに、気分は悪くないです。ただ……」
「ただ?」
「な、なんでもありませんっ! 私は健康、健康そのものです!」
熱を計られる際にドキドキして仕方がなかった、なんて妹相手に言えるわけがない。ユリスは適当なことを言ってごまかした。
リリシアは一瞬きょとんとするが、「まあ元気そうならなによりです」と呟いて微笑む。
「それじゃあ行きましょう、姉さん。わたしたちの誕生日パーティーへ」
リリシアが真っ直ぐ手を差し伸べてくる。
ユリスは「はい」とその手を握り、ベッドから起き上がるが……そうすると、またしても心臓の鼓動が速くなった。
さっきからずっと、ドキドキが止まらない。胸が苦しいのに、同時に高揚感みたいなものも湧いてくる。生まれて初めての感覚に戸惑いながらも、ユリスはリリシアと手を繋いで部屋を出て行った。
長い廊下を歩きながら、ユリスは訊ねる。
「リリシア。ドキドキして胸が苦しくなるのって、なんでだと思いますか?」
「えー、なんですか急に」
「ちょっと気になってしまって。リリシアなら知っていたりしませんか?」
「そうですねぇ。身体の調子が悪いっていうのとは、違うんですよね?」
「はい。体調不良とは違う感じで、なんというか……」
「きゅんきゅんする、みたいな?」
「そう、そんな感じです!」
ユリスが食い気味に答えると、リリシアが足を止めた。そしてふふっと可憐に微笑んで、断言する。
「姉さん。それはきっと恋ですよ」
「こ、恋……!?」
「胸が苦しくなって、ドキドキが止まらなくて、きゅんきゅんしちゃう……恋してる女の子は、みんなそうなってしまうんです。……って、吟遊詩人の方が詩っていました」
「そう、ですか。これが恋……」
──恋。八歳の子供でも、その言葉の意味ぐらいは知っている。
相手のことが好きで、付き合ったりキスしたりしたいと思ったりして。そう思わせる感情こそが、恋心というものだ。
じゃあ、自分は今、リリシアと恋人になりたいと思っているのか? キスしたりしたいと思っているのか?
ユリスは胸中で自問自答して……はい、と結論を出した。
(……私は、リリシアが好きです。恋人になれたらいいなって思います。でも──)
ユリスとリリシアは双子の姉妹だ。
妹に恋するなんて、普通じゃない。誰に聞いても、きっとそう答えられるだろう。
「姉さん? どうしたんですか、暗い顔して」
「……よくよく考えてみたら、私が好きになった人は絶対に好きになってはいけない人なのだと気がついてしまって。私の恋は、始まったその瞬間から終わっていたみたいです」
「そんなのもったいないですよ! どうしてそこで諦めちゃうんですか!」
「え? いやでも、絶対に報われないんですよ?」
「報われないなんて誰が決めたんですか。愛し合ってはいけない二人が、運命に逆らって想いを叶える──そういうの、すごくロマンチックで素敵だとわたしは思いますよ」
熱がこもった口調でリリシアは語る。この様子、どうも気休めや冗談を言っているようには見えない。リリシアは嘘偽りない本心を口にしているようだった。
そんなリリシアの顔を今一度見て、ユリスは決心する。
「わかりました。リリシアがそこまで言うのなら、私なりにこの恋に向き合ってみようと思います」
「ええ、ええ! それがいいですよ!」
リリシアは楽しげに笑って、ユリスの手をぶんぶん振る。
人の気も知らないで……と思いつつも、ユリスもつられて笑った。
姉妹での恋愛なんてものが叶うかどうかは、まだわからない。
でもリリシアは、愛し合ってはいけない二人が想いを叶えるような恋をロマンチックだと肯定してくれた。だったら……この恋だって、叶う可能性はゼロではないかもしれない。
ユリスは心の中で希望の火を灯す。
と、リリシアがうっとりとした顔でため息を吐いた。
「いいですねぇ、初恋。わたしも早くしたいなぁ」
「リリシアは、今まで気になった人はいなかったのですか?」
「全然いないんですよねぇ。恋愛に興味はあるんですけど」
「じゃあ……好きなタイプは? どんな人が好みなんですか?」
おずおずとユリスは訊いて見る。
不出来で頼りない姉のままでは、リリシアに振り向いてもらえっこない。
では、いったいどんな自分になればいいのか──その答えを、リリシア本人から教えてもらおうというのがユリスの考えだった。
「うーん、そうですねぇ……」
リリシアは小首を傾げてしばし考え、やがてこう言った。
「素敵な騎士様、ですかね。優しくて誠実で、騎士道精神にあふれていて、わたしのことを守ってくれる──そんな騎士道物語に出てくるような騎士様が、わたしの理想の人です」
「なるほど……素敵な騎士様ですか。教えてくれてありがとうございます、リリシア」
この時、ユリスの人生が決まった。
──リリシアを守れるような強い騎士になりたい。
それが生きる指針となり、ユリスは王女の身でありながら騎士を志した。
国王である父に無理言って、騎士団長から稽古をつけてもらうようになったのが、八歳の誕生日を迎えてすぐのこと。当時は馬に乗ることさえできなかったユリスだが、血のにじむような努力を重ねていき、少しずつ騎士になるのに必要な素養を身につけていった。
十二歳の時には騎士団長の従騎士となり、十五歳の時には正式に騎士に叙任されて騎士団に入団することができた。
それからユリスは戦争に参加する事に華々しい武勲を立てていき、現在では国内有数と謳われるほどの優れた騎士になったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます