第28話 天狐相打つ

 ————今、何が起きたのか。シンモラは理解が追いつかないまま、目を見開く。


 黒鉄の尾。それは旧文明においても、屈指の防御性能を誇る素材だった。


 技術が極限にまで進んだあの時代、矛と盾の競争で勝利したのは、常に盾。


 単純な火力ではもはや敵を倒すことはできず、電子戦や、あるいは質量による圧殺という――戦術と暴力的な手段の二極化が常態となっていた。



「あんな、刀一本で……っ!」


 尾が斬られた――この現実を拒絶したい気持ちと、認めねば死ぬという本能がせめぎ合う。


 反射的に切り落とされた尾を操作し、アルフォンスに叩きつけて距離を取る。



「これも操れるのか……せっかく切り離したというのに、厄介だなっ!」


(っ、何が“厄介”ですか……! スパスパ斬れるものじゃない、のに……っ)


 浮遊しながら襲いかかる尾を、アルフォンスは両手で刀を握り、次々と斬り落としていく。


 まざまざと目の前で突きつけられた現実に、シンモラは焦りを覚えていく。



「あり得ない……何故、急にそんな力が……!」


「“あり得ない”、か。僕も最初はそう思ったよ。どれだけ斬っても傷ひとつつかない装甲……だから、物理的に斬ることは、諦めた」


「物理的に……?」


「シノノメ一刀流に斬れぬものはない。——その真髄は、“あらゆる根を断つ”一刀。空間すら断ち切る斬撃、なり」


「空間……そんな、空間干渉なんて、高度な技術を……あのちっぽけな刀で……っ!?」


「技術なら再現できる。人にできることなら誰がやれるのかって? 決まってるだろう。“天才”アルフォンス・エルヴァンさ!」



ーーーーーーーーーー



「シノノメ一刀流――三日月!」


「……驚いた、本当にできるなんて」


 仕立ての良い黒の戦闘服に身を包み、刀のマギアを手に技を放つアルフォンス。


 その光景を見て、セレンは思わず目を丸くする。



「当然です。この僕にかかれば、再現など造作もないこと」


「いやはや、武器選びの参考にと思って見せただけなんだけど……まさか“技”まで真似するとはね。魔術って、本当に可能性に満ちてるんだなぁ」


 冗談交じりに渡した旧文明の本。


 それを食い入るように読み込んだアルフォンスは、そこに描かれていた技を、現実の魔術として実現してみせたのだ。



「ところで、この“秘伝書”の続きは?」


「ん、無いよ」


「……無い?」


「旧都調査で拾った資料だからね。揃ってる方が珍しいってくらい、バラバラなんだ」


「なんと……では“秘奥”とやらの正体は不明ということか」


 セレンの言葉に項垂れるアルフォンス。


 手にしていた書物をセレンが受け取り、パラパラと目を通す。



「“あらゆる物を断つ一刀”……か。君、すでに機械相手にスパスパ斬ってるんだし、それだけでも十分すごいと思うけどな?」


「それは……まぁ、しかし“秘奥”と名がつくなら、極めてみたくなるものではありませんか」


「その気持ちはわかるよ。でも、うーん……あ、そうだ!」


「?」


 何かを思いついたらしいセレンに、アルフォンスが首を傾げる。



「いざって時に考えればいいんじゃない? どうしても斬れない相手とか、通じない技に出くわしたら、その時に」


「……閃いた風に見せかけて、結局適当な提案では?」


「いやいや、ピンチの時に覚醒! みたいな展開が王道なんだって。君みたいなキャラなら尚更」


「……よくわかりませんが」


「まぁまぁ、君は天才だ。いざという時はちゃんと頭を回して、きっと何かを見つける。で、その時ふっと思い出すんだ。“あの秘奥が今なら使えるかもしれない”って」


「そんなもんですかね……」


「そんなもんです」


 楽観的に笑うセレンを前に、どこか釈然としない表情を浮かべるアルフォンス。


 今思えば――困難というものが、これまで一度も彼の前に立ち塞がったことがなかったのかもしれない。



ーーーーーーーーーー



「――なんで」


 黄金の光を纏い、鋭く接近するアルフォンス。


 身を翻して斬撃をかわしても、斬り払うように、黒鉄の尾が一本、また一本と切り落とされていく。



「あなた、なんかにっ!」


「ふっ、この天才を見下した報いだな。その見る目のなさが――敗因だっ!」


 明らかに余裕を失い、焦りが表情ににじみ始めたシンモラ。


 ふわりと浮いていた軽やかな機動も、尾の喪失により徐々に鈍り、ついには地へと降り立つ。



「その尾も残り一本……ここまでだ」


「……ふふ。果たして、“ここまで”なのは――どちらでしょう?」


「なに――!? な、んだ……」


「高ぶってらしたので、お気づきにならなかったようですね……今のあなた、お顔が真っ青」


 不敵な笑みと共に語るシンモラ。その言葉に意識が逸れた瞬間、体に虚脱感が押し寄せる。


 熱が失われていくような感覚。寒さに手足が震える。



「何を、した……くっ、眩暈が……」


「私の力、察しがつきましたか? 尾を切られた時には間に合わなくなるのではと、少々焦りましたが……」


「能力……?」


 超能力を連想しても、シンモラの力の正体は掴めなかった。浮遊の原理も、金属操作の仕組みも。



「“磁力”――という言葉は、ご存じですよね?」


「磁力……なるほど。そういうことか……」


 答え合わせを始めるように、シンモラは口を開く。



「私の尾は、磁力を自在に操ります。引き寄せ、反発、そして範囲内なら向きすら……ね」


「金属を操作していたのも……それかっ」


「ええ。そして、気づいていましたか?――“あなたの出血が止まっていないことに”」


「っ!!」


 その言葉に反応し、アルフォンスは自らの傷に意識を向ける。


 初撃で受けた棘の刺し傷、掠った頬の傷。そこから、未だに血が――流れ続けていた。



「かつて、磁力には血行促進の効果があるとされ、健康グッズにも使われていました。まぁ眉唾物でしかありませんでしたが、私の力であればこれこの通り、血中の鉄分を“直接”操ることはできませんが――出血量を“加速させる”程度のことなら、造作もなく」


「……だから、時間稼ぎに徹していたのか……っ」


 思考がそちらに傾いた途端、強烈な倦怠感が全身を襲う。


 景色が歪み、膝が震え、立っているのがやっとになる。


 足元に広がる血溜まりの数が、今の自分の状態を何より雄弁に物語っていた。



「さて――このまま、あなたが力尽きるのを待っても良いのですが」


「っ!? この揺れは――」


 鉄の刃を構えたシンモラの言葉を遮るように、激しい地響きが空間を揺らす。


 壁が、床が、空気までもが震えるような振動。



「おぉ……ついに成したのですね、ナユタ」


「まさか……スルトが!?」


「ええ。我らが“巨人の王”は目覚め、ナユタがその頂に立つ……これでもう、時間を稼ぐ必要すらありません」


 陶然とした笑みを浮かべるシンモラ。


 立っているのがやっとのアルフォンスを見下ろし、嬉々として刃を振りかざす。



「あなたを始末して、ナユタの元へ――」


「っ!!」


 金属の軋む音と共に、シンモラが駆け出す。


 振り上げた刃が、アルフォンスの命を断たんと振り下ろされ――



「油断――したな」


「氷……!?」


「僕の勝ちだ、シンモラ」


 踏み出そうとしたシンモラの足が、地面に縫い付けられたように止まる。


 視線を落とせば、朱を含んだ氷――血混じりの氷が、足元を這うように覆っていた。


 その瞬間の逡巡が、勝負を分けた。



「がっ……かっ、は……っ」


「君が警戒していた“氷の魔術”――まさか、これで決着するとはね。セレンの技で倒すことになるとは……まったく、予想外のことは起きるものだ」


 足元の氷が這い上がり、腕へ、胴へと伸びていく。


 わずかに残る意識を奮い立たせ、アルフォンスは震える両手で刀を握りしめる。


 そして――その刃を、シンモラの心臓へと突き立てた。


 鈍い音を立てて、刀が貫く。しかし、身体を貫く刃の音は”1つだけではなった”。



「っ……ふ、確かに……油断、ですね……ですが――」


 血を吐き、虚空を仰ぐシンモラ。その口元に、微かに笑みが浮かぶ。


 だが、それは敗北を認めた笑みではなかった。



「贈り物を、差し上げましょう……っ、げほっ」


「っ――!」


 背後から突き刺さる鋭い衝撃。


 朦朧とした意識の中で、痛覚だけがはっきりとした形で伝わってきた。


 刀を手放し、膝をつき、アルフォンスは崩れ落ちる。



「なる、ほど……自らを犠牲に……敵ながら、天晴れだね……」


 視界が、闇に沈む。


 続く出血に意識を奪われ、アルフォンスは、静かにその場に倒れ込んだ。


 ――がしゃん、と砕ける音。


 足元を覆っていた氷を砕き、シンモラが膝をつく。心臓を貫かれた身体に残された時間は、長くはない。


 だが、彼女の瞳は一点を見据えていた。


 立ち上がるスルト。ゆっくりとその巨躯を動かし、終焉の目覚めを告げる存在。



「私は……最後まで、ナユタの側に――」


 その身を引きずりながら、彼女は、崩れ落ちることなく、歩を進める。


 それは敗者の足取りではなく、ただ一人の忠臣として、主のもとへ向かう姿だった。


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