第三章 開拓者たちの大地

第三章 九話 パンドラの玄関

「お、ボウズ、今日も良い心がけだな」

 

 出港からラウルさんは僕の事をボウズと呼ぶ。子供扱いは止めて欲しかったが、船出があの有様だった上に偽名も直ぐに見破られたので文句が言えないでいた。


 二日酔いはとうに抜けて、船の揺れにも慣れたこの頃。

 僕は初日の失態を取り戻すべく、精力的に甲板作業をしている。一応躁帆の手伝いもするけど、船の仕組みがよく分かってないので言われた通りにするだけで精一杯だった。

 

 そこに来て掃除は分かりやすい。甲板掃除は朝と午後の一日二回、海水で行う。一度、海水だとベタつくのではと思って魔術で塩抜きして真水でやろうとしたら怒られた。そして抜いた塩は没収された……船で使うなら良いですけど。

 なんでも、海水で掃除した方がカビやキノコの発生を防げるらしい。そして海水が乾いた後の残った塩が水気を吸い木の保湿になって割れたり反ったりしにくくなるんだとか。

 あのベタつきにも利点があったとは、世の中知らない事がまだまだ一杯だと実感する。

 その他の作業として水漏れ対処なども重要だ。

 大きな物はそう無いけど、滲んでくるような小さな物は沢山ある。船は水漏れとの戦いだ、これは発見次第やらなくてはいけない、船で水漏れなど放置してはいけないのだ。

 見つけた水漏れ箇所に棉を詰めての一種を流し込んで埋める。チマチマとしたこの作業……ふふふ、案外嫌いじゃないぞ。寝床が濡れるのも嫌なので徹底的にやってやる。


 初日の失態の件の負い目もあるが、僕の世間知らずっぷりや警戒心不足を教えてくれた上に、安く船に乗せてくれたラウルさんには恩義を感じていた。それにラウルさんがそうだったように、この船員は皆、口が悪い割に面倒見が良い人たちばかりだ。

 港で僕を注意してくれた人もそんな感じだったから、やはり海の男とはそんな生き物なのだろう。僕に船賃を吹っかけてきた奴ら以外。

 折角だ、やるなら乗る前より綺麗な船にしてやろう!

 額の汗を拭って、晴れやかな気持ちで空を見上げる。赤いコートが目印の継ぎ接ぎだらけの帆が目に入った……見た目のボロさは管轄外という事で。


 ――◆――


 予定では航海も終わりに近づいて来た朝。

 最早僕も慣れたもの、鼻歌交じりに甲板を掃除している。

 今日もいい天気だ。最初は海が時化る事も覚悟していたけど、僕が乗ってる間はそんな事もなく、万事順調な船旅だったと言えるだろう。

 一通り甲板の掃除を終え、腰を伸ばして背中をほぐす。自然と目に入る赤いコートが目印の帆、もはや見慣れた物で不思議と愛着が湧いて来ていた。それを支えるメインマスト、その上には見晴らしが良さそうな見張り台が付いている。

 僕も登ってみたかったが、素人はあがらせてもらえない場所だった。

 羨ましげに見上げていると見張り台に居る船員が大声で叫ぶ。


「パンドラが見えて来たぞー!」


 その内容を理解するのに一瞬の間が空く。

 とうとうパンドラが見えて来た!

 その言葉を理解した人から順に船首へ駆け寄り、徐々に見えてくる陸地には誰からともなく感嘆の声が上がる。勿論、僕もその一人。少し出遅れたのが悔しい。

 すいません、そこの僕より背の高い方少し場所を……ありがとうございます。


 見えて来た大陸の端は、右も左も水平線の彼方に吸い込まれ、果てが見えない。

 切り立った崖や入り組んだ浜もあり、海岸線の形は様々だ。

 そして船の進行方向には、遠近感がおかしくなりそうな大きさの山脈が、薄っすらと見えていた。特に目立つ大きな山は綺麗な三角の形をしていたが、北側だけが何かに齧り取られたように欠けており、実際にその場で目にしたらどのような景色なのかと想像が膨らむ。

 この距離からでも大きく見えるあの山はきっと、近くに行けば天を貫く高さだろう。

 やがて大きな灯台が見え始めると、その根元に街が広がってるのが分かる。


 パンドラの玄関街だ。


 自分にとって未知しか無い土地に、心臓が逸る。

 あれが新大陸、あれがパンドラ!

 これからの僕にはあの場所で開拓者としての冒険が待っている!

 

 出港の際には色々あって得られなかった旅立ちへの感動と合わせて、パンドラへの期待と興奮が一気に押し寄せてくる。


「予定よりちっと早く着いたな。順調だった航海を女神に感謝しねぇと」

 

 いつの間にかラウル船長が隣に来ていた。

 

「確かに、海が時化ったら船がどうなっていたかと思うと、不安で眠れませんでしたよ……」

 

 冗談半分にうそぶいたけど、もし嵐に巻き込まれていたら、この趣ある船は耐えられたのだろうか。

 

「ぬかせ。ボウズに心配されるほど、この船はヤワじゃねぇんだよ」

 

 ラウル船長に軽く小突かれた。まあ、耐えて来た実績が船のつぎはぎ模様なのだろう。

 

「後は船を港に着けるだけだ、オレ達でやる。ボウズは荷物をまとめて下船の準備をしとけ」

 

 残りはこっちの仕事だと言うラウル船長にお礼を言って、ソワソワしつつ船室に戻り荷物をまとめる。とは言っても、そんなに広げた荷物があった訳でも無い。外していた装備の塩気を拭い取って着込む程度ですぐに終わる。


 陸地が見え始めてから程なく、船は港に入っていた。

 出発した港と同じか、それ以上の大きさの港町のようだ。

 

 やがて、僕らの乗る船は大型船ばかりの中央から外れ、端の方にある桟橋へと舳先を向ける。

 ドレッドコート号は小型から中型船が集まる区画に船を着け落ち着いた。

 港湾作業員らしき人が来て、船員と何やら会話している。入港手続きとかの話だろう。


 しばらく待った後、乗降板が下り、ラウルさんから下船の許可が出る。

 船を降りたこの一歩が、僕のパンドラへの記念すべき一歩になるのか……。

 

「ふおぉぉ……」

 

「変な声出しながら、んなとこで立ち止まるんじゃねぇ、邪魔だ」

 

「あいてっ」

 

 感慨に耽っていたらラウルさんに突き飛ばされた。

 

「ちょっと危ないじゃない……です……お? ……っとっと」

 

 感動の一歩を邪魔され、あんまりだと文句を言おうと、振り向いた途端たたらを踏み体に違和感を覚える、まるで波に揺られているようだ。

 

「どうだボウズ? 陸の上なのに波に揺られてるみてぇだろ?」

 

 ラウルさんはそう言って豪快に笑い、僕の背中を叩いた。その衝撃で数歩、つんのめる。普段であれば何て事ないはずなのに、踏ん張りが効かなかった。

 

「ええ、まだ海の上に居るみたいです……」

 

 地上に居るのに船酔いしそうだ。他の人はどうだろうと見回してみると、同乗者の人たちも同じようにふらついていた。

 

「しばらくそのままだからな、転ばねぇように気をつけろよ!」

 

 慣れたものだろうラウルさんは楽しそうに笑いながら僕らを見ていた。




 乗客も全員下船し、積み荷を降ろす作業が始まる。この船旅も最後を迎えたようだ。

 

「んじゃ、ボウズとはここまでだな。あちこち水漏れ止めてくれたみたいで助かったぜ」

 

 船旅が終わればラウルさん達ともお別れだ。気づけば船員のみんなも甲板に集まっていた。

 一週間ほどの船旅だったけど、見知らぬ人とこんなに長い時間一緒に過ごしたのは初めての経験だった。

 

「いえ、あれくらい。むしろ初日は二日酔いで迷惑かけてしまって、すいませんでした」

 

「赤コートの迷惑野郎に比べりゃかわいいもんだぜ!」

 

 加減なく肩をバンバンと叩かれる。

 

「ボウズはどうもぽわっとしてて危なっかしいからな。特に変な女には騙されねぇようにな」

 

「はい、ありがとうございます。世の中ラウルさんみたいに良い人ばかりじゃないですからね」

 

 僕がそう言ったら、船員のみんなが大笑いした。

 

「船長が良い人ってんなら、世の中から悪人がいなくなるな!」

 

「良い人の船長様なら俺らの賃金も上げてくれるんじゃないですかね!」

 

 笑いながら好き放題言っているけど──。

 

「賃金は要らねぇって奴がこんなに居るとは、俺も良い船員を持ったもんだぜ!」

 

 ラウルさんが甲板を睨みつければ、みんなが口々に謝り出した。

 

「でも、僕がラウルさんや船のみんなに感謝してるのは本当ですよ。ここまでありがとうございました」

 

「そりゃ、どういたしまして、だ」

 

 素直に感謝を伝えたら、こちらも見ずにぶっきらぼうに手を振って返された。照れたのかな。

 

「ま、挫折して王国に帰る時にはサービスしてやるぜ、ボウズ!」

 

 縁起でもない事言わないで欲しい。

 

「そうならないように頑張りますよ。あと僕の名前はヴェレスです」

 

 本当は名乗らない方が良いのだろうが、この人には僕の名前を覚えていて欲しかった。

 

「おう、ヴェレス。達者でな」


 他に言葉は無い、ただこの人が僕の名前を、僕の目を見て呼んでくれた。それだけでこの人に認められたような気分だった。実際そうだったら良いなと思う。

 

「みなさんもお元気で!」

 

 最後に笑いあってドレッドコート号のみんなと別れた。

 しばらく国に帰るつもりは無いけど、また玄関街に来た時には、ド派手に赤いコートドレッドコートを探してみよう。




 港湾区から出て早速、僕は大きな通りで食べ物屋を物色していた。

 その土地を知りたければ食べ物を知れ、とは誰の教えだったか、エルザ先生だったかな?

 それ以外にも、ちゃんとしてそうな宿や武具の手入れが出来そうな店、開拓者の仲介所などの位置も確認してある。別に僕の食い意地が張っている訳じゃない、決して。

 

 「王国側で見かけた食べ物以外にも、見た事も聞いた事も無いようなのがあったなー。どれから食べるか迷うぞ……って、ん?」

 

 往来の邪魔にならない場所で壁に背を預け、幸せな難題の解答を考えていた時。小さな女の子と目が合う、子供の頃の僕くらいの背丈だ。十から十二歳の間くらいだろうか? 獣人である事を示す特徴的な耳があった。

 ふわっとした黒い髪は肩のあたりで切りそろえられ、髪と真逆の白い色をした長い垂れ耳――ロップイヤーと言ったっけ――を揺らしながら、やや早足にこちらへと寄って来た。

 

 なんだろう?


 「立派な装備の開拓者様! さぞ凄腕の方かとお見受けします。不躾なお願いで申し訳ありません、どうか病気の妹のためにお金を貸して頂けませんか?」

 

 大きく可愛らしい赤い瞳を潤ませた獣人の女の子は、お願いします、と僕に向かって頭を下げた。

 ラウルさんに忠告を受けた矢先だと言うのに、とっても怪しい女の子が声を掛けてきた。

 城から持ってきた武具がいけないのだろうか? ラウルさんの言う僕のぽわっとした顔がいけないのだろうか?

 

 ぽわっとした顔ってなんだ? 僕は普通にしてるだけなのに!

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