猿
これは、今から二十年程前だろうか。
俺がまだガキの頃の話だ。
俺の実家は山深い土地に昔からある
他県の高校への進学で家を出る迄、
俺はそこで過ごしていた。
冬にもなれば一応 豪雪地帯 と
言われる程には雪が降る。
山が、すぐ
育ったのは、そんな場所だった。
俺は三人兄弟の次男坊だったから、
存外、気楽に過ごしていたのだと思う。
寺の跡取りである兄貴ほどは厳しく
躾けられる事がない反面、それでも
勉強に関しては割と
育っただろうか。
寺は 長男 が継ぐ。今でもまだまだ
封建的な考え方がスタンダードな
土地柄だから、俺も弟もガキの頃から
やんわりと自立を促されていた。
名前も、兄貴は
僧侶っぽい名前だが、俺と弟は優斗に
優真。生まれる前から 線引き は
されていたのだろう。
兄貴とは歳も四つ程離れていたから、
連むのは大体、二歳下の弟か近所の
ガキんちょ達で、ウチの寺の境内は
格好の遊び場となっていた。
遊び場、と言えば。
山がすぐ身近にあったから、至る所が
俺達の遊び場だった。
学校からの帰り道に太い蔓を見つけて
登山ごっこをしたり、小さな池で蛙や
イモリの卵を
勿論、秘密基地なんかも、あちこちに
結構作ったかな。
そこは、直ぐ裏が崖になっていた。
秘密基地の一つに 山下の廃屋 が
あった。山肌が内側に抉れた様な崖を
背にして建つ古い平家で、辛うじて
残っていた表札に『山下』と名前が
書かれていた事もあり、誰からとなく
山下の廃屋 と呼ぶ様になっていた。
人が住まなくなってから、当時もう
二十年以上は経つその廃屋は、廃墟と
言う程には荒廃していなかったから、
俺達にとっては格好の秘密基地に
なり得たのだ。
その日は、檀家の葬儀があったから
寺には沢山の人達が出入りしていた。
兄貴は当然の様に親父の手伝いを
していたし、弟と俺は本堂にいても
境内にいても邪魔にされた。
多分、春休みだった様な気もする。
何処に行く宛てもなく、仕方なく弟を
連れて俺は自転車を漕いでいた。まだ
雪は残っていたが、道路は除雪車の
お陰で全く走行にも問題はない。
寺から市街地の方へ山を降りる道は
二通りあって、一つは国道に繋がる
大きめな車道。バス停もあり、一応
通学路でもある事から俺達は大体が
この道を利用していた。そして
もう一つ。山が片側に迫る様な細くて
急な坂道があった。
これが最近、漸く舗装された事で
自転車でも通り抜け易くなって
いたのだ。
弟の優真は、除雪された舗装道路の
急坂道に、妙なハイテンションで
先陣を切って下って行った。
もうちょっとスピード落とせ。
そう言う間もなく、アホな優真は
上から落ちて来た枝葉にハンドルを
取られて道路脇の藪の中に自転車ごと
派手に突っ込んだ。
「…おい、優真!何やってんだよ。
大丈夫か?」残雪や枯草のお陰で
怪我はしてないだろう。俺は路肩に
自分の自転車を停めて、自転車共々
何とか優真を引っ張り出した。
「にぃちゃん…ヤバい。」泣いては
いない。それどころか変にヘラヘラ
笑っている。「…巫山戯んなよ?」
泣き虫の弟が、ヘラヘラしてるなんて
実は只事ではなかったのだ。
優真の左手首は見る間に紫色に
腫れ上がって行く。「…大丈夫か?」
どう見ても大丈夫じやないだろう。
漸く俺は焦り始めた。
「坊ちゃんたち、どうしたの?」
山の斜面の枯れ藪の中で、半ば途方に
暮れ始めた、まさにその時だった。
鬱蒼とした隈笹を掻き分けて、女が
顔を出したのは。
「…弟が…自転車で崖に突っ込んで。
血は出てないけど…手首が。」
しどろもどろで説明したが、俺自身
動揺して上手く伝えられたかどうか。
「まぁ、怪我してるんじゃないの?
ちょっと見せて。」言うや優真の腕を
まるで観察でもする様に肩の辺りから
順に調べ始めた。
「…これはいけないわ。応急処置を
するから、うちに寄って頂戴。少しは
楽になると思うから、ね?」「…。」
母親より少し年嵩だろう、その女は
此処らでは見かけない顔だったが、
まさに 地獄に仏 だ。
後で分かった事だが、優真の右腕は
痛かったに違いない。しかも、この
鬱蒼とした藪から突然 女 が出て
来た事に、俺の興味は
ともあれ。
謎の女の指示に従って俺達は、よく
知っている筈の鬱蒼とした藪の中へと
ついて行く事になったのだった。
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