狸
アホな弟の優真がチャリで突っ込んだ
山側の藪には、よくよく見なければ
分からない様な 獣道 があった。
女は、その細い道から出て来た訳だ。
雪のない時分から隈笹やら低木が
それでも、山の事なら勝手知ったると
思っていた俺の
言う迄もない。
自分の家でもあるデカい寺が、どんと
構えているのだ。
舗装された道路の脇には溶け残った
雪が
道を、俺は弟を庇いつつ女の後に
無言で続いた。
ヤっちまった当初はヘラヘラ笑って
いたが、次第に脳が 痛み を理解
出来る様になったのだろう。
優真は呻き声を上げながらも必死に
歩いている。そんな姿は気の毒を通り
越して、俺を不安に陥れて行った。
そして雪の残る隈笹と枯れ木の藪が
突然、途切れた。
「…ッ?!」其処に、一軒の古い
平屋が 現れた 時。俺は思わず声を
上げそうになった。
いたとはいえ、秋頃までは散々遊んで
いた秘密基地の一つ。
山 下 の 廃屋 が。
雪と崖の
まるで、何かに化かされた様な。
驚きと恐ろしさが入り乱れた、何とも
複雑な気持ちだった。
まさか、この廃屋に人が住んでいる
なんて思いもしなかったから、勝手に
侵入し、土足のまま無遠慮に蹂躙して
いたのだ。
施錠なんぞ、されていなかったから。
もしも誰かの所有なら、玄関には必ず
鍵が掛かっているだろう。けれども
この廃屋に鍵が掛かっていた試しは
俺が知る限り一度もなかった。
「さあ、入って。」女はそう言うと
俺達を 山下の廃屋 の中へ促した。
「…お邪魔します。」俺は、痛みで
うんうん唸る優真を抱える様にして
玄関で靴を脱いだ。「にぃ…ちゃん、
もう…帰ろう。」優真が情けない声を
上げるが、相当に痛いのだろう。
額に玉の汗まで浮かべている。
「取り敢えず、応急手当てをして
貰おう?それでウチに電話を…。」
そう思って俺は、実家の寺が葬儀の
最中だって事に気がついた。これは
マジで詰んだと思ったな。
「準備が出来たら腕の処置をするから
こっちの部屋に来てちょうだい。」
女が薄暗い部屋の奥から告げる。
優真を庇いながら、俺は玄関から続く
昏い廊下を
そこは勝手知ったガキんちょ達の
秘密基地ではなく、山の崖下にある
何処の誰とも知らぬ者の家だ。
「…にぃちゃん。」優真が急に立ち
止まった。「どうした?痛いだろうが
もう少し我慢しとけ。」兎に角、今は
優真の腕の応急処置が最善なのだ。
「誰か…いるよ。」だが廊下に面した
部屋の襖がほんの少しだけ開いて
いるのに気がついた時、俺は何故か
全身に鳥肌が立つのを感じた。
怖い。
それが、如何なる経験から出て来た
感情なのか自分でも分からなかった。
そして何故、そんな事をしようと
思ったのかも。
「…。」気がつくと俺は細い隙間から
部屋の中を覗いていた。
何もない 筈だった。
俺が知っているのは、そんな光景だ。
だが、そこにあったのは全く想像も
していなかったものだ。
薄汚れた 茶箱 が一つ、部屋の隅に
無造作に置いてある。蓋は乱雑に上に
置かれただけで、隙間から白い布の
切れ端の様なものが覗いている。
しかも、部屋の中央には布団が敷かれ
何か が寝ていた。
「…ッ。」それを認めた瞬間。俺は
優真を後ろ手に庇いながら、そうっと
事が起きている。いや、これから
間違いなく起きる予感が、俺の全身を
支配していった。
「にぃちゃん…?」そんな恐怖心が
伝播したのか、優真も震えている。
「…静かに。帰るぞ、優真。」
心臓が、音を立てて物凄い速さで
動いているのを感じた。薄暗い廊下の
その先に一体 何 が待ち構えて
いるのかと思うと。
廊下の先に背を向けるのは怖かったが
その先に何があるのか。想像するのは
更に恐ろしかった。
「坊ちゃん達、早くいらっしゃい。」
昏い廊下の先から女の声がする。
「…ッ!」もう一刻も早くこの家から
逃げ出したかった。優真には悪いが
庇いながらなんて悠長な事はやって
いられない。「…走るぞ!」俺達は
玄関まで極力静かに戻り、急いで靴を
履くと一目散に走り出した。
あの女が追いかけて来なかったのは
今思えば、奇跡かも知れない。
尤も、何かしら理由はあるのだろうが
考えても仕方がないし
考えたくもない。
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