第10話 ふたりの明日

 あれだけあった眠気が、今はなくなっている。

 大声を上げて泣いたからなのか、初めて自分のことを他人に打ち明けることが出来たからなのか、私の心は驚くほど平静を取り戻していた。

「優ちゃん、ごめんね。ありがとう」

 私はそう言って抱きついたままだった優ちゃんから離れた。

 優ちゃんは泣き腫らした赤い目を細めて微笑みながら

「いえ、こちらこそ取り乱しちゃって、すみませんでした」

 と、応えてくれた。


「優ちゃん、今日はこのままここで一緒に寝てもいいかな?」

「えっ?」

「その、一人じゃ眠れなくて……」

「はい、もちろんですよ」

「ありがとう…」

「はい」

「あの、それとね」

「何でしょう?」

「さっきの続きなんだけど、私、優ちゃんのこと、大好きだからね」

「はい、知ってますよ」

「本当に?」

「本当です…」

「良かった……」


 優ちゃんは真っ暗な天井を見つめながら、真剣な声色で

「…こんな時、あたしが男だったら、やぶきさんを慰めてあげることが出来るのかな…」

 と、呟いた。

「優ちゃん……」

「なんだろう…? この、やぶきさんを、護りたいとか、愛しいとかの気持ちを通り越して…」

「自分のものにしたい?」

 優ちゃんが真剣に考えているところに私は横槍を入れた。

「あぁ、そうかも。あたし、やぶきさんを、独り占めにしたいんだと思います」

 優ちゃんが私に向き直り真剣に言う。

「あたしは今、やぶきさんのことを誰にも渡したくないと思ってしまっています。これは友達としてとかそういうのを越えて、一人の女としての独占欲だと思います。これがどういう感情なのか、自分でもよく分かりませんけど」


 優ちゃんは私に顔を近づけ、唇と唇が触れ合うような距離まで詰め寄った。

「あたしはやぶきさんが好きです」

 優ちゃんはそう言って、私の頬に手を添えて、今度はしっかりと私の瞳を見据えた。

「私も、優ちゃんが好き」

「それは友達としてですか?」

「……それ以外に、何があるの?」

 私は伏し目がちに、そっと突き離すように言う。

 優ちゃんはまた黙って考えだした。そして

「あの、やぶきさん。やっぱりあたし、やぶきさんが欲しいんだと思います」

「それって……」

「あたしが、やぶきさんの過去を忘れさせてあげたい、というか…上書きさせて欲しいです」

 優ちゃんの目は真剣だ。冗談を言ってる感じではない。

「何をする気?」

 私は言葉とは裏腹に優ちゃんの方へ顔を向ける。

「キス、してもいいですか?」

「……うん」

 私は恐る恐る瞼を閉じた。


 次の瞬間、私の唇は柔らかいもので塞がれていた。

「んっ……」

 優ちゃんの吐息が漏れる。

「あっ……」

 私は思わず声を出してしまった。

「やぶきさん……」

「優ちゃん……」

 私たちはお互いの名前を囁き合う。

「…やぶきさん、あたしのファーストキスです。本当に好きな人にあげられて、嬉しい…」

 優ちゃんは私を強く抱きしめて、私の耳元でそう言った。

 私も優ちゃんの背中に腕を回して強く抱きしめ返す。

 優ちゃんの鼓動が私の耳に響く。

「優ちゃん、一つ約束して?」

 優ちゃんはキョトンとして「はい」と頷く。

「今夜は色々な事があったから、私たち、ちょっとハイになっちゃってるのよ…。だから、これから起こることは一夜限りの過ちだって、割り切れるかしら? 朝起きたらいつものように友達同士に戻るの。できそう?」

 私は優ちゃんを抱き締めたままそう聞いた。

 優ちゃんは私の胸に顔を埋めて、小さく首を縦に振った。

「そのように善処します。だから、今だけは、やぶきさんを…」

 優ちゃんはそこで言葉を切って、私の顔を見て続けた。

 まるで、自分に言い聞かせるように。

 私にも、自分自身に言い訳をするように。

 そして、優ちゃんは私と視線を合わせながらこう言った。

 やぶきさんを下さい、と。

 私は静かに目を閉じて、もう一度唇を重ねた。




   エピローグ


 翌朝、目が覚めると隣には誰もいなかった。

 私は上半身を起こし、昨夜の出来事を思い返していた。

 私は自分の胸元を見る。そこには優ちゃんが付けたであろう、紅い花びらが咲いていた。私はそれを指先でなぞりながら、寝起きの朧気な頭で優ちゃんのことを考えていた。

 私は布団から出て立ち上がり、部屋を出た。階段を降りてリビングに入ると、優ちゃんが朝食の準備をしていた。窓から射し込む陽の光が眩しい。


「おはようございます。よく眠れましたか?」

「おはよう。おかげさまで」

 陽の光の中にいる優ちゃんはとても綺麗で、少し赤く腫れた瞼が下を向くと、長いまつ毛もまた陽に照らされてキラキラと光る。


 私はキッチンに行って、優ちゃんに声を掛ける。

「優ちゃん、何か手伝おうか?」

「いえ、大丈夫ですよ」

「そう……」

「もう少しで出来ますので。あ、昨日の洗濯物、乾いて畳んでありますよ。朝食の前に着替えてきて下さい」

「分かったわ。ありがとう」

 何から何まで至れり尽くせりで、申し訳ない。私もこんなお嫁さんが欲しい…

 優ちゃんは私に背を向けたまま話を続けた。

「今日は土曜日なので、あたしも休みです。やぶきさんも、ゆっくりしていていいんですよ?」

「うーん、そうだけど、親御さんも帰ってくるだろうし、これ以上恥の上塗りするのも気が引けます」

「はい出来ました」

 と、優ちゃんがトーストとスープ、サラダ等をテーブルに用意してくれた。私たちは「いただきます」と手を合わせ食べ始める。

 相変わらず優ちゃんの作る食事は美味しかった。その優しい味に私は思わず涙ぐんでしまい、それが溢れるのを必死に堪えた。



「じゃあ一緒に出掛けませんか?」

「えぇ、それは構わないけど、どこに行くの?」

「そうですね……」

 私は食後のコーヒーを頂きながら考えていると、優ちゃんが眩しい顔で

「お互いの新しい恋でも探しに行きませんか?」

 と、言った。私は思わず吹き出して

「今日もロックだね、優ちゃん」

 と、言わずにはいられなかった。



【完】

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