ガリレオ・マスケット

スパニッシュオクラ

第1話 始まりの弾丸

28歳、佐倉仁。

その名前を誰が覚えているだろうか。

高校卒業から10年。正社員経験なし、恋人なし、貯金残高は4桁。かつてスーパーヒーローになると夢見ていた少年は、今やボロアパートの一室で、今日をどう生きるかではなく、“どう終えるか”を考えていた。


理由は一つ。

この国に殺されたからだ。


教育の機会はなかった。支援もなかった。仕事は奴隷のようで、ミス一つで首を切られた。親は借金を残して蒸発し、生活保護を申請すれば「若いんだから働け」と突き返された。

何をどう頑張っても、足元の地面が崩れていくような人生だった。


「俺の人生を壊したやつら……政府だ。政治家どもだ」


そう呟きながら、仁は木製のマスケット銃を磨く。

高校時代、部活で作ったロマン兵器。名前は「ガリレオ・マスケットMk.I」。妄想の産物だった。ヒーローごっこ。子供の遊び。でも——

今やそれは、最後の牙だった。


その日、日向陣太郎の演説会が開かれた。

「未来を変える新しい政治」を掲げる若きカリスマ。貧困層にも手を差し伸べるとメディアは言う。だが、仁の目には偽善にしか映らなかった。


「耳障りのいいことばっか言いやがって……その裏で何人が潰されてると思ってんだよ」


演説会場は都心のホール。観客はスーツ姿のビジネスマンから主婦まで様々。

仁はジャケットの下に銃を隠し、静かに席に着く。

手汗が止まらない。心臓が喉元を打つ。


やがて日向陣太郎が壇上に現れ、マイクを握った。

「皆さん、今日は——」

その声が耳に入った瞬間、仁の視界が赤く染まった。


過去のフラッシュバック。

冷たい面接官の声。生活保護窓口での嘲笑。深夜のバイト中に倒れても、誰も心配しなかった夜。

全部、あの“仕組み”のせいだ。


「─────ッ゙!!」


“正しすぎる言葉”を並べ立てるその姿に、仁の中の何かが爆ぜた。


銃を抜く。

構える。

引き金を——


バンッ!


火薬の匂いと共に、弾丸が飛び出した。観客の悲鳴が一斉に上がる。

だが——次の瞬間、仁は目を疑った。


日向陣太郎の顔が、割れた。


血ではない。

緑色の粘液が飛び散り、内側から現れたのは——異形の何か。

ドーム型の頭部。黒く濁った目が三つ。縦に裂けた口から、粘液が滴り落ちる。


「……は?」


仁は口を開けたまま硬直した。

ただの人間の政治家を殺すつもりだった。見せしめでも、自己満足でもよかった。

だが、それは——人間ですらなかった。


会場はパニックに包まれた。

叫び声、逃げ惑う群衆、警備の怒号。仁は足を動かせぬまま、ただ一つの事実を飲み込もうとする。


「マジかよ……マジで……宇宙人……?」


嘘だろ。俺が……? 本当に……?

脳が否定するより先に、足が勝手に動いた。仁はマスケットを抱えて出口へ走り出す。


「なんだよ……なんなんだよ……!」


あの演説の嘘くささ、あの目の冷たさ……全部、本当に“異星人”だったからか?

いや、信じられない。信じたくない。

でも——目の前の事実は、あまりに現実離れしていた。


逃げろ、という指令だけが身体を動かす。

混乱の会場を突き抜け、裏口から夜の街へ。


裏路地へと逃げ込んだ仁は、壁に背を預けながら、荒い息を吐いた。

アパートへ帰り着いたときには、すでに足がガクガクだった。

玄関を閉めて鍵をかける。何度も。意味がなくても。

ただ、震えが止まらない。


自分は何かを撃った。

それが、人間じゃなかったということだけは……確かだった。


仁は部屋の片隅を見た。

そこに、埃をかぶった収納ケースがあった。


「ヒーロー部 装備庫」


高校時代、仲間とふざけて詰め込んだ妄想の残骸。

意味のない“ごっこ遊び”。

——だったはずだ。


そのとき。

ポケットの中のスマホが、震えた。


通知はない。着信もない。

でも、なぜか画面が勝手に点灯し、こう表示された。


【作戦コード:001-A】

【ヒーロー部 再起動】

【観測者ネットワーク接続完了】


仁の顔から、血の気が引いた。


「……え……なんで……?」


マスケット銃を、無意識に握り直す。


誰が送った? どこから? 何のために?

わからない。ただ一つだけ確かなのは——


これは、始まりにすぎない。

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