第2話
どこかで聴いたのか、いや、もうそれすらも彼には思い出せなかった。
脳内を掻き回している。
ピアノの旋律だ。
田園風景に佇む異形、鎮守の杜に居た。
あの日をなぞり、ハーモニーを運び。
旋律の正体が、どこか分かった気がした。
騒めく木々に感嘆の溜息が漏れる。
数年前、彼はここに居た。
確かにここに居た。
もう、天使はそこには居なかった。
「今度はここ?」
聞き覚えのある声がした。
彼は振り返らなかった。
「好きだね君も」
「……なにが」
「かさぶた、めくるタイプでしょ」
彼は、その言葉の意味を理解した。
一瞬で理解出来たことが、嫌で、嫌で仕方がなかった。
「…いや、できちゃいないんだ、かさぶたなんて」
彼は、やっと彼女と目を合わせた。
「僕はずっと、……ずっと傷を見せて生きてる。……治らないんだ。もう、ずーっと…」
白い手が、すっと伸びた。
その手は、無機質であったが、どこか温かかった。
鎮守の杜が揺れる。
辺りは蛍色だった。
「その傷、見せていいよ、私になら。
……行こ」
2人は小走りで、杜の中を進んだ。
ただ、真っ直ぐに。
木のにおいがした。森のにおいがした。
思い出の、においがした。
やがて2人は躓いて、大樹の下に寝転んだ。
息が上がる。だが不思議と、苦しくはなかった。
「はっ、はっ、はぁ………あ」
「……どうしたの?」
「ここだ」
彼は、揺らぐ木の葉を見つめた。
あの日も同じだった。
「……そっか、ここなんだ」
「うん。……ここで、死んでた」
ひとりぼっちで。
死んでたんだ。
「………見せてよ」
「…………。」
「傷」
「僕は………。僕は、助けられなかった」
「違うよ」
星空が広がっていた。
満天の星空だった。
だが2人には、ただの無機質な天井だった。
「君が居ても、居なくても、……その娘には同じこと」
「………。」
「人ってさ、不思議だよね。そんなものどこにも無いのに、ずっと自分を探してる」
「……僕は、忘れられるだろうか」
「いいんだよ、忘れなくても。どうせ、探し続けるんだから」
繋いだ手と手。
汗が滲んでいた。
「……そうか、そうだよな」
「うん。……あのね、条くん」
彼女は、立ち上がっていた。
いつ手が離れたのか、気づかなかった。
蛍色の闇夜の中に、真っ黒な姿が浮かんでいる。
咲き方を忘れた彼岸花。
黒い、彼岸花のようだった。
また、乙女の微笑みを浮かべていた。
「また会おうね」
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