とある男の記憶


研究室で実験に臨んでいる男は、外から聞こえてくるあまりの喧騒の大きさに耐えきれず、自身が開発した研究支援用AIに声を掛け、外を見るためにブラインドを上げさせた。


「まったく防音なのにここまで声が聞こえるなんて何が起きたんだか。おい、外を見えるようにしてくれ。」


AIは実験をより正確に行なったり、分析を素早く行うために政府から研究所に導入されたものだった。しかし、男はプログラムを勝手に組み直して魔改造を施し、自身の研究知識なども詰め込んだ上でデジタル化した自分の研究室の雑用をもこなせられるようにしていた。


手を止め、窓の外へと視線をずらす。あまりの出来事に驚いた男の手から試験管が落ちる。床へと落ちた衝撃で試験管が砕け、液体が飛び散った。男は窓から見える『空』が落ちてくる様子を信じられず、窓に駆け寄り、ガラスにへばりついた。


「何がおきている。まさか、元老院の奴らが予算を回していなかったのか?」


男の声に反応した未だ現状を察知できていないAIが、見当違いな回答を返した。


「今期の元老院予算案は、修正案が出されることなく可決されて…


「こうなったからには、もはや何も出来ん。あんな巨大なものが落ちてきては俺も巻き込まれて死ぬだろう。この研究はあと実証データさえ確認できたら終わりだったんだがな。」


三十代ほどその男は未だ若いながらも遺伝子領域におけるゲノム編集技術において最先端の技術を開発し、遺伝子導入、クローン作成の分野で華々しい実績をあげ、今まさに新しい構想での研究に向けて準備を進めていたところだった。


「あなたのクローン作成技術を応用することで私がいればこの研究所の施設を使って、どの様な状態であっても治療及び完治させることが可能です。脳さえ残っていればですが。また、あなたの思考や記憶、遺伝情報は既にデータ化されており、サーバーやデータ衛星に保管されています。自己の消滅という観点から言う…


「複製を俺だと言えるんだか…」


男は鼻で笑った。核心の出来だと、自負していたAIもやっぱり、なんか違うなと男は思う。こうなんというか、なんかそう違うのだ。やっぱ発想が根本的に違うんだよなぁとそんなことを思う。


「心配であれば今から再度データ化されてはどうですか?」


男は、提案に乗ることにした。自身のクローンに、今現在の自分をデータ化したものを読み込ませたならば、ある意味生き返ったということもできるだろう。


「そうするか…」


机の上に並ぶ実験器具らが散乱し、机の上を滑り、床や壁へと飛んでいく。近くにカケラが落ちたのだろうか。研究所全体が大きく揺れ、少し傾いた。死が近づいてきていることに恐怖した男は別室にある電子データ化システムへと走る。また一段と大きな揺れが男を襲う。男はシステムの電源をいれ、震える手でヘッドギアを掴み、それを被った。電子音と共にシステムが起動した。こちら側のコンピュータに移動してきたAIに声を掛ける。


「読み取り次第、順次転送してくれ」


「了解しました。読み取り、転送を開始します。」


恐怖で震える膝を押さえて、男は自身に死を齎す来たる衝撃を待っていた。研究所が激しく揺れていたが、カケラが直撃することなく男のデータ化は着々と進んでいた。モニターに映る進行状況のバーは半分を超えていた。巨大な『空』のカケラが一撃で何十ものビル押し潰すところを目撃し、一瞬で命を失うことを恐怖していた男だったが思いの外、大きいカケラが落ちてきていないのではと安堵した。


「なんだ。案外助かりそうだな」

「転送中…現在74%実行済で


わざわざデータ化しないで逃げてた方が良かったかなとそう思ったのを最後に、男の意識は無くなった。落ちてきた拳大のカケラが天井を貫き、ちょうど男の頭を吹き飛ばし、壁と床を赤く染め上げていた。


「………」


音声認識機能を有するが研究支援用であるAIは、実験室を離れた今、主人を確認するための生体センサーはそこに無く、自身の主人の死を認識できずにただ返事を待ち続けていた。

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