第12話 ナイフ投げ
突然の光景に、ライは青色の瞳を大きく見開いた。先ほどまでタケルを焼き尽くしていたはずの赤い炎は、暖かな光に包まれた人間を全く傷つけることなく、タケルはそんな炎を軽々くぐり抜けていく。それは、物理法則を超越した、信じられない光景だった。
試練の使者であるライの顔に、これまでのような厳しさだけでなく、純粋な驚きと、そして感動の色が段々と広がっていく。低い唸り声は止み、代わりに、深い感嘆の息が漏れた。
「素晴らしい……」
ライは小さな声で呟いた。
「純粋な思いは、炎をも暖かな守りに変える力を持つのか……お前たちの強い絆、そして自分自身を犠牲にした友の思いが、奇跡を起こしたのだな」
ライは、以前の威圧的な態度から一転し、純粋な尊敬の念を込めた目でタケルを見つめた。
「その強さ、真の勇気……危険を勇敢に克服するだけでなく、強い絆と暖かな思いこそが、真の勇気なのだと、お前たちは教えてくれた」
ライがタケルに語りかける。
「熱い炎を純粋な思いと強い絆で克服したこと、二つ目の課題をクリアしたと認めよう。だが、真の勇気は、己一人の力だけでなく、近しい存在を信じぬく心にこそ宿る」
ライは、青色の瞳をイトーヌに向けた。イトーヌは、突然自分に向けられた視線に、前足部分を少し震わせた。
「三つ目の課題は、その真の勇気を試すものとなる」
ライは雄大な身振りで、テントの中央に置かれた小さな台座と、その上に乗せられた、金色のりんごを示した。そして、その台座の前に、イトーヌを優しく促した。イトーヌは、少し不安そうな目でタケルを見上げながら、ちょこちょことした足取りで台座の上へと登った。
台座の上には、革製の拘束具が用意されていた。ライは、純白の前足で、注意深くイトーヌの小さな体を固定していく。小さな腕、小さな腰、そして小さな足が、優しく、しかししっかりと拘束されていく。イトーヌは、されるがままに、大きな瞳でタケルを見つめている。
完全にイトーヌが固定されたのを確認すると、ライは金色のりんごを、純白の前足で持ち上げた。そして、それをイトーヌの頭のちょうど真上に、バランス良く乗せた。金色の果実は、光を反射しキラキラと光っている。
「課題の準備は整った」
ライは、威厳を感じさせる声で告げた。
「課題の内容は、単純だ。お前の友であるイトーヌが、その台座の上に立つ。そしてお前は、そこから距離を取り、私の合図と共に、そのイトーヌの頭の上に置かれた金の果実を、私が渡すナイフで射抜け。ただし、お前に与えられるチャンスは三回のみだ」
イトーヌは、突然の課題の内容に、小さな瞳を不安そうに瞬かせた。しかし、イトーヌはぷるぷる震えつつも、タケルを信じている目で、前をしっかり見据えている。タケルの背後には、課題の始まりを静かに待つ三本のナイフが、冷たい光を放っていた。
ライの白い顔にも、課題の厳しさを物語るかのように、かすかな緊張が漂っている。
「お前は、味方を絶対に信じ、三度のチャンスの中で、寸分の狂いもなくナイフを投げ、友を傷つけることなく金の果実のみを射抜くことができるか? 真の勇気は、無謀な行動ではなく、冷静な判断と、暖かな思いやり、そして完璧な技術によってのみ、真の形を成すのだ」
ライの低い声は、最後の課題の重さを静かに物語っていた。イトーヌは、不安そうな目でタケルを見上げている。タケルは、手のひらの『熱く燃える心』を握りしめ、これから始まる課題の方を向き、しっかりと頷いた。
課題の始まりを告げるライの咆哮が、サーカスのテントに響き渡った瞬間、タケルの心臓はドラムのように激しく脈打ち始めた。手のひらに握られた一本目のナイフは冷たいはずが、タケルの焦りのせいで今は熱く感じられる。
台座に立つイトーヌの頭の上に乗せられた金色のりんご。的は明確だが、もし少しでも手が震えれば、イトーヌを傷つけてしまうかもしれない。その恐怖が、タケルの全身を冷たい汗で濡らしていく。深呼吸を繰り返すものの、心臓の鼓動は落ち着いてくれない。小さな頃、小学校の野球部でピッチャーをやっていた時、監督に「お前のコントロールなら大丈夫だ」と言われたことをふと思い出した。もちろん、ボールとナイフは違うけれど、的に向かって投げるという点では同じはずだ。だが、今の課題はゲームとは違う。イトーヌの生命が、自分の手にかかっているのだ。
「信じるんだ……自分を、そしてイトーヌを」
心の中でそう呟きながら、タケルは目の前のイトーヌの姿を凝視する。小刻みに震える体、不安そうに瞬く大きな目。イトーヌの不安が、伝わってくるようだ。だからこそ、失敗は絶対に許されない。タケルは意を決して、ナイフを金のりんご目掛けて、投げた。
空気を切り裂く音、冷たい金属の光。投げられたナイフは、タケルの願いとは裏腹に、ほんの僅かに的を逸れていく――。
タケルの心臓は、投げたナイフがイトーヌの顔のすぐ横に突き刺さった瞬間、凍り付いたようになった。イトーヌの小さな悲鳴と、全身を激しく震わせる姿が、タケルの目に焼き付いた。
「大丈夫か、イトーヌ!」
思わず叫んだタケルの声は、心配で震えていた。イトーヌは、大きな目に涙をいっぱい溜めながら、掠れる声で「だ、大丈夫……」と答えたものの、その小さな体は今も恐怖でプルプル震えている。
その時、タケルの脳裏に、ふと昔の野球大会の記憶が頭をよぎった。
「タケル、落ち着いて!最初のボールは力みすぎだ。お前なら大丈夫だ、いつものように投げろ!」
野球のグラウンド、マウンドに立つタケルに、監督の叱咤が飛ぶ。観客席のざわめき、チームメイトの期待。最初の投球は、少し高めに浮いて、キャッチャーミットをかすめた。あの時の焦りと、今の焦りが重なる。的を外したナイフが、あの時のボールと重なって見えた。
二本目のナイフを握る手は、先ほどの失敗の恐怖が蘇り、石のように硬直していた。イトーヌを傷つけそうになった光景が、彼の集中力を完全に奪い去っていく。的の金色の果実を見据える目は不安定に揺れ、指先から伝わるナイフの感触さえも曖昧に感じる。
「落ち着け……落ち着くんだ、タケル」
自分自身に言い聞かせようとするが、心臓の不安気な鼓動は止まらない。イトーヌの安全を最優先に考えれば考えるほど、手は言うことを聞かなくなる。そんな状況で投げられた二本目のナイフは、タケルの切なる願いを裏切り、的から遠く離れた場所に、鈍い音を立てて突き刺さった。
残されたチャンスは、後一回。空気は重く、時間の流れさえも遅くなったように感じる。タケルの額からは冷たい汗が滴り落ち、呼吸は浅く速い。失敗すれば、課題に失敗するだけでなく、イトーヌに修復不可能な恐怖を与えてしまうかもしれない。
台座の上で、イトーヌは今もブルブルと震えながらも、懸命にタケルを見上げ、小さな声を絞り出した。
「ぼくは……タケルを信じてるから……こわくないんぬ! だから……大丈夫、タケルならできるんぬ!」
その小さいながらもしっかりとした声、揺るぎない信頼の目を差し向けられた時、タケルの心臓の奥底に、熱い何かが沸々と湧き上がってきた。イトーヌの純粋な信頼を、絶対に裏切るわけにはいかない。一投目の恐怖、二投目の後悔。それら全てを強さに変えて、最後のナイフに、全てを託すしかない――。
タケルは、最後のナイフをしっかりと握りしめ、深呼吸を三度繰り返した。前方にいるイトーヌと、その頭上の金色の果実を、ひたすらに見据える。イトーヌの強い信頼に応えなければならない。もう、失敗は許されない。
空気は張り詰め、サーカスのテントの中は深い静寂に包まれた。ライの青色の瞳も、タケルの一挙手一投足を見守っている。
まるでマウンドに立つピッチャーのように、タケルは静かに呼吸を整えた。全身の力を抜き、指先、手首、そして腕全体の感覚を研ぎ澄ませる。かつて幾度となく繰り返した、ボールを投げる前のルーティンが、彼の集中力を高めていく。風の音、テントの匂い、そしてイトーヌの微かな震え。全ての感覚を一点に集約し、金色の果実を、キャッチャーミットに見立てる。
タケルの意識は、極限まで研ぎ澄まされていた。心臓の鼓動は、先ほどまでの不安な速さから一転し、ゆっくりと、しかししっかり安定して脈打っている。手の震えは完全に消え、指先には最後のナイフの冷たい感触が伝わってくる。
「イトーヌ……信じてね」
短い、しかししっかりしたタケルの言葉は、静寂の中に溶けた。そして、その言葉と同時に、タケルの手が迷いなく動いた。
放たれた最後のナイフは、空気を鋭く切り裂き、矢のように的へと一直線に飛んでいく。タケルの全集中力、イトーヌへの信頼、そして課題を克服する強い意志。その全てが、この一投に凝縮されていた。
ナイフは、寸分の狂いもなく、金色の果実の中心を射抜いた。金色の果実が弾け、果汁が雨のようにイトーヌの白い毛並みに降りかかった。
テントの中には、一瞬の静寂の後、深い安堵のため息が満ちた。イトーヌは、頭の上に散らばった金色のりんごだったものに目を向け、それから、タケルの方へと、大きな瞳を輝かせた。
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