第12話

12-1

 全力疾走する馬に乗った男が、矢を放つ。それは見事に木製の的へ命中し、観客席から歓声と拍手が沸き起こった。

 水車小屋の修理を終えてから三週間ほどが過ぎた、十二月二十五日。城では、キリストの聖誕祭の祝宴が盛大に行われていた。

 朝から礼拝堂でのミサや、贈り物交換会、狩猟ショーなどプログラムは盛りだくさんだったらしいが、昂生はそれらには一切顔を出さず、この馬上弓術の観戦からの参加だった。

 城の敷地内に設けられた特設会場には、砂と藁を敷き詰めた百メートルほどの直線コースが作られている。そのコースに等間隔で設置された三つの的を、馬を全速力で走らせながら、どれだけ正確に射抜けるかを競う演目らしい。馬に乗るのは騎士団員たちで、彼らの巧みな乗馬と弓の腕前が、会場を大いに盛り上げていた。

「レオンハルトも出ればよかったのに」

 昂生はビールを呷りながら、隣に座る騎士団長に言う。

「俺が出たら優勝してしまうんで。それじゃつまらないでしょう」

「レオ、自信過剰な男はモテないらしいよ」

「へえ。お互い苦労しますね」

「俺はモテなくてもいいし。特定の一人以外には」

「なるほど」

 大げさに頷いてみせるレオンハルトに、昂生は笑った。

 レオンハルトは、昂生が伊織に特別な感情を抱いていること知っている。昂生が打ち明けたのではなく、伊織に対する昂生の表情や態度から察したらしい。さすが一国の騎士団を率いる総長だけあって、観察眼が鋭い。――レオンハルト曰く、昂生の気持ちは「バレバレだった」みたいだけど。

 昂生はモテたい唯一の相手である人を思い浮かべた。

 聖誕祭の準備で忙しいようで、伊織とは朝食の時間以降会っていない。数時間会えていないだけで、禁断症状のようにそわそわとしてしまう。そんな自分に呆れながら、渇きを潤すようにまたビールを飲んだ。

「でも王子、俺の代わりに優秀な新人が出てますよ。ほら、次に走る彼です」

 そう言ってレオンハルトが指差す先には、馬に跨るスラリとした後ろ姿があった。

 薄手のガンベゾンの上から着用した革製のコルセットが、細い腰のラインを際立たせている。馬の背に乗る尻は小さく、脚は長い。騎乗用のロングブーツがよく似合っていた。

 ――なんかあの身体の感じ、見覚えあるような……。

 昂生が首を傾げていると、男がゆっくり振り返った。その瞬間、昂生は目を見開く。

「――は?…………伊織?」

 思わず椅子から立ち上がり、観客席から身を乗り出した。

 オープンフェイス型の兜からは、男の整いすぎた顔が覗く。美しく愛しい彼を、見間違えるはずがない。

「おいレオ、い、伊織……ガチで伊織なんだけど……え、なん、馬乗ってる……」

 慌てふためく昂生の横で、レオンハルトが吹き出した。そのニヤけ面に、騎士団長はこの事態を、あらかじめ把握していたのだと知る。

「お前、知ってたのかよ……てか、弓射んの? 馬乗りながら?……いや、ダメだろ。待って、ダメ。やめさせないと。危なすぎる、落ちたらどうす――」

「王子、落ち着いてください」

 レオンハルトが昂生の肩に手を置く。

「彼なら大丈夫ですよ。幼少期から乗馬を嗜んでいたようで……お、始まりますよ」

 事態が飲み込めない昂生を置いて、走行開始の笛の音が高らかに鳴り響いた。昂生は混乱しながらも、馬上の伊織をただ見つめるしかない。

 馬が砂のコースを駆け出すと、伊織はわずかに身を屈めた。馬のリズムに合わせて身体をしならせ、安定した姿勢を保つ。

 最初の的が近づいた。伊織は馬の腹を抱き込む脚と、上半身のバランスだけで身体を支え、弓を構える。

 音もなく矢が放たれ、一直線に的の中心へと吸い込まれた。

「……わお……」

 思わず声が漏れ出た。伊織の動作には一切の無駄がない。背筋を真っすぐに伸ばし弓を放つ姿は、優雅な舞のように美しい。

 二つ目、三つ目の的も同じような正確さで射抜かれる。その度に観客席は大きな拍手や歓声で揺れ、昂生も気づけば立ち上がったまま、伊織に声援を送っていた。

 コースを駆け抜けた伊織が馬を緩めながら、視線を客席に彷徨わせる。

「伊織!」

 大声で呼ぶと、伊織は昂生を見つけ、そしてどこか得意げに笑った。

 そのキラキラと輝く笑顔に、昂生の心臓は四つ目の的になり、もちろん見事に射抜かれる。

 居ても立ってもいられず、レオンハルトと共に、急いで伊織の元へ向かった。

 厩舎の側まで来ると、騎士たちと話す伊織を発見した。ブーツの泥を落としながら、リラックスした表情で笑っている。

「伊織」

 昂生の声に顔上げた伊織が、嬉そうに笑みを深くした。

「王子。見ていてくれました?」

 まるで悪戯を成功させた子供みたいに言うから、昂生の心臓に刺さった矢が、さらに奥の奥に食い込む。

「見てたよ。すげぇカッコ良かった。……いや、てか、なに。なんで馬乗ってんの」

 伊織は少し照れくさそうに笑いながら、レオンハルトの方を見やった。

「聖誕祭の演目を相談していた時に、レオンハルト様に参加のご提案をいただいて。王子を驚かせようと思って、内緒で練習してたんです」

「イオリ殿が幼い頃から乗馬と弓を嗜んでいたと聞いたので、これは面白いことができるかもしれないと」

 予想通り、今回の立案者だったレオンハルトがニヤリとしながら言う。周りの騎士たちも、少し興奮気味に話に加わった。

「いやぁ、イオリ殿の才能には驚かされました。たった三回程度の練習で、あれだけの演技ができるなんて」

「本当に素晴らしかったです。三枚の的すべて、見事に中心を射っていましたよ」

 騎士たちが口々に褒めると、伊織は首を左右に振る。

「いえ、そんな。正直、本番前は不安で仕方なかったんですが、なんとかうまくいって良かった。皆さんのご指導のおかげです」

 どう見てもなんとかうまくいったレベルじゃなかったけれど、謙遜気味に微笑む伊織に、騎士たちの頬はだらしなく緩む。

 ――またこいつは……計算なのか天然なのか知らないけど、すぐ周りの人間の心を掴むんだから……俺の伊織なのに。いや、俺のじゃないけど。くそ。

 昂生が内心でぶつぶつ呟いていると、

「王子へのサプライズ、成功しました?」

 伊織が無邪気な顔で訊く。

「……大成功すぎ」

 昂生が答えると、伊織は最上級に綺麗な笑みを浮かべる。その嬉しそうな笑顔に、さっきまでの拗ねたような気持ちはあっさり消えていった。

 騎士たちと同じように――いや、きっとこの中の誰よりも緩んだ顔をしているだろう昂生を見て、レオンハルトが小さく噴き出す。

 とりあえずこの騎士団長は、後で飲みに付き合わせようと思っていると、「コウセイ王子」と声をかけられた。

 振り返ると、線の細い、神経質そうな顔立ちの男が立っていた。初めて見る顔だ。高級そうな服に身を包み、蛇の模様が彫られたクラバットリングを指先で弄びながら、昂生たちに近づいてくる。

「殿下、お久しぶりでございます。民政長官として長らく公務で城を空けておりましたが、本日ようやく戻りました。聖誕祭にて王子のお姿を拝見でき、この上ない喜びでございます」

 その仰々しい挨拶に、昂生は眉をひそめた。

 ――民政長官……ああ、と気づく。この男は、財務長官フレデリック・ベルモントの息子、エドガー・ベルモントだ。市民の請願書に赤丸を増やしている諸悪の根源。

 エドガーは昂生に深々と頭を下げると、すぐに隣に立つ伊織へと目を向けた。

「君は先ほどの馬上弓術で、全ての的に命中させていた騎士だね?」

「……え、ええ。ですが私は、騎士ではなく――」

「素晴らしい馬と弓の技術だったよ。しなやかな身体の動きがとても美しくて、思わず見入ってしまった」

 伊織を遮り、エドガーは伊織の身体全体に視線を這わせた。その目は上から下へと、あからさまに伊織の曲線を舐め回すように移動していく。まるで高価な品物の価値を査定する商人か、獲物を物色する蛇みたいに。

 昂生は男の無遠慮で下卑た目つきに、胸の底から苛立ちが込み上げた。

 エドガーはDomだ。オーラを隠そうともせず、むしろ偉そうに振りかざす、昂生の一番嫌いなタイプの。

 無意識のうちに、ディフェンスを発しそうになっている自分に気づく。

 ディフェンスは、自分のSubを他のDomから守ろうとする威嚇のようなオーラのことだ。ここでそれを出せば、伊織がSubだとバレてしまう。昂生は奥歯を噛み締め、衝動を抑え込んだ。

「私と共に祝宴を楽しまないか? 私の席には上等な葡萄酒も用意してあるし、この後の音楽会でも、なにか曲をリクエストしてやるぞ」

「エドガー」

 伊織を高慢な態度で誘う男を、昂生は低く呼んだ。ディフェンスも怒りも、堪えるのに苦労する。

「悪いけど、こいつは騎士じゃなくて俺の近侍だから。お前はお前の従者に世話してもらえよ」

「近侍? ……ああ、彼が噂の。優秀だと聞いておりますよ。なおさら、色々とお話を――」

「聞こえなかった?」

 昂生の温度のない声に、エドガーが怯んだように口を噤んだ。ディフェンスはしていないけれど、ただ純粋な怒りがあふれ出る。伊織の手を引いて、エドガーの視界から消すように背の後ろに隠した。

「こいつは、俺の。何度も言わすなよ」

 意識せずとも鋭くなる目で見据えると、ようやくエドガーも昂生の雰囲気に気づいたのか、その顔に引きつった笑みを浮かべる。

「し、失礼しました。……私も帰城したばかりで、挨拶回りをしないといけませんでした。……それでは」

 そそくさと背を向け去って行くエドガーに、昂生は怒りを逃すように大きく息を吐いた。

「伊織、大丈夫?」

「……ああ。大丈夫。……不快度は、息子が一歩リードだな」

 振り向いて問いかけると、伊織はわずかに眉をひそめながら、小声でベルモント親子への皮肉を口にした。エドガーの露骨な支配欲を帯びたオーラにも、伊織は体調やメンタルを崩した様子はなく、むしろどこか呆れたような表情を浮かべている。それを見て、昂生はほっとし肩の力を抜いた。

「なんであんなのが民政長官やってんの。完璧に人選ミスだろ」

「彼は財務長官のご子息ですからね。やりたい放題ですよ」

 レオンハルトの冷たい声に、昂生は彼の表情を伺う。

「なに、あいつやりたい放題なの?どんな奴?」

 レオンハルトは一度周囲を見回し、澄ました顔を作った。

「公務に精を出し、国のために尽力されている方だと」

「レオ、聖誕祭だぞ? 無礼講でいこう。キリスト様が守ってくれるよ」

 昂生がレオンハルトの肩を叩くと、彼は表情を緩ませにやりと笑う。

「それでは。我が国の民政長官は、公務だと言って国の金で遊び歩いている、クソみたいな蛇野郎ってところですかね」

 その言葉に、昂生も周りの騎士たちも一斉に噴き出した。伊織まで手で口元を隠しながら肩を震わせている。

 側にいた若い騎士が身を乗り出して、小声で付け加えた。

「町の無頼漢どもともつるんでるって噂もあります。花街にも頻繁に出入りしてるとか」

「花街……」

「……そういえば、……以前読んだ物語の中で、ある王国の話なのですが……」

 レオンハルトが急に調子を変え、まるで昔話をするように声を落として話し始める。

「その物語は、王族の不評を広めろと金を渡す男がいて、そのカフスボタンには蛇の刻印が入っていたとか。そんな情報を、花街の女から聞いた騎士がいるという話でした」

 昂生は伊織と目を合わせた。伊織の驚いた表情に、レオンハルトの「物語」が何を意味するか、彼にも伝わっていることが分かる。

 以前、花街で働く者たちに金を渡し、王族の悪評を意図的に広めようとしている連中がいるという話を聞いたことがある。その人間が、城の高官かもしれない可能性が出てきたのだ。

「……なるほどね。レオンハルト、その本は棚に鍵かけてしまっとけ」

「承知」

 レオンハルトもその情報が危険なものであると理解しているのだろう。昂生にわずかに頭を下げ、静かにうなずいた。

 伊織が咳払いをして、場の空気を切り替えるように言った。

「今話されたことは全て、この場限りということですね。私も、皆さんが花街で楽しんでいることは忘れますので」

 伊織は顎をそらし、わざと冷たい視線で微笑んで見せる。騎士たちは気まずそうに視線を交わし、騎士団長に助けを求めるような目を向けた。

「ああ、……ちょっと喋り過ぎました。イエス様のご加護を」

 レオンハルトがおどけて言う。昂生は笑い、騎士団長の肩を小突いてやった。

「それでは、ご加護を受けに祝宴に戻りましょうか」

 伊織が何気なく促すと、一同は会場へと歩き出した。伊織と一瞬視線を交わし、昂生も皆に続く。華やかな聖誕祭の光景が近づく中、エドガーについて考えを巡らせた。

 伊織の調査では、財務長官フレデリックが反王族勢力と繋がっている可能性があるという。もしそれが事実なら、息子であるエドガーも?

 ――敵は、蛇の一族か?

 昂生はエドガーの湿った光を宿した目を思い出し、無意識に顔を顰めた。

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