108 黒煙

 『緊急ニュースです。本日午前9時43分、福島県郡山市の中央通りで爆破と思われる大規模な事件が発生しました。

 詳しい状況は、現場の高橋アナウンサーにお伝えします』

 『……はい、こちら現場の高橋です』

 画面には、煙の立ちこめる中央通りを背に、ヘルメットを着用した若い女性アナウンサーが映し出される。

 『現在、郡山市中央通りでは草薙警備会社ビルの大規模爆発を受け、消防による必死の消火活動が続いています。

 ご覧のとおり、建物の中腹からはなお黒煙が上がっており、時折、小規模な爆発音が確認されています。

 周辺では道路が破片や横転した車両で塞がれているため、救急隊の進入が難航しており、救助は思うように進んでいない状況です。

 死傷者の数はまだ判明しておらず、警察は重火器による攻撃の可能性も視野に捜査を進めているとのことです……』

 会議室。

 長いテーブルの中央に楓が座り、その両側には黒楓会の幹部たちが並んでいた。

 「いやぁ……派手にやりやしたね、クックック」

 稲村が愉快そうに笑う。

 清水はテレビ画面から目を離さず、ぽつりと漏らした。

 「……すげぇ……」

 柏が腕を組み、口の端を吊り上げる。

 「ざまぁ見ろ……こっちに手ぇ出したツケ、きっちり払わせただけだ」

 「矢崎副隊長から連絡がありました。横内勘助の便は、すでに出発済みです。これで、証拠も繋がりも完全に断てました。……ですが、本当にこのまま逃がしてよろしいんですか」

 「ああ」

 楓は視線をテレビから逸らさず、淡々と言った。

 「俺たちは極悪人じゃないんだ。ちゃんと働いてくれた奴には、それに見合う報酬を払うさ」

 その言葉は――横内勘助に向けたものだけではない。

 契約満了を控える佐藤に向けた"意図"も含まれていた。

 黒楓会の情報と暗殺の精鋭部隊、"影"の隊長。

 佐藤守は黒楓会の裏取引から幹部の動き、勢力図の変動まで、あらゆる機密を把握している。

 その情報量は、時に楓と並ぶほどだ。

 もし楓が、口封じのために横内勘助を殺していたら――

 佐藤は間違いなく警戒を強める。

 最悪の場合、契約満了日には「次は自分が消されるかもしれない」と判断しうるだろう。

 だからこそ楓は、あえて横内勘助を逃がした。

 ただ逃がすだけでなく、一生暮らせる大金まで渡したのだ。

 それは同時に、佐藤守への無言のメッセージでもあった。

 ――俺は契約を裏切る真似はしない。だから安心しろ、俺のために働け。

 佐藤は表情を崩さないまま、視線だけをわずかに落とした。その奥に静かな感心が滲む。

 ――さすがは木下組長が見込んだ男だ、暴力だけでは人は動かない……それを理解している。

 その時、楓の携帯が鳴った。

 画面に浮かんだ名前を見て、楓はわずかに眉をひそめる。

 ――海老原一。特監局の老狐。

 ゆっくり通話ボタンを押す。

 「……俺だ」

 『おやおや楓くん。とんでもないことをやってくれたねぇ。

 局長がね、さすがに怒鳴ったよ』

 「何のことやら、俺にはさっぱり見えんな」

 『……ほう、そう来るか。本当に、君じゃない、と?』

 「ニュースの爆破のことなら知らん。俺はまだ茨城で、三河と遊んでるぞ」

 一瞬、海老原が鼻で笑う気配。

 『君は忘れてないよねぇ? 僕は"特監局"の人間だよ。

 早乙女裕作が殺されたことも、昨夜君の拠点が襲われたことも……ぜんぶ把握してる』

 「……」

 『こう考えるのが自然だと思うんだがね。

 ――早乙女組を利用して三河会とぶつける算段だった。

 ところが早乙女の次男に読まれて、草薙警備会社を寄こされた。

 で、その草薙が今日の朝には"爆破"』

 海老原の声は穏やかだが、言葉の刃だけは鋭かった。

 『これだけ綺麗に線が繋がって……全部ただの偶然、って言われるとね。

 この年寄りの耳にも、さすがに嘘っぽく聞こえるんだよ』

 ――まさか特監局が、こっちの動きをここまで把握してやがる。

 おそらく警察経由か、通話をどこかで盗聴されていたか。

 いずれにせよ、このままじゃまずいな。対策を考えないと。

 「さあな。犯人は黒楓会じゃない――それだけは保証する。

 草薙警備会社の内紛って線もあるし……それに、犯人は、"とっくに"海外に高飛びしたんじゃないか?」

 『……ほーう。なるほどね。

 君がどうやって この短時間で草薙警備会社の内部まで手を伸ばしたのか……そこは実に興味深いところだけど。

 まあ、犯人が"もう"海外に逃げたんじゃ仕方ないね』

 海老原は電話口で、まるで相槌を打つように「うん、うん……」と小さく頷く気配を見せた。

 『ただね、楓くん。今回の件が、国内にどれほどの混乱をもたらすか……

 それだけは、きちんと理解しておきたい。こういう真似は――二度とやるな。分かったかい?』

 さすがに国内で、しかも市街地のど真ん中でRPGをぶち込むなど、楓自身も、やりすぎた自覚はある。

 「……ああ。言われなくても」

 『うん、それならいい。

 世論への対応はこちらでなんとかする。

 そうだね……"二十年前の爆破テロ事件の模倣犯"って線で処理しておくよ』

 楓は携帯を耳に当てたまま、眉をわずかに動かした。

 ――妙に手回しがいいな。

 短い付き合いではあるが、楓はあの老狐の本性だけは嫌というほど理解している――海老原が、見返りなしで誰かを助けるはずがない。

 その時、佐藤の携帯がわずかに震えた。

 画面には一通のメール。

 無言で開いた佐藤の目に、草薙警備会社に関する膨大な資料が映し出される。

 スクロールしていくと、株主欄に記載された"ある名前"が視界に入った瞬間、佐藤の指が止まった。

 普段はどんな情報にも動じない男が、ほんのわずか――目を丸くする。

 その小さな変化を、楓は横目で見逃さなかった。

 しかし表情は変えず、海老原の声だけを淡々と聞き続けている。

 『あ、そうそう。ひとつ伝え忘れてたよ』

 海老原はわざとらしいほど軽い調子で続ける。

 『草薙警備会社の件なんだけど……"徹底的に片付けてくれ"って、吉田局長からのご指示でね。頼むよ、玄野くん』

 携帯を閉じると、楓は静かに問いかけた。

 「……どうした」

 「草薙警備会社の資料を入手しました。ですが……」

 言葉を選ぶように、ほんの一拍だけ間を置く。

 黒楓会の幹部たちの視線が、一斉に佐藤へ向けられた。

 「草薙警備会社の株主には、早乙女晋作のほかに……ロシア人の名前があります。

 ――"アレクセイ・チェコフ"」

 「アレクセイ・チェコフ……何者だ?」

 楓の問いに、佐藤は表情を変えず、静かに答えた。

 落ち着いているようで、その声には微かな緊張が混じっている。

 「人物そのものは把握していません。

 ただ――"チェコフ"という姓には、気になる点があります。」

 幹部たちが息をのむ気配。

 佐藤は、淡々と、だが確信を持った調子で続ける。

 「自分は、CIAの外籍情報員として冷戦期にロシアへ潜入した経験があります。

 その際、ロシア最大の裏勢力――スコート・ファミリーの資料を調べました。

 その最高幹部、通称"三元首"のうち……ひとりのファミリーネームが"チェコフ"でした。」

 幹部たちの顔色が一斉に強張る。

 「スコート・ファミリーのメイン事業のひとつは、傭兵部隊の派遣です。

 そして横内勘助の証言によれば、草薙警備会社には"外籍部隊"が存在する。

 この二つの情報を合わせて考えると……草薙の外籍部隊は、スコート・ファミリー直属の傭兵部隊である可能性が高い」

 「なんだと――!?」

 稲村が思わず椅子を蹴って立ち上がる。

 「こりゃあ……また偉ぇこった……」

 柏も息を呑み、顎がわずかに震えた。

 楓は目を細め、低く呟いた。

 「スコート……ファミリー、か」

 メキシコのLT。

 イタリア・マフィア。

 ロシアのスコート・ファミリー。

 中国の洪門(ホンメン)。

 そして日本の 川口組。

 世界を裏から動かす五大勢力。

 麻薬、武器、暗殺、不動産、資金運用、ギャンブル、娯楽、風俗――

 裏社会のあらゆる利権を、巨大な吸血鬼のように食い物にしてきた連中だ。

 もちろん、その支配領域は似て非なるものだった。

 LTは麻薬の帝国。

 南米・北米・アジアへ伸びる密輸ルートを掌握し、年間取引額は国家予算を超えるとも言われる。

 イタリア・マフィアは、裏社会最強と恐れられる暗殺部隊を抱え、政治家・軍人・実業家――必要とあらば誰でも葬る。

 洪門は、香港・マカオを中心に娯楽王国を築いた。

 カジノ、バー、映画産業、芸能――東アジアの夜を支配する組織だ。

 川口組は世界規模の資本と不動産の巨人。

 表向きは企業を装いながら、その裏では暴力と巧妙な資金運用を武器に、国境を越えて莫大な富を動かしている。

 そして――

 スコート・ファミリー。

 "武器屋"の異名を持つ、世界最悪の軍需マフィア。

 ソ連崩壊を機に軍・警察の統制が崩れ、大量の武器が闇市場へ流出した。

 その混乱の中で最も勢力を伸ばしたのが、スコート・ファミリーである。

 ロシアの政界に賄賂を流し込み、国家機関の影を盾に、表向きは「合法」な輸出を、裏では公然とした武器密輸として拡大。

 さらに、自前の武装傭兵部隊を世界中へ派遣している。

 もし佐藤の分析が正しければ――

 草薙警備会社の背後には、スコート・ファミリーがいることになる。

 その意味は、単なる一企業の問題ではない。

 黒楓会が、世界の巨人の一つを本気で敵に回した――そういうことだ。

 ――草薙警備会社の件を「徹底的に片付けてくれ」。

 海老原の言葉の意味が、ようやく腑に落ちた。

 つまりこうだ。

 日本に爪を伸ばし始めた外籍部隊を、表の組織では排除できない。

 だから裏社会――黒楓会を使って、影のまま処理させる。

 公的機関がロシアの傭兵部隊と正面衝突するわけにはいかない。一歩でも誤れば、たちまち国際問題に発展しかねないからだ。

 だが、裏社会同士の抗争として結果だけ出るなら、誰も困らない。……いや、困るのは死んだ側だけだ。

 ――そういう理屈だ。

 だから特監局は、あれほど狂った死傷者百名超えの爆破事件でさえ、やけに"熱心に"後始末へ走ってくれるわけだ。

 国の体面も守れる。

 スコート・ファミリーへの牽制にもなる。

 その裏で、矢面に立って憎まれるのは――黒楓会だけだ。



 

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