107 爆破

 ――早乙女晋作。

 楓の脳裏に、早乙女組の資料がよぎる。

 次男・早乙女晋作。留学を経て福島で企業を起こしたと記されていた。

 まさか、その企業が――草薙警備会社だったとは。

 だとしたら、早乙女組はすでに、裕作を殺した真犯人が黒楓会であることを掴んでいた。

 それどころか、黒楓会の拠点までも突き止めたということになる。

 ――さすがは、この茨城で根を張る古参勢力。侮れば命取りだ。

 「いま、草薙"三番隊"と言ったな。一体、何番隊まである?」

 「……四番隊までだ。だが"草薙隊"はあくまで表向きの警備部門だ。

 俺も元自衛官だが、今はただ給料をもらってる下っ端にすぎねぇ。……気をつけたほうがいい。草薙警備の本当の主力は――外籍傭兵部隊だ」

 「外籍傭兵部隊……だと?」

 楓の声がわずかに低くなる。

 「詳しくは俺も知らねぇ。奴らは俺たちと違って、極秘任務しか請けねぇ、秘密主義だ」

 楓はちらりと視線を佐藤に投げた。

 佐藤はその意図を即座に読み取り、静かにうなずく。

 ――早乙女晋作と草薙警備会社を調べろ。

 無言の指示は、それだけで十分だった。

 楓はいくつか質問を続けたが、横内勘助はただの実働部隊員にすぎず、それ以上の情報は持っていなかった。

 「最後の質問だ」

 楓は男の目を見据える。

 「たとえ俺たちがあんたを殺さなくても――早乙女晋作は、あんたを生かすと思うか?」

 横内勘助は口を閉ざした。

 沈黙が数秒、湿った倉庫の空気を支配する。

 彼はすぐに悟る。自分がただの捨て駒であることを。

 深いため息のあと、しぼり出すように答えた。

 「……思わねぇな。あの人は疑い深い。

 ましてや、俺が任務の途中で撤退を指示したなんて知れたら、真っ先に消される」

 楓は淡々とした声で続けた。

 「そこで――一つ、提案がある。

 俺の頼みを聞いてくれるなら、あんたと、あんたの家族を海外まで逃がしてやる。

 それどころか――一生、金に困らずに生きていける報酬も渡す」

 横内勘助は顔を上げ、眉をひそめた。

 「……頼み、ってのは……」

 楓の口元が、ゆっくりと歪む。

 「それはな――」



 翌日――

 福島県郡山市。

 県内最大の人口を抱え、経済と物流の中心として栄える街だ。

 古くから交通の要衝として発展し、東北新幹線・東北本線・磐越西線が交差する拠点。

 商工業は活発で、数多くの企業の支社や支店が立ち並び、県内でも随一の商業都市として知られている。

 その中心街、中央通り。

 通りに面した一棟の高層ビルの外壁には、「草薙警備会社」の縦文字が堂々と掲げられていた。

 外壁はバブル崩壊前の名残を残すガラス張りのデザインで、どこか時代の光と影を思わせる。

 朝からビルの前には、黒服の男たちが慌ただしく出入りしていた。

 ――どうやら、昨夜の"あの件"で、社内は相当な騒ぎになっているらしい。

 その時――

 中央通りの隅に、一台のバイクが静かに停車した。

 黒いライダースーツの人物が背中のギターケースを外す。

 その中から現れたのは――RPG-7携行ロケットランチャー。

 真昼の陽光が、無機質な金属面に冷たく反射した。

 標的は、草薙警備会社のビル。

 ライダーは一瞬の迷いもなく照準を定め、引き金を引いた。

 ドオォン――ッ!

 閃光と爆音が、街の中心を貫いた。

 爆風が窓ガラスを吹き飛ばし、破片が雨のように降り注ぐ。

 「ギャア――ッ!」

 「ば、爆発だ!」

 「テロだ――!!」

 中央通りを走っていた車が一斉に急ブレーキを踏み、

 悲鳴、クラクション、警報ブザーが入り乱れる。

 人々が我先にと逃げ出し、街は一瞬で混乱の渦に飲み込まれた。

 ドカン――ッ!!

 二発目の爆発。

 ロケット弾は草薙警備会社ビルの中央階層を直撃した。

 瞬間、外壁が炸裂し、コンクリート片と鉄骨が火花を散らしながら四方へ弾け飛ぶ。

 ガラスが吹き飛び、無数の紙と書類が空中に舞い上がった。

 爆風に巻かれたそれらは、炎に照らされながら灰色の煙の中を舞う。

 「うわぁっ!」

 「火だ! 火が出てるぞ!」

 通りを走る人々の悲鳴。

 焦げた臭いと白煙が一気に広がり、視界を覆っていく。

 上層階の窓からは黒煙が噴き出し、内部で何かが爆ぜるような音が続いた。

 崩れ落ちた破片が車のボンネットを貫き、警報音とクラクションが狂ったように響く。

 街全体が混乱に包まれ、燃え残った紙片が、炎の赤に照らされながら空を漂っていた。

 ライダーは素早くRPGをギターケースに戻し、バイクのエンジンを再び唸らせた。

 陽光を反射するヘルメットのバイザーに、爆炎の赤が一瞬だけ映り込む。

 煙が立ちこめる中央通りを離れ、車の列の合間を縫うようにすり抜けていく。

 信号を無視して交差点を抜け、脇道に入ると一気に速度を落とした。

 人気のない路地に滑り込み、ライダーはバイクを倒すように停め、そのまま乗り捨てる。

 近くに止めてあった黒いセダンへ乗り込み、エンジンをかけると同時にハンドルを切った。

 約二十分後。

 郊外のとある倉庫にたどり着く。

 車はそのまま待機していたトラックの荷台へ突っ込み、金属が軋む音とともに、扉が閉ざされた。

 帽子を被った運転手が無言でギアを入れる。

 トラックは陽射しを反射させながら滑るように発進し、太陽を背に、その巨体は北へ――仙台空港を目指して進んでいった。

 仙台空港。

 トラックは貨物エリアの裏手に停車した。

 ライダーはすでにライダースーツを脱ぎ、無地のシャツとジーンズという、ごく普通の服装に変わっていた。

 帽子を被った運転手が後部扉を開け、無言でスーツケースを差し出す。

 「ご苦労だったな、横内勘助。これがチケットとパスポート、それにスイス銀行UBSの通帳だ。お前の家族は――ターミナル2の搭乗口で待っている」

 横内は短くうなずき

 「……ああ、玄野さんには礼を伝えてくれ」

 帽子の男は返事をせず、ただ軽く顎を引いた。

 エンジンの音だけが、貨物エリアの静寂にこだました。

 横内勘助はスーツケースを片手に、遠ざかっていく車のテールランプを黙って見送った。

 ――これで間違いなく、指名手配だな。

 唇の端が、かすかに震えるように歪んだ。

 「さらばだ、日本」

 その声は誰に届くこともなく、滑走路から吹き込む風に、静かに溶けていった。



 時を少し前に戻す。

 郡山市・中央通り。

 草薙警備会社のビルが爆破され、衝撃波と炎が一瞬で周囲を呑み込んだ。

 市街地で重火器による襲撃など、誰も予想していなかった。

 草薙警備会社の初動は遅れ、引火した車両の爆発で二次災害が連鎖する。

 社内のデータや書類保管庫も炎に包まれ、重要な資料の大半が焼失。

 爆発と二次災害により、死者約30名、重軽傷者約120名 が発生。

 その数には、幹部数名と外籍要員も含まれていた。

 実質的に、草薙警備会社は壊滅状態に陥っていた。

 まもなくして、サイレンの音が各方向から響き始める。

 警察、消防、救急車が次々と駆けつけるが、道路には衝撃波で横転した車や破片が散乱し、進入が困難。

 救助の手は思うように届かず、時間だけが過ぎていく。

 煙と炎の中で、断続的な爆発音がまだ響いていた。



 ――その頃、筑波の洋館。

 重厚なリビングに置かれたテレビの画面では、現場の映像が生中継されている。

 『――速報です。福島県郡山市の中心部で、先ほど大規模な爆発が発生しました。

 現場は草薙警備会社の本社ビル前。現在も炎上が続いており、周辺では救助活動が行われています。

 死傷者の数はまだ明らかになっていませんが、警察によりますと、爆発は重火器による攻撃の可能性もあるということです。

 現場は一時、騒然となり――』

 画面の中では、黒煙の立ちのぼるビルと、懸命に負傷者を運ぶ消防隊員の姿。

 テレビの光が、静まり返った洋館の空間に淡く揺れていた。

 テレビの前――。

 早乙女晋作は思わず口を開き、言葉を失ったまま、画面を見つめていた。

 「こ、これが……黒楓会のやり口か。頭がイカれてやがる……」

 隣で見ていた父・早乙女正晋でさえ、額に冷や汗をにじませている。

 長年、極道の世界を生き抜いてきた男の顔から、わずかに血の気が引いていた。

 晋作は無理やり動揺を噛み殺し、重たくソファに腰を沈める。

 震える指先でグラスを掴み、水を一口。

 喉を通る冷たさで、ようやく心臓の鼓動が落ち着いた。

 再びテレビに目を戻す。

 画面の中では、燃え上がる草薙警備のビルと、逃げ惑う人々の映像が繰り返し流されている。

 晋作はゆっくりと拳を握りしめた。

 ――玄野楓。よくもやってくれたな。

 今までの相手は、どんなに手強くとも「常識」で測れた。

 あの三河会の議員ですら、ここまでの真似はしなかった。

 だが今回は違う。

 この一撃は、あまりにも――非常識だった。

 その時――早乙女晋作の携帯が鳴った。

無言のまま耳に当てる。

 『しゃ、社長! 大変です! 本社のビルが――!』

 部下の叫びが続くが、言葉はもう頭に入ってこなかった。

 耳鳴りのように遠のいていく声。

 晋作は口を閉ざし、微動だにしない。

 『もしもし社長?! ご指示をお願いします! ……あれ、電波が――ダメです、聞こえていないみたいです!』

 通話が途切れても、晋作はしばらく携帯を耳に当てたままだった。やがて、力が抜けたように腕を下ろすと、その表情がみるみる変わっていった。

 いつもの冷静でエリート然とした面影は跡形もない。

 顔は怒りに歪み、こみ上げる殺気が体の奥底から滲み出ていく。

 その様子を横目で見ながら、父・正晋が静かに口を開いた。

 「……落ち着け。建物が壊れたなら、また建て直せばいい。

 だが晋作――これで黒楓会は、社会的に終わったんじゃないのか?」

 「……いや、直接爆破を仕掛けた者は、もうどこにもいないはず。海外へ逃げたか、あるいは口を封じられている可能性が高い。

 仮に見つけ出したとしても、黒楓会が関与したという証拠はどこにも残らん。第一、表向きは草薙警備会社と黒楓会の間に何の繋がりもない。

 犯人が分かっていても、断罪できない――完全にやられたな」

 眼鏡の奥で、晋作の瞳が赤く光る。

 「だがな、これで黒楓会は確実に終わりだ。

 草薙警備会社をただの警備会社と思うな。その資本の半分以上は、世界最強の裏勢力の一つ、"スコート・ファミリー"が握っているんだ。

 とくと見るがいい――地方の一暴力団が、本物の"世界レベル"の化け物の怒りに焼かれて、どう滅びるかをな」

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