第2話『出来る女』

「あの、雫さん」

「はい何でしょう、凪音様」

「どうして僕の家に入れてるんですか。鍵かけてましたよね」

「合鍵です」

「そんな当然のように言わないで下さいよ......!なんで持ってるんですか!」

「私は用意周到な人間ですので」

誇らしげに胸を張る彼女に凪音は思わず絶句した。


凪音と会話しながらも、雫は動きを止めない。カーテンを開いて部屋を明るくした後、俊敏しゅんびんな動きでゴミを片付けている。

彼女が繰り返す、立って屈んでの動作はかなりきついはずなのだが雫の表情は一切変わらない。

雫がどこからか持ってきた大きな袋がどんどん膨れていく。


凪音は一人暮らしだ。料理も掃除も滅多にしない。ゴミ出しだって、下手したら一ヶ月に一回。

結果、生活の中心であるリビングには、空のペットボトル、ページが開かれたまま乱雑に置かれた漫画など、どこを見てもゴミばかり。

足の踏み場なんてあったもんじゃない。

綺麗好きな彼の父がこの部屋を見たら、普段の穏やかさを失って激怒することだろう。その様子を想像して凪音は微かに身震いをした。


「まあそれは後で詳しく聞くとして、どうして僕の家を掃除してるんですか?いや、掃除してくれるのは物凄くありがたいんですが、もう少し説明が欲しいと言うか......」

「先程も申し上げた通りです。私にとって御恩のある方であり、貴方と深く関わりのある方に凪音様を支えて欲しいとお願いされました。それには生活も含まれます。ですので、この自堕落な生活は到底見過ごせません。明日からは凪音様と同居させて頂きます」

「いや待て待て待て!そんなこと突然言われても困りますよ!」

凪音の顔を見て、雫ははぁと短くため息をついた。

「この生活を今後も送っていたら、本当に困ったことになりますよ」

「うっ……」

それを言われればぐうの音も出ない。家事が全く出来ない凪音は、誰かに頼らなければこの不健康極まりない生活をずっと続けていくことになる。


「廃棄物はこの袋にまとめましたので、玄関に置いておきますね」

綺麗になった床や机を見て、凪音は思わず呆気にとられた。

「速っ......」

「掃除機をお借りしてもよろしいですか?」

彼が答えるより速く、彼女は掃除機をかけ始めていた。

「よく掃除機の場所分かりましたね」

「お褒めに預かり光栄です」

「いや、褒めた訳では無いんですけど......」

――何なんだこの人。やりづら過ぎる。


「雫さんの依頼主って誰なんですか?」

「......」

掃除機の機械音だけが部屋に響く。彼女はきゅっと口を結び、口を開く様子は無い。

「あの、なんで無視するんですか。もしかして依頼されて来たって嘘だったりしますか」

その言葉に雫の動きがピタリと止まった。カチリという音と共に機械音が途絶える。

「すみません。掃除機の音で聞こえませんでした。もう一度お願いします」

「いや、聞こえてましたよね」

「......そんなことないです」

彼女は目を逸らしてそう答えた。

「ふふっ」

「なんですか、どうして笑うのです」

「いや、だって、雫さん分かりやすすぎるから」

凪音が声を出さずに笑い続けているのを見て、雫は呆れたように短くため息を吐いた。

「いつまで笑っているのですか。私は嘘などついていません」

表情こそ変わらないが、不服そうな彼女を見てますます笑いが込み上げてくる。

「......帰ります。同居の話は一先ず置いておきます。また明日」

「えっ、待って下さい。まだ訊きたいことたくさんあるんです」

「知りません。ご自分でお考え下さい。では、失礼します」

そう言い残して、彼女はリビングを後にした。ややあって少し乱暴にドアを閉める音が響く。

「ずっと無表情なのに意外と感情的な人なんだな......」

すっかり静かになった部屋で、凪音はそっと呟いた。


つい先程までここにいた少女のことを、凪音は白昼夢のように感じていた。

普段外に出ない彼にとって、人と話したのも、腹が痛くなるほど笑ったのも、本当に久々だった。彼女との会話を思い出すと、胸が温かく満たされて自然と笑みがこぼれた。

「もう一年になるのか......案外早かったな」

凪音は一人きりの部屋でそう呟いて窓に触れた。

「......そういえばもう夜だってのに、どうしてあの人はカーテンを開けていったんだ......?」

窓の外には雲一つない星空が広がっていて、彼は過去を思い返しながら物懐かしさにそっと微笑む。早く彼女と話したくて、明日が来るのが待ち遠しいと久々に思った。









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