第8話 生贄の意味
みさきは訳が分からなかった。…私が、生贄?
活きのいい生贄を見つけた女は、私の二の腕を強く掴むと、「立て。」と言って半ば無理やり立たせ、泣きじゃくるてんちゃんの横を通って空狐の部屋から出ようとする。
「やめてぇ!みさきを連れていかないでぇ!」
てんちゃんは泣きながらみさきのもとへ走る。みさきも、天狐のもとへ行こうとするが、それを空狐と女は許さない。
「止まれ」といって、天狐の足を動かなくさせた。女も、みさきの腕をさっきよりも強く掴む。みさきの腕は女のつめが食い込んで血が滲んだ。
女はみさきと部屋の外に出て、あの時「入るな」と言われた例の部屋に連れて行った。
その部屋には家具は何も置いてなくて、真ん中に蠟燭が1本立ててあり、その横に巫女服が畳んであった。
その巫女服はとてもきれいだが、普通の巫女服とは違うような、独特の禍々しい雰囲気を醸し出していた。
「さぁ。これを着ろ。」
と、女。
空狐の神術は解け、次第に体は動くようになった。しかし、着るのに時間がかかる私を見て女は首をかしげる。
「お前、巫女服も着れないのか?」
「…着れないです。着たこともないです。」
それを聞いて女は驚く。
「まさかだが、この生贄にされる意味も分かっていないのか?」
「…はい。」
女は空狐との言い争いが終わってから落ち着いたのか、先ほどよりもずっと優しい声をしていた。
「そうか。…まぁ、知ってたら死んだほうがましだと思うからな。よし、最後に教えてやろう。お前さんのその命がどのように世界の役に立ち、どれほど名誉なことなのかを。」
正直、「死んだほうがまし」などと言われる理由なら、知りたくないと思った。しかし、てんちゃんがもともと背負うはずの運命。それを何も知らないのも、みさきにとって良くない気がした。
その女はためらいながらも、ゆっくりと話を始めた。
「それは、ずっとずっと昔のことだ。人間同士の醜い争いが絶えなかったころ、人間同士の中で『闇の心』が大きくなっていた。神々が『闇の心』の存在に気づいたころにはすでに時は遅く、神の手には負えなかった。
その『闇の心』は、単なる負の感情ではなく、大きなエネルギーを生み出していた。厄介なことに、それは世界を大きく変えてしまう力であった。そんな力に神々が屈するまいと、抗った結果がこの生贄をささげる儀式だ。
『闇の心』の花嫁として嫁ぎ、人の闇を沈める。」
「や、闇の心って、実態はあるんですか…?」
とみさきは小さな声できいた。実態があるなら、何をされることか…
恐ろしい考えが次々と浮かんでくる。
「わからない。実際、今存在している人も神も、その『闇の心』のことは見たことがない。見たことがあるのはそれに嫁いだ者たちのみで、一度嫁ぐと帰ってこれないことは言える。」
「そこへ嫁いで、何をするのです…?」
「世界の闇を沈める。具体的には、その闇に身を喰われるらしい。…死ぬよりもつらく、その苦しみは永遠と続くとのことだ。」
「だ、だから神力の弱いてんちゃんにこの役を…?」
「そうだ。しかし、私だっておかしいと思うさ。…仕方のないことなんだ。」
そういうと、女はつらそうに目を伏せた。彼女も、犠牲者など出したくないのだ。
知らなかった、てんちゃんにそんな悲しい運命が任されようとしていたなんて。そしてこれから自分がそうなることに、終わりのない恐怖が、鉛より重くのしかかっていた。
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