魔法使いは約束を忘れない



 地下から階段を上がりノアは慣れた動作でドアノブを開け、レイムの部屋に潜り込んだ。もし眠っていたら、そばで朝まで待っていようと思った。

 人間の姿だと隣に寝るのは躊躇する。けど猫の姿なら戸惑いなんてない。

 レイムのベッドに潜り込むと起きていたらしく、すかさず首根っこを掴まれた。

 レイムはベッドから起き上がりノアと顔を合わせる。


「なんのつもりだ」

 何から話せばいいのか分からない。

「こんなものまで作って」


 左耳についている緑色の宝石に触れられる。

「貴様は、本当に、師匠の言いつけを守れない弟子のようだな。また折檻されたいのか」

「俺、レイムさんの使い魔になりたい」

「何を言ってる」


 反応が芳しくない。ノアは続けた。

「だ、だから、俺、変身魔法使えるようになっても、王都に帰ったりしないし、魔法のためだけにレイムさんを利用とか、そんなこと絶対考えてないし……」

 レイムは目を細めてノアを見る。


「と、とにかく、俺、レイムさんじゃないと、ダメなんだ」

「ほぉ、そのお前の告白と、私の使い魔になることになんの関係が?」


 一生猫の姿でいる。それが償いのなるのか分からない。けれど、他にレイムに差し出せるものがない。ノアの後ろ足は、ぷらぷらと宙に浮いていた。沈黙が耐えられない。ノアが我慢できなくなって、後ろ足をピクピクさせると、レイムは膝の上にノアをいた。お互いが向き合う形になる。


「……れ、レイミーなんでしょ。レイムさんが」

 レイムの眉がぴくりと動いた。


「俺が昔出会った魔法使いは、レイムさんのお師匠さまだった」

 レイムはベッドのヘッドボード部分に背を預けてノアの言葉を聞いている。


「フレッドに聞いたのか」

「俺、ずっと、名前、エイミーだと思っていた」

「お前は本当に小さかったから。喋るのが下手だった」


 レイムは目を細めて昔を懐かしむように小さく笑った。

「俺が寂しくて泣いたから、レイムさん師匠のところに帰れなかったんでしょう」

「いや。関係ないな」

「嘘だ!」

「嘘は言っていない」


 レイムは淡々とノアの言葉を否定した。

「ごめんなさい。俺が、あの日遊んで欲しいなんて言わなかったら、レイムさんは、きっと」

 レイムは大きなため息をついた。


「トーマが……。師匠が自分で決めたことだ。最後の日に一人で逝くことは」

「謝っても許されることじゃないけど。俺……」

 否定するレイムの胸に前足を置いて顔を近づける。するとレイムはノアの頭の上に大きな手のひらを置いた。その重さでぺしょりとなってレイムの膝の上に逆戻りになった。


「人の話をちゃんと聞け。私は、違うと言っただろう」

「でも」

「――私は、ずっと人が嫌いだった。その上、自分を拾ってくれた師匠以外の人間を誰も信用していなかった」

「だから、それは俺のせいで」

「いいから、最後まで聞け」


 ノアはレイムに指先で口を塞がれる。ノアのピンク色の鼻がぐいっと押された。魔法をかけられているのか口を開こうとしてもモゴモゴするだけで声にならない。


「師匠は、私のそういうところが自分の弟子として許せなかった。だから、私を死に目に遭わせなかった」


 レイムはノアに静かに微笑みかけた。普段は無表情で取っ付きにくい。会話のキャッチボールはちゃんとしてくれないし、適当。

 それが初めてレイムに出会ったときの印象だった。

 けれど、それはレイムの、ほんの一部。ノアがたくさん話しかければ返事をしてくれるし、困ったり、慌てたり。不機嫌になったりもする。

 ノアはレイムの新しい面に出会うたびに、もっとレイムの本当を知りたいと思った。

 ノアはレイムに言われた通り大人しく言葉の続きを待った。


「生まれてすぐに捨てられて本当の親も知らない。処世術として必要なときだけ周囲と会話する小賢しい子供。それが私だった。師匠は私が他人に心を許していないと分かっていた」

 口を塞がれていた指が離れていく。声を出してもいいらしい。

「でも」

 だからこそレイムは、あの日、唯一信じていた師匠に突き放されて悲しかったはずだ。


「師匠は、最後にお前と遊ぶように、と私に課題を与えた」

「課題って、俺と遊ぶことが?」

「皮肉だろうな。人間を心から愛せないのなら、猫ならどうだ、と」

「それは、違う、と思うけど」


 ノアは極端なことを言うレイムに眉を顰めた。


「そういう人なんだよ。変人で、強大な魔法の力を持っているのに、その力を無駄に使って弟子で遊ぶような男だ」

「楽しい人、だったの」

「楽しくない。私にとっては迷惑なやつだった」


 フレッドが言っていた。先代に遊んでもらって楽しかった、と。けれど、レイムは弟子だったから、腹立たしかったんじゃないかって。

 ノアは先代とレイムに出会ったあの日が、生きていた中で一番幸せな日だった。

 もし、あの日の出会いに意味があったのなら、ノアが、いま生きて、レイムの目の前にいることだと思った。

 ノアはレイムたちに出会っていなかったら、全部諦めていた。

 二人がくれた、愛のかけらが今日までノアを生かしてくれた。


「――やり方は変でも師匠のやることは、いつも意味のあることばかりだったから、ずっと本当の理由が知りたいと思っていた」

 レイムはノアの耳のピアスを優しく撫でた。穴を開けたばかりで、まだちゃんと血は止まっていない。触れられると少し傷がピリピリした。


「魔法使いは、人に心から尽くすことが出来て一人前だ」

「心から、尽くす」


 レイムは頷いた。

「例え師匠の死に目に会えなかったとしても、困っている人を見たら手を差し伸べなさい。師匠は常々そう言っていた」

「それって」

 ノアはレイムの寝間着の袖をつついた。


「言われたときは、別に死ぬときに会えなくても、どうでもいいと思っていた。人はいずれ死ぬのだし、朝から晩まで近くにいて師匠の顔も見飽きていたから」

 レイムは苦笑した。


「きっと師匠は泣いていたお前を放っておけなかったんだろうな。だから自分の代わりに私をあの場に置いて行った」

「だったら、やっぱり俺のせいだ」


 ノアがそう言うと、レイムはノアのほっぺたを優しくつねる。

「関係ないと言っただろう」

 嗜めるようにレイムは言った。


「でも!」

「私は師匠が逝った後、近い未来、お前と何かあるんだろうなと思っていた」

「何かって」


「何だ忘れたのか? 大好きだって、また会いたいって、お前は、あの日私に縋りついて言っただろう?」

 レイムは不敵に笑った。

「え、えっと」


 ノアは顔を真っ赤にする。確かに、木の穴の中でエイミーと一緒に眠ったとき、力一杯自分の気持ちを言葉で伝えた。大好きだって。


「人は約束を守らない生き物だ。絶対迎えにいくと手紙を入れて私を捨てた親がそうだし、悪意を持って他人を騙すような人間もいる」

「……うん」

「あの日ノアは、私の目を見て、絶対と言った。どうせ来ないと思いながら……私は、ずっと覚えていた。師匠が繋いだ縁だったから」


「分かってた、のかな」

「ん」

「レイムさんのお師匠さま。俺が、レイムさんに会いに来るって」

「不思議な人だったから、未来が見えていたのかもしれない。今となっては分からないが、森に変な魔法を残して逝ったのも、私が誰にも会わずに森に引きこもると思ったからだろう」

「優しい人、だったんだね」


 ノアは、あの日のことを思い出す度あったかい気持ちになった。レイムの師匠が優しく抱きしめてくれたから。レイムが、いっぱい遊んでくれたから。

 二人が優しくしてくれたから、ノアは寂しさに押しつぶされることなく、大人になるまで生きてこられた。


「ノアが弟子入りしに来た日。目を開けたとき、お前が膝の上にいて、あぁ、そういうことかって理解した。なるほど、約束を守る誠実な人間もいるんだなって」

「ッ、ぅ」


 レイムは、にっ、と意地の悪い笑みを浮かべた。


「私の人間不信は、お前のおかげで治っているよ」

「エイミーに会いたいって、森でつぶやいたから。俺、レイムさんに会えたの」

「あぁ、そうだ。名前は間違っていたが……オマケだろうな」


 会いたい人に会える森。

 森の中で、さ迷っていたときノアはエイミーに会いたいと口にした。

 ――そして、レイムに、レイミーに再会した。


「お前が会いに来るまでは、人間なんて軽薄なものだと思っていた。お前は会いたいと言ったくせに、全然会いに来ないしな」

「その……森じゃなくて家の離れに閉じ込められるようになったし、名前……違った、し。だから、会えなかったのかな」


「きっと、つらいとき頼れる人ができたのだろう、と思っていた。それなら、もう会えなくてもいいと思ったこともあった」

 レイムはノアを胸に抱いて頭を撫でてくれる。

「でも再び会ったノアは寂しいままだった。小さな子供のように甘えたのくせして、素直に欲しいものを言わないしな」

 最初から、全部教えてくれたらよかったのに。ノアは思った。けれど、ノアは自分で自分の本当の望みが分からなかった。


 人に迷惑をかけないために魔法が使いたい。他の人と同じように働きたい。

 魔法使いになれば、全て解決すると思った。

 けれど、そうじゃなかった。

 ノアは、愛されたかった。

 それ以上に人を愛したかった。愛せる自分になりたいと思った。獣の性に翻弄されることなく、偽りない気持ちを伝える。そんな自分になりたいと思った。

 好きな人に大好きって伝えたい。


「魔法使いは、人の願いを叶えるものだ」

 レイムはノアの体を抱き上げた。


「お前の本当の願いはなんだ。耳に穴を開けて、私の使い魔になることじゃないだろう?」

 ノアは前足をレイムの頬に当てた。ノアの蜂蜜のようにとろけたオレンジの瞳がレイムを見つめる。

「レイムさんが、好き、です。だから、ね。ず、ずっと、レイムさんと一緒にいたい」

 やっと偽りなく伝えることが出来た。自分の本当の気持ちだった。


「あぁ」

 レイムはノアに優しく微笑み返した。周りの空気がふわりと温かくなった気がした。

「王都の街で生きたいと望むなら、叶えてやってもいいと思った。だが、元よりお前に命を削らせるような魔法を使わせる気はない」


 ノアは、こんなにもレイムに愛されているなんて知らなかった。嬉しくて、気持ちが溢れてとまらなかった。


「ところで貴様は、いつまで、そうやって猫の姿でいるつもりだ? 私に愛玩動物として飼われたいわけじゃないのだろう」

 ころんと猫の姿のノアはベッドの上に転がされた。レイムはふわふわのノアの白いお腹を撫でてくる。ぞわり、と体が人間の肌を思い出した。

 発情期で苦しかったとき、レイムが優しく触れてくれた日のことが頭をよぎる。


「ぁ」

「私の使い魔になったら、猫としてしか愛してやれないが? 貴様は、それでもいいのか?」

「や、やだ!」


 ノアの拒絶の声に応えるように、ピアスの宝石にヒビが入った。

 ノアが自分でかけた拙い使役魔法が解ける。

 レイムは勝ち誇ったように、意地の悪い笑みを浮かべていた。


「ノア、私は、使い魔は要らない」

 ノアは部屋に来るまで、レイムにそう言われたら出ていく覚悟をしていた。でも、今この場で、その言葉はノアを本当の意味で迎え入れる言葉だった。

 小さい頃から優しさと愛情に飢えていた。欲しくて欲しくてたまらなかった。

 レイムはノアが欲しかったものを、当たり前のように与えてくれた。その愛は分かりにくかったから、不安になったりもした。


 けれど、ささやかな気持ちでも、全部がノアの宝物だった。

 昔大事に宝石のように心の箱にしまっていた思い出。もう一度開いた途端、宝物は溢れて蓋が閉まらなくなってしまった。


 レイムに触れたくて、甘やかされたくて。たまらない。

 あったかい気持ちで心が満たされ、ノアは人間の姿に戻っていた。

 ただ、溢れた感情は人間の体に全然おさまってくれない。

 ノアの体には猫の耳としっぽが残っていた。

 獣の本能のままレイムの胸元にすりっ、と額を擦りつけてしまう。その姿を見てレイムは幸せそうに微笑む。自分の感情を、気持ちを受け入れられることが、こんなにも幸せなことだってノアは初めて知った。

 好きな人に、好きだって伝えたい。


 この気持ちが叶えられる日がくるなんて思ってもみなかった。

 人間の姿で、再びレイムにベッドに押し倒されて、頭を、猫の耳を優しく撫でられる。レイムに触れられると素直に喜んでしまった。


「れ、レイムさん、俺。その……そんなに触られたら」

「何も隠さなくていい」

 本当の自分を見られたくなくて体をよじったが、くすりと笑って抱きしめられる。

「みっ!」

 びっくりして声を上げたら、頭を撫でられる。分かってると耳元で囁かれた。


「ノアは、子供のとき、私に、結婚して欲しいと懇願した」

「う……それ、は、うん、言った、けど」


「それなのに、再会したら、他の人間どもと同じように、私ではなく私の魔法の力を欲した。お前に、あのときの私の気持ちが分かるか? 正直、顔も見たくないと思ったな」


 レイムが最初頑なに、帰れと言った理由をノアは理解した。


「だって、それは」

「しかし、本当の望みが私と添い遂げることなら、永遠に私に縛り付けてやる」


 レイムはノアに覆いかぶさり、額に口付けた。

「み、ぁ!」

「私はお前が来るのを、ずっと待っていたのにな」

 真上から誘うように見下ろしてくるレイムを、ノアは陶然と見上げていた。


「ほ、本当……に。俺を待っててくれた、の」

「あぁ。ノア、いつまで私を待たせれば気が済むんだ?」


 言葉にするのを許されている。もっとレイムに触れたくてたまらない。


「レイムさん、が、好き。大好き、だから、離れたくないよ」

 ノアは、ぎゅうぎゅうとレイムに抱きつく。


「あぁ。猫でも猫じゃなくても。頑張り屋で、まっすぐで。私のことばかり考えている。そんなお前だから、愛しいと思った」

「っ、ぅ」


 嬉しくて、涙がぽろぽろと溢れてきた。レイムはノアの涙をキスで拭ってくれる。


「お前がこの家を出て行くと言ったら、常闇の中に閉じ込めて、永遠に飼ってやろうと考えたりもした」

 その仄暗いレイムの感情をノアは、ふわふわした気持ちで聞いていた。

 額に、頬に、唇にキスをくれた。親愛のキスじゃない。ノアの発情とレイムの発情を交換するようなキス。


「お前は、寂しがり屋だから。二度とこんなバカなことをしないように、隅々まで愛してやろう」

 レイムはノアの人間の耳のピアス穴に口付けた。舌で舐められると、塞がっていない穴がチリチリと痛い。


「俺……ずっと、これからもレイムさんの、そばにいて、いいの」

「なんだ、私と結婚するためにここへ来たんじゃなかったのか?」

 レイムは当然のようにそう言って、ノアをからかうように笑う。

「ッ、う……して、くれるの?」

「それが、お前の本当の望みなら」


 ノアは溢れる気持ちと衝動のまま、レイムの唇に甘い甘いキスをしていた。


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