お客様


 皮肉混じりの言葉なのに、それだけで嬉しくなってしまう。ノアはレイムの返事に満足して勢いよくドアを開けた。けれど足を一歩踏み出した瞬間、行く手を阻まれる。目の前に大男が立っていて鼻の頭を盛大にぶつけてしまった。


「おっ、ごめんよ、おチビさん」

「こ、こちらこそ。す、すみません」


 鼻の頭を押さえながら顔を上げる。

 レイムも背が高いがそれよりも大きい。近くにいると圧迫感がある。肩幅が広く筋肉質な体つき。短く刈り上げた金髪の男に見下ろされていた。

 ノアを見ている緑色の瞳が細められる。笑顔が凛々しくずいぶん男前だった。

 チビと言われたがノアが極端に小さいわけじゃない。成人男子の平均より少し低いけど、この場にいる二人が特別大きいだけだ。


「フレッド。薬を取りにくるのは明日じゃなかったのか」

 フレッドと呼ばれた大男は、肩に担いでいた荷物を運ぶための木負子を床に下ろす。どうやらレイムの店にやってきたお客のようだ。


「よっ、アーベルト。別に、いつ来てもいいだろう。俺はこの森にちゃーんと招かれているんだから」

 手を上げて男はレイムに挨拶した。


「招いてはいない。仕事相手だから森に入れるだけだ。この家と、お前の店との契約魔法だ」

「同じことだな」


 フレッドはレイムのことをアーベルトと呼んだ。レイムはその名は屋号で、先代の魔法使いの名だと言っていた。けれど、それを咎めるつもりはないらしい。


「ね、ねぇ! レイムさん、お客さんだよね! 俺、お茶いれる!」

「やかましい。静かに出来ないのか」


 カウンターから呆れた声で返事が返ってくる。

 確かに、さっきからバタバタと部屋の中を走り回ってばかりで忙しない。けれど少しでもレイムから役に立つ人間だと認められたかった。

 ノアは足元にバケツを置いて台所へ戻った。大急ぎで小さい煮炊き用の炉に火をくべ湯を沸かし始める。

 棚から茶葉を探すと、それらしい木箱を見つけた。必要なところに必要なものが整然と置かれている。だからノアは、迷わずに茶葉とコップを見つけた。魔法使いという生き物は、みんな整理整頓が上手なんだろうか。

 茶の葉が入った小瓶は沢山あった。ノアは目についた一つを手に取り蓋に手をかけた。


「待て」

 後ろから白い手が、ぬっと伸びてきた。薄緑色の葉が入った瓶を取り上げられる。


「茶葉これじゃなかった?」

「お前は、これを飲むなよ。それ以外は、好きにしろ」

 レイムが大事に飲んでいる高級な茶葉なのだろうか。

「レイムさんのお気に入り?」


 ノアは聞き返した。

「猫が飲むと腹を下す」

「へぇ、そうなんだ。って、俺、人間のときは何食べても大丈夫だから!」

「そうか。あと、あいつに茶なんていらない」


 レイムは茶葉の説明をするためだけに台所に来たらしい。手に取った瓶を木箱に戻すと、部屋に戻って行った。


(動物愛護の精神? とか)


 ノアは不思議に思って眉を寄せる。

 弟子になる件は取り付く島がない。でもレイムから悪意は感じられなかった。

 ノアはレイムが箱に戻した瓶の蓋を開けて匂いを嗅いでみた。ツンと清涼感のある匂いがした。頭がすっきりする。けどなんだか体が冷えそう。あんまりノアの好きな匂いじゃない。ノアは、もう一つ隣の瓶を手に取り茶葉をポットに入れた。

 玄関横の店舗部分ではフレッドとレイムが話を続けていた。


「ひでぇな、遠路はるばるやってきたのに茶くらい飲ませてくれてもいいじゃん」

「遠路? 魔法で一瞬だったはずだが」

「体感は、な。お前の店の茶って、なんか街の店で飲むような味なんだよな、洒落てる」

「茶の味が分かるとは知らなかった」

「本当に口が減らねぇ魔法使い様だなぁ」


 台所から部屋の中を覗くとフレッドは客用の赤い長椅子に座っていた。仕事相手らしいが、もっと気安い感じがした。

 ――友達、とか?

 けれど、友人と呼ぶにはレイムよりも年上に見えた。対等な友人というよりは、フレッドがレイムの兄貴分のように見える。ノアは淹れたお茶を持って部屋に戻った。カウンターの中に戻ったレイムは薬袋に粉薬を詰めていた。


「どうぞ」

 ノアは椅子の横にある小さな正方形のテーブルの上にコップを置いた。接客なんてしたことがない。ノアのトレーを持つ手は震えていた。


(獣人ってバレたら何か言われるかな。猫の入れたお茶なんて飲めない、とか)

 フレッドはニコニコと裏表のない笑みをノアに向ける。その笑顔に釣られて、ついノアもへらりと笑ってしまった。


「ありがとな!」

 ノアはフレッドに頭をぐちゃぐちゃとかき混ぜられた。

「いただきまぁす」

 フレッドはお茶のコップを手に取ると一気に傾けた。

「え、火傷っ」

「ん? ごちそーさん。美味しかったよ」


 熱いお茶だったのにフレッドは一気に飲んでしまった。ノアだったら猫舌で飲み終わるまでに冷めてしまう。ノアは空になったコップを見下ろす。

 水の方が良かったのだろうか。遠くまで歩いてきて喉が渇いていたのかもしれない。あるいはレイムが言った通り、本当に茶の味が分からない可能性もある。

 ノアがくるりと後ろを振り返ると、レイムが肩をすくめて呆れていた。後者だ。

 見た目通り明るく豪快な人だった。


「で、何よ。このチビちゃん。アーベルトついに弟子取る気になったのか、王都の魔法学校の卒業生?」

 遠慮のない質問にノアは怯んでしまう。


「えっと、俺は、その――」

「いや一週間置いてやってるだけだ。ただの迷子で居候」


 ノアが事情を説明しようとしたら、レイムがノアに言葉をかぶせてきた。またさっきの話に逆戻り。ノアは再びレイムに向き直る。


「迷子って! だから、俺は、弟子になりに来たんだって!」

「ふぅん。その子は弟子になるって言ってるけど、ダメなの? アーベルト」

「ダメだな」

「えー、でも、いつまでもお前さん一人ってわけにもいかないんだろう? 魔法使いは広く人のために術を伝承すべしって、先代も言ってたじゃん」 


 フレッドの質問をレイムは黙殺すると、入り口の棚を指差した。


「さっさと注文品持って帰ってくれ。そこのカゴに入ってる」

「つれねーなぁ。つか、来るの明日って思ってたのに薬は準備してるんだな」

「予定通りに来たことがあったか?」

「いんや、ま、ありがとよ。外に出たついでに顔見に寄っただけだったけど。助かるよ」

「森に誰か入れば分かる」


 レイムは壁にかかっている森の地図らしいものを指差した。紙は古く色褪せ所々破れかけている。レイムの家を中心にして左側がノアが住んでいた王都。ノアは森の反対側にも街があるのを知らなかった。

 その街からは足あとみたいに紫のインク染みのようなものが、森の中心まで点々と続いている。きっとフレッドが歩いてきた道だ。


(俺が歩いても足跡がつくんだろうか)


 便利な魔法だ。この地図があれば、森で迷っている人を見つけたら助けに行ける。

「本物の魔法使いってのは色々便利なもんを持ってるねぇ。じゃ、来週また来るから。最近、田舎じゃ風邪が流行ってんだよ。急に寒くなったしなぁ、お前のところの薬がよく売れる」

「分かった。次は多めに用意しておこう」

 フレッドは椅子から立ち上がると棚から麻袋を手に取って扉を開ける。

「あ、レイムさん。俺も今度こそ、行ってきます!」


 そう言ってフレッドに続いてノアも足元のバケツを持つ。家の外へ出ると鳥籠の伝書鳩と目があった。けれど、すぐにふいっと目を逸らされてしまった。やっぱりノアが獣人だからだろうか。


(別に食べたりしないし)


 そんなことを思いながら、きょろきょろと家の周りを見渡した。レイムが言った通り釣竿は家の壁に畑道具と共に立てかけてある。ノアは釣竿とバケツを手に持って森へ繰り出そうとした。もう帰っていると思っていたフレッドが、入り口の階段のところに座ってノアの様子を窺っていた。


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