第7話 借金取り
アルテアと子どもたちはダスクロウの闇市へと向かった。
路地の奥に足を踏み入れると、薄暗い空間に粗末な屋台が立ち並び、酒と汗の混じった臭いが漂っていた。怪しげな男たちが品物をやりとりし、鋭い目つきでこちらを伺ってくる。
やがて、酒場の裏手に出た。木の柵に囲まれた扉のない小さな小屋があり、中から怒鳴り声が響いてきた。
「もっと高く買え!」
怒鳴り声とともに、何かを叩く音が聞こえる。子どもたちがぴたりと足を止め、ミロがアルテアに小声で囁いた。
「ここだ……あの小屋」
アルテアはうなずき、小屋の中に目を凝らした。板の隙間からちらりと見えたのは、大きな棍棒を持った大男だった。
「よし、ちょっと話してくるね。みんなはここで待ってて」
アルテアはフードを軽く直し、剣の柄には触れず、堂々と小屋に近づいた。
「ずいぶん賑やかだね」
アルテアが小屋の外から穏やかに声をかけると、借金取りの男——ダルモンがギロッと睨みつけてきた。
小屋の中は薄暗く、目が慣れるまで数秒かかった。奥にはもう一人、くすんだ服を着た男がいた。腰の袋から金貨をちらつかせており、人買いだとすぐに察せられた。
そしてその傍らには、汚れた服を着た小さな影がうずくまっていた。服の裾を握りしめ、肩を震わせている。
「何だテメェ! 余計な口出すなら痛い目にあうぞ!」
ダルモンが小屋の入り口から姿を現した。肩に担いだ棍棒は人の腿ほどもある極太の木で、振り下ろされれば易々と人間の骨ごと叩き潰すだろう。
その棍棒を軽々と持つダルモンは大人の二回りはある巨漢で、膨れ上がった筋肉に脂肪が絡みついているような体格だった。
巨漢が血走った目でアルテアを睨む。
アルテアは表情を変えずに、逆に一歩前に出て、男を見上げた。
ダルモンの肩ほどにも届かない小柄な身体は、まるで岩山に立ち向かう子どものようだった。
アルテアは口に笑みを浮かべた。
「まぁまぁ。その子、リコだよね。借金の
「証文? ハッ、読めねぇ奴らばかりなのに意味あるかよ! そもそもこいつの兄貴が金を返さねぇからだ!」
ダルモンは地面に唾を吐き捨てると、棍棒を振りかざしてアルテアへ詰め寄った。
「それは……お兄ちゃんに無理やりお金を押し付けて……」
リコが小屋の奥からか細い声で震えながら言うとダルモンがリコを睨み、彼女はさらに縮こまった。
アルテアは静かに言葉を続けた。
「へぇ……押し貸しってやつ? 返せないのをわかってて、無理やり貸し付けて利息を取る。払えないと借金のカタと言いがかりをつけて、人買いに売る」
アルテアはため息をついた。
「貴方、悪どいことやってるね。人攫いと変わらない。……でもさ、私。そういうの嫌いなんだよね」
「テメェには関係ねぇ! それともテメェが金を払うのか!?」
「うーん、そうしても良いけど、手持ちが少ないんだ」
アルテアは顎に指をあて、ほんの一瞬だけ考えるような仕草をした。
「そうだ。賭けをしようよ」
「賭けだぁ?」
「そう、賭け。ちょっと試合をしようよ」
彼女はフードをめくってさらに一歩、踏み出す。金の髪がさらりと流れ出た。
「私が勝ったらリコを返してもらう。私が負けたらリコの代わりに私が借金のカタになるよ」
その言葉を聞いた子どもたちが顔を見合わせる。ミロだけはアルテアをまっすぐに見ていた。ただ、両手の拳を固く握りしめていた。
ダルモンは無言でアルテアを見下ろす。
足元から、膝、腰、胸、そして金色の髪の先まで——舐めるように視線を這わせる。
乾いた唇を舌で湿らせると、にやりと笑い、背後の人買いに声をかけた。
「おい! この女ならいくらで買う?」
「……その女なら金貨四十……いや、五十払う!」
人買いの言葉を聞いたダルモンが、口角を吊り上げた。
「へっ……金貨五十だとよ。悪くねぇ話だ」
血の匂いを嗅ぎつけた獣のように、目がいやらしく光る。
「賭けは成立ってことでいい?」
「ああ、いいぜ。ちょっと痛い目を見ても、泣き喚くなよ」
「お手柔らかに頼むよ」
彼女はふっと微笑み、両手を軽く上げてみせた。
「私は素手でいいから。……ハンデをあげる」
その言葉に、ダルモンは一瞬だけ固まった。
意味を測りかねるように目をまたたかせ——それから、顔を真っ赤に染めた。
「なめやがってぇぇっ!」
怒声とともに、棍棒が唸りを上げて振り下ろされる。
その場の空気が、裂けた。
少女の金の髪が一筋、風に揺れた。
——ドンッ。
硬い衝撃音とともに、地面が震え、砂煙が舞い上がる。
砂粒が空中できらめき、やがてゆっくりと落ちていく。
「遅い、遅い」
アルテアの声が、舞い散る砂の中で軽やかに響いた。
その揶揄うような調子に、ダルモンの肩がわなわなと震える。
血走った眼が見開かれ、太い血管が顔の脂肪を押し上げるように浮かび上がった。
息は荒く、口角から泡が散る。
「このガキがァッ!」
怒号とともに、棍棒が空を裂く。右へ、左へ、そして上から下へ。
その膂力は尋常ではない——掠っただけでも少女の骨など粉々になる。
だがアルテアは、ただ半歩。
ほんの半歩だけ体をずらし、上半身をわずかに動かす。
静かに揺れるその姿は風を受ける一輪の花のようだった。
やがて、ダルモンの息が荒くなり始めた。
肩が上下し、額の汗が砂に落ちる。
少女の瞳が鋭く光った。
アルテアは踏み込みざま、棍棒を握るダルモンの甲を狙って右拳を叩きつけた。
乾いた衝撃音。
さらに浮いたダルモンの人差し指を掴み、そのまま捻り上げる。
「いてぇ!」
悲鳴とともに、ダルモンの手が反射的に開いた。
棍棒が地面に落ち、ゴトンと鈍い音を立てて砂を巻き取りながら転がった。
痛みに悶えたダルモンが、左拳を振り下ろす。
しかし——。
アルテアの左足がすでに動いていた。
つま先が砂を蹴り、ダルモンの懐へと滑り込む。
同時に、両腕で左腕を掴み取り、腰を低く落とす。
重心をずらし、体をひねりながら足を回し込む。
力の流れが変わった。
アルテアの小さな身体が、巨体の動きを奪い取る。
——ふわり。
時間が止まるように、巨体が宙へと浮いた。
やがてゆっくりと一回転しながら地面へ落ちていく。
——ドスンッ。
鈍い衝撃音が響き、砂が跳ね上がった。
ダルモンが仰向けに転がる。
しかし、呻きながらもすぐに体を捻り、四つん這いになってよろめきながら立ち上がる。
息は荒く、喉を渇かせた獣のようだった。
だが、アルテアの姿はすでにダルモンの目の前にはなかった。
「なっ——」
言葉より早く、彼女の手が動く。
左手首を両手で掴み、ひねり上げる。
「ぐあっ!」
鈍い悲鳴とともに、関節が鳴った。
アルテアはそのまま腕を背中へと回し、膝裏を蹴りつけると、ダルモンの膝が崩れ、巨体が地に沈んだ。
——ドン。
額が地面に叩きつけられる音が響く。
ダルモンはそのまま動かなくなった。
「賭けは私の勝ちでいいよね?」
闇市のざわめきが、嘘のように止む。
息を呑んだ男たちが、誰も言葉を発せないまま、ただ少女を見つめていた。
「ほら、リコ、こっちおいで」
アルテアが優しく呼びかけると、リコが慌てて小屋から飛び出し、子どもたちの元へ駆け寄った。
「もうあの子に手を出さないでね。次はもっと痛い目にあうよ?」
アルテアがダルモンの腕を放し、穏やかに言うと、男は歯を食いしばってうずくまったまま動かなかった。
「貴方も、何か言いたいことはある?」
アルテアが人買いの男に話しかけると、青ざめた顔を横に振って小屋から逃げ出した。
子どもたちが駆け寄ってくる。
「すげえ! 剣も抜かないでやっつけた!」
「お姉さん強いんだよね! ミロの言う通りだ!」
ナッシュが興奮して叫び、リコも涙を拭きながら「ありがとう……」と呟いた。
ミロは得意げに胸を張り、「だろ!」と笑った。
子どもたちがアルテアを囲んでにぎやかに話しているとき、遠くからバタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。
「ダルモーン! リコを返せーっ!」
怒鳴り声とともに、よれた上着に片方脱げかけたサンダルの少年が路地の向こうから全力で駆け込んでくる。頭はボサボサ、息は上がりきっていた。
「お兄ちゃん!?」
リコが驚きの声を上げる。
リコの兄はつんのめるように立ち止まり、周囲を見渡した。借金取りのダルモンは地面にうずくまっているのが兄の目にとまった。
「……あれ? もう終わってる……?」
ぽかんとした表情を浮かべた兄に、ナッシュが思わず突っ込む。
「遅いっての! タイミング最悪!」
「ほんとほんと。もう全部終わった後だし」
ティナが小さく笑った。
けれど、リコはそんなやりとりを気にも留めずに駆け寄ると、兄にしがみついた。
「お兄ちゃん……来てくれてありがとう」
「リコ……! ごめんな、怖い思いさせて……!」
兄は力強く妹を抱きしめ、頭をポンポンと撫でた。その姿を見て、アルテアはふっと微笑む。
「よし、これで一件落着だね。さて、お腹すいたからお昼ご飯にしようか」
「『マムの飯屋』だ!」
子どもたちが一斉に声を揃え、アルテアを囲んで路地を戻り始めた。
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