日はまた昇る 2

 月曜日のぼくは普段よりも少しだけ忙しい。

 午後に定例の支店長会議があるんだ。経営の方針がメインの役員会とは違って、各部門の週次報告と近々の実務的課題を話し合うものだよ。

 昔は支店長全員本社に集まっていたんだけど、例の疫病からビデオ通話も交えた形に変わった。国がITシステム整備の補助金大盤振る舞いしてくれたからこれ幸いと導入したんだ。よって”ザ・昭和”の我が社なのにごく一部は時代の最先端を走ってる。


 その会議に、今日もぼくはちゃんと出席した。

 カッコいい革張りの椅子に座ってふんぞり返ったりはしてない。極めて機能的な——言い換えればそっけない——会議室で、適当なオフィスチェアをぶんどって座るのが常だ。

 小一時間ほど諸々報告だの確認事項だのやりつつ、途中趣味の話とかも混ざる。やっぱりゴルフが人気っぽいね。


 で、それが終わると決済が必要な書類に適当に判子を押して業務終了。


 気づいただろうか。

 ぼくは自分の会社、自分の仕事について詳しく語る術を持たない。

 ぼくの人生にとって会社は書割の背景と同じようなものだ。遠目には何が描かれているか分かるんだけど、近寄ってみると細部は適当。つまり解像度が低い。

 この状況には実は随分苦しめられた。

 罪悪感が凄かった。人々の先頭に立ち、責任を背負い、生存と繁栄を目指して頑張らなければならない立場の人間が、実はその集団にことに。


 つまり、ぼくの人生——主観的なそれにおいて、仕事が占める割合はかなり低い。

 それでも会社は回る。平然と。そしてぼくの口座には毎月「報酬」が振り込まれてくる。それで問題が無いのだからそのままにしておけばいい。ぼくはこの問題から目を逸らし続けてきた。

 もちろん幹部の皆さんがもめれば仲裁に入るし業務で気になることがあれば言う。ただ、後者は極力控えるようになったかな。

 ぼくが意見を述べるということは、誰かの面子を潰すことに他ならない。それを身を以て思い知らされたからね。何度も。


 いずれにしても我が社は上手く回っている。

 今のところは。


 ただ、ちょっとしたがあるね。

 ぼくは昨日の晩それに気づいた。正確には一眠りして酔いが抜けて気がついた。

 駅のプラットホームで電車を待つ自分は、ちゃんと「白線の内側」にいると思っていたのに、実は「外側」にいたことに気づいたんだ。

 つまり、ぼくは今、自分がどこに立っているかを正確に認識できていない。

 解決策はもちろん正しい位置を認識できるようになること。できればそうありたい。超精密なGPSが欲しいところだ。でも、認識不良が続く場合のことも考えておかなければならない。ぼくが線路をプラットホームと誤認したときに生まれる被害を最小限に抑えられるように。


 要するに、ぼくは身の回りの諸々も変えていかなければならない。

 色々とするべきだ。




 ◆




 夕方の5時になってもまだ外は明るい。一年で最も昼が長い時期だから当然だ。

 家に戻ったぼくは黙々と戦場の後始末をする。

 ワインの瓶とビール缶が無数に転がったリビングを何とかして、茉莉さんが放置していった毛布を片付けて。

 こういうのは久しぶりでちょっと新鮮だ。

 まだ広告代理店にいた頃、残業後に皆でラーメンを食べて、そのまま同僚のうちに転がり込んで朝まで飲んで、みたいなことをやった。結構頻繁にやった。身体的な負荷はとんでもなかったけど、あの頃のぼくは確かに充実していた。充実というとちょっと陳腐かな。より正確に言うならば、皺一つなくピンと張られたシーツのようだった。今のように寝崩れてぐちゃぐちゃになった万年床ではなくて。


 あの頃のぼくと今のぼくでは何が違うんだろうか。

 いや、問いをひっくり返した方が良い。

 あの頃のぼくと今のぼくは、って。


 この問題はアイデンティティクライシスって言うらしい。戦争に行った兵士が帰国後別人のようになる現象の理由付けから研究が始まったとのこと。本当かどうかは分からないけど。俗説かな。

 いずれにしても、人は、その人間の根幹に関わる部分を大きく変容させる出来事に接したとき、かつての自分と現在の自分が同一の存在であるという確信を失ってしまうことがある。大体においてその「出来事」は不幸なものだろうから茶化すのは気が引けるけど、正直なところ、ちょっとマンガの主人公っぽいよね。


 さて、ぼくの「出来事」はなんだろうか。

 アルパカの瓶を両手に装備して、未だ燦々と降り注ぐ夕日を浴びて、ぼくは自分探しの旅に出る。


 いや、そんな必要はない。

 明確に分かっているから。


 ぼくの父は内臓の病気が元で死んだ。

 うちの家系は代々腸が弱くてね。色々あって何回も開腹手術をしたんだ。腸以外にもよくないところがいくつかあった父は手術の度に弱っていった。

 もうその頃には死期を悟っていたんだろう。ぼくを毎週末呼び出して、いわゆる「経営の心得」みたいなのを教えてくれたよ。

 豪快なエピソードが大量に残る荒っぽい創業者の祖父に比して、父はどちらかというと物静かな人だった。イメージとしては官僚、あるいは大学の先生みたいな。とはいえちゃんと感情はある。抑制されたものながら、ぼくは確かに感じていた。父の愛を。


 父が最後の大手術を終えたとき、ぼくの世界は変わった。

 麻酔が変に効いてしまったんだろう。見舞いに行ったぼくに父がを言うんだ。母や親戚には普通なのに、ぼくにだけ。


「おれのはどこだ! おまえは誰だ!」って。

 普段の落ち着きは姿を消して、垂れ下がった瞼を跳ね上げて、父はぼくを凝視してそう言った。何度も。何度も。


 混乱の時期が終わって理性を取り戻した父は、いつものように穏やかにぼくに謝ってくれた。


「変なことを言ったみたいだな。すまん」


 ぼくはちょっと笑って「いいよ」と答えた。

 数日後、父は死んだ。


 お医者さんに聞いたところ、こういうのはときどきあるらしい。抑圧された心の闇やとは関係のない、純粋に医学的な症状。

 ぼくは納得したよ。

 だってぼくは父と母の子どもだ。たった一人の。顔立ちにもちゃんと面影がある。

 お医者さんが言うんだから科学的裏付けもしっかりしている。DNA鑑定とかする必要もない。ぼくが父と母の子どもであることは自明のことだから。そう確信していたからね。

 ぼくは納得した。


 でも、心のどこかでちょっと思ったんだ。

 これは証明する必要があるぞ、と。

 祖父の興した小さな園芸店を中小企業の中でも大きい方にまで育て上げた経営者の父。その父の血を引いていることを証明する必要があるな、と。


 結局の所ぼくは証明できなかった。

 ということはつまり、ぼくはじゃなかったことが証明された。逆に。

 にもかかわらず、ぼくは偽りの生まれによって掠め取った利益を貪り食って生きてる。

 こういう状況はもう終わりにしなければならない。ちゃんと手放さなければならない。


 さて、ぼくがこの一連の経験——父の死にまつわる——から学んだことは2つある。

 1つはね、父がぼくに施してくれた促成栽培の経営者心得の中にある。

 父はこう言った。


「言いづらいこと、言いたくないことこそ、誤解無く、はっきりと言え」


 ぼくはこれが苦手でね。相手のことを考えると、あるいは自分の罪悪感を考えるとどうしても誤魔化してしまう。でも父は正しい。言いづらいこと、言いたくないことこそ、明言するべきだ。


 そしてもう1つ。

 子どもには、言ってはならないことは決して言わないこと。


 こっちの教えは確実に守れそうだから安心している。

 ぼくが子どもを持つことは、絶対にない。




 ◆




 朝の電話で約束した——あるいはさせられた——待ち合わせの18時過ぎ、青佳さんがうちに来たとき、ぼくは”戦場”の整地を終えて一息、ぼうっと夕方のテレビ番組を眺めていた。ワイドショーなのかニュースなのか分からない情報番組。


 ちょうど世間で話題のトピックを紹介するコーナーが始まったところ。

 今日のピックアップは小説らしい。その小説は何年か前にひっそりウェブ小説投稿サイトに掲載されて、あれよあれよと大人気になって、本になって、マンガになったそうだよ。

 今では累計100万部を超える大ベストセラー。で、この秋アニメになるという。

 この情報番組をやってるのと同じチャンネルで放送されるそうだから、ようするに番宣なのかな。

 すごいね。


 玄関からリビングまで彼女を案内したところ、ちょうどマンガのあるシーンが画面に大写しになってた。

 主人公の王様とヒロインの一人が結ばれるところだね。

 父親の悪行に気づき、自分は主人公に相応しくないと意気消沈する彼女を王様が抱きしめるんだ。

 父親なんか関係ない。きみはきみだ。って。

 涙ぐむヒロインの女の子は主人公の逞しい腕の中に抱かれる。

 見開きの美麗な一枚絵。


 カッコいいね。こういう逞しい男にぼくもなりたかった。

 でも残念なことになれそうもない。

 もしぼくが主人公グロワス13世だったら、ヒロインを抱きしめるその腕はきっとだろう。だって、他者の全存在を引き受けることほどに怖い状況はないからね。

 でも、もしこの場面で王の腕が震えていたら、それはもうコメディだよね。

 滑稽な。


「ああ、ほら、この間話してたマンガ、特集されてるよ」


 言いづらいことを言うためには心の準備がいる。そのモラトリアムとして軽く話を振ったはずなのに、三沢さんの反応はとても意外なものだった。


 画面を見やる彼女。

 その横顔はぞっとするほどに酷薄な色を湛えていたんだ。

 まるでなにか、心底を見たような。


「まぁ! 楽しみです。アニメが始まったら感想を一緒にお話ししましょうね! ——


 しかし、ぼくのは一瞬で正常に戻った。それは夕日が見せた幻影だ。三沢さんはいつものようにほんわか微笑んでいる。大きな、優しげな瞳を柔らかく開いて。


 この可愛らしい笑顔を、ぼくはこれから曇らせなければならない。


 ぼくは三沢さんのお誘いに答えずに彼女をソファーに誘った。L字になったソファの対角に二人は腰を下ろす。

 お茶を出すところから始めるべきかもしれないけど、今日この瞬間においては父の教えその1をぼくは忠実に守るよ。決心が鈍らないように。


 小さく息を吸い込んで。ワンフレーズ言うだけでいい。


「身勝手で本当に申し訳ないけど、お見合いの話は白紙にしたい。——近い将来、私は会社を手放す。つまり、あなたが望むであろう生活を私は提供できない」


 ぼくは立派にやり遂げた。

 言いづらいこと、言いたくないことこそ、誤解無く、はっきりと言わなければならない。


 ——ブラウネ! ブラウネ! 何を恐れることがある! 世界の全てがきみを苛もうとも、私が付いている。このサンテネリ王グロワスが!


 テレビから流れてくる台詞は多分、前に彼女が存在を教えてくれたオーディオドラマのものなのだろう。


 昨日ぼくはこう言った。幸せと不幸せは個人的な、主観的なものだって。

 一方で、他者と比較することによって生まれる感情もある。

 それは惨めさだ。


 ぼくは惨めだ。






〜〜〜〜〜〜

作中、主人公の父親錯乱の場面は時事問題からではなく個人的体験からの着想であることを念のため申し添えます。

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