成り行きでも為せば成る
配信終了とともに、俺は椅子の背もたれに深くもたれかかった。静寂が訪れたはずなのに、心臓の鼓動だけが妙に響いている。
「……すごかったね。」
隣でスノウがぼそっと呟く。彼女の声にも、まだ動揺が混じっている。
「一周回って、落ち着いてきてる。」
「あはは、無理もないよ。」
俺は額を押さえながら答える。たった数分で1500万円が投げ銭されたんだ。まともな神経じゃない。アズライトも眉をひそめたまま腕を組んでいる。
「で……どうするの?」
スノウが恐る恐る尋ねた。
どうする、か。霊雲寺夏眼が何者なのか、なぜ俺にそこまで執着するのか。配信中はまともに考える余裕もなかったが、冷静になればなるほど不安が募る。だがまずは詳細を聞かなければ何も始まらない。
俺はふっと息を吐いて、決意したように口を開いた。
「霊雲寺夏眼に会おうと思う。」
現実世界と同様に、夜の帳がサイバースにも降りる。スノウは別れ際、俺の手にそっと缶コーヒーを押し付けた。
「助けてくれてありがとう、またどこかで会えたらいいな。」
「こちらこそ、助かった。」
俺は缶を軽く持ち上げて、スノウに別れを告げた。彼女はまだ何か言いたげだったが、それ以上は何も言わずにその場を後にする。
「行くぞ、アズライト。」
「おっけー、ワクワクしてきた。」
俺達は霊雲寺夏眼の指定した場所へ向かった。
『指定された座標に着いた、どこにいる?』
『目の前の建物に入って。』
そこはメインエリアにそびえる電波タワーだった。エントランスには黒服の男が待っており、俺たちをエレベーターへと案内する。
周囲の景色はだんだんと遠くなり、ネオンの明かりがまるで星のように輝いている。エレベーターの内装は高級感が漂っていて、足元のカーペットの質感すら違う。
「緊張してる?」
アズライトがひそひそと尋ねてきた。
「どうだろう。こう、非現実的過ぎて実感が湧かない。」
「なるほど。ま、気をつけなよ。ただ者じゃないのは分かってるんだから。」
「わかってる。」
エレベーターは静かに動き、ようやく最上階に到達した。扉が開くと、そこには広々としたロビーが広がっている。壁一面のガラス窓からは、サイバースの街並みが一望でき、地上とは別世界に来たような感覚に陥る。中央には大きなソファが置かれ、その向こうに座っているのは一人の女性だった。
白いドレスに身を包み、ソファにリラックスして腰掛けている。どこか鋭い目つきをしており、言葉では表せない程の威圧感が漂っていた。
「初めまして。貴方の噂はよく耳にしているわ。」
彼女は静かに言うと、スカートの両端を持って一礼し、再び座り込んだ。優雅な立ち振る舞いには不思議な魅力がある。
「あなたが…霊雲寺夏眼?」
「その通り。私が霊雲寺夏眼、以後お見知りおきを。」
「さ、座ってちょうだい。」
空いている席を指し示した。俺たちは無言でその指示に従い、向かいのソファに腰掛ける。彼女は、ゆっくりと手元のグラスを持ち上げ、紅茶のような飲み物を一口含んだ。
一言も発せず、ただ彼女の話を待っていると、「ぷぷっ」と堪え切れない笑いを漏らしたように見えた。
「何がおかしいの?」
「あっはは…失礼、二人して緊張してるのが可笑しくって。私達これからチームメイトでしょ?そんなかしこまらなくていいのよ。」
「ボクはまだ認めてないんだけど?」
「あら坊や、貴方は何が欲しいのかしら。」
アズライトの鋭い視線が夏眼に向けられた。どうやら子供扱いされることが何よりも許せない事のようだ。
「ふふ、いい顔をするね。心配しないで。私は貴方に敵意はないわよ。ただ、二人の才能を評価しているだけ。」
彼女は紅茶をもう一口飲み、ゆっくりとカップをテーブルに置いた。その動きにはどこか余裕が感じられ、言葉の裏には確かな自信が滲み出ている。
「才能、ね。」
アズライトがつぶやく。彼の言葉に、夏眼は目を細めて返した。
「えぇ、マサムネの戦闘センスは一目で分かったわ。それからアズライト君。貴方が凄腕のホワイトハッカーであることも特定済みよ。」
「はぁ…そんな気はしてたけどさ。」
「私には分かる。貴方達は大きな可能性を秘めている。ただ、私が投資をした理由はそれだけじゃないの。」
夏眼の目が、俺に向けられる。彼女の目の中に、冷徹で計算高い何かが感じられた。
「私が言いたいのは、もっと大きな世界が私達を待っているということ。」
その言葉に少し考え込む。サイバースと言う世界、自分に秘められた可能性、初配信にして1500万円という額を投げられた理由。
「俺はそんなものには興味は無い。」
俺が問いかけると、夏眼は再び笑みを浮かべた。
「構わないわ、マサムネの目的が億万長者になる事でもサイバース1の有名人になる事でもないのは薄々見抜いていたもの。」
「貴方達は私にとって有益なものをもたらしてくれる。代わりに私の存在は貴方達の利益となることを保証します。」
「有益?」
アズライトが低く声を上げた。彼は今、完全に警戒態勢に入っている。その視線が夏眼に突き刺さる。
「もちろん。実力もそうだけど、私達の未来、影響力、そして何よりも面白さ。私が目指しているのは、ただのゲームの枠を超えた世界。それに一緒に挑戦したいの。」
夏眼の言葉には、明らかに現実とは異なるレベルの物語が潜んでいることを感じる。ゲーム内の戦いだけで終わる話ではなく、もっと広い、もっと深い世界に関わってくるという予感がした。
俺は無意識に椅子を立て、夏眼の言葉をじっと聞いた。
「お前の言うことが本当だとして、俺たちがどうしてその『面白いこと』に巻き込まれなきゃならない?」
俺の言葉を受けてもなお、夏眼の表情は変わらない。アズライトもこの話には一歩引いている様子だが、その反応からして、少なくとも興味を持っているように感じる。
「二人もわかっているでしょ?これから先、サイバースはただのゲームで終わるような話じゃない。」
「この世界へ来たのがどんな理由であれ、頂点を目指すという経験は必ず活かせる日が来るわ。」
夏眼の眼差しは、もう隠しきれないほどに鋭く、熱を帯びている。
「私と一緒に、もっと広い世界を見に行かない?」
ここが、俺にとっては分岐点だった。
「わかった。」
「俺、やってみるよ。」
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