chapter1

ウェルカムトゥサイバース!

 目の前の数字を見て、俺の表情はひきつった。


「お会計、2650円です」


 レジのAIは感情のない声で告げる。スマホをかざし、残高を確認した。残り4800円。これで、今月の生活費はほぼ尽きる。


「また値上がりしてる、たかだか大量生産したレトルト食品なのに…」


 悪態をつきながらクレジットで支払い、袋を受け取る。レトルト食品、割引された合成食品の原材料、栄養補助ゼリー。これが俺を除いた弟と妹二人の一週間の食事だ。


 コンビニを出て辺りを見渡すと、渋谷の街並みはネオンの光に満ちていた。高層ビルの壁一面に映し出される広告、空を流れるホログラムのニュース映像。派手な電飾の下を、スーツ姿の会社員や、カラフルなストリートファッションの若者たちが行き交う。足元では、道端に座り込むホームレスが、電子マネーしか受け付けない募金箱を前に項垂れていた。


 東京は金を持つ者にとっては光り輝く都市。持たざる者には、ただの巨大な檻に過ぎない。


「ただいま、二葉、三木。」

「おかえり!一馬兄ちゃん!」

「兄ちゃん!腹減った!」


 俺、秋風一馬(あきかぜ かずま)は“持たざる者”の一人だ。


 死んだ両親に代わって妹と弟を養うためにバイトを掛け持ちして、狭いアパートの一室に身を寄せている。二畳半のスペースに布団を敷き、隅には中古のデスクトップPCが置かれているだけ。月8万の家賃、それでもここでは「格安物件」だ。


 物価は年々上がり、庶民の暮らしは厳しくなるばかり。俺みたいな底辺は、正規の仕事につけなければ這い上がることすら許されない。


 ――だから、俺は賭けるしかなかった。


 二人が食い尽くしたレトルトカレーの容器を捨て、狭いアパートの壁にもたれた。

 弟の三木は布団に潜り込み、妹の二葉は小さく寝息を立てている。俺は古いデスクトップPCの電源を入れた。もう何度目かも分からない。


 目の前の画面に浮かぶ広告は、街中で見たものと同じ。


《NeXus Tournament - 賞金総額 1億クレジット》


 息を呑む。


 本来、ゲームなんてする余裕は無い。高校も辞め、最低限の金を稼ぐ日々。それでも二人を満足に養えているとは言えない。


 もし俺がこの大会で勝てたら?


 一億クレジット。途方もない数字。

 だが…負ければ時間の無駄。バイトを減らしてでも練習すれば、その間の収入も失う。金と時間のどちらも足りないのに、こんなものに賭けていいのか?


 考えすぎて頭が痛くなった。


 視線を横にずらす。隣の布団で、二葉が小さく身じろぎをする。その細い肩を見て、ふと脳裏に過去の記憶が蘇る。


 両親がいなくなったあの日。二葉が泣きながら「これからどうなるの?」と聞いてきた。「大丈夫、お兄ちゃんが守る」って、何の根拠もなく答えるしか無かった。


 あの日の約束すら、まともに果たせていない。


 結論は出た。


 玄関にしっかりと鍵をかけて、街中にある転送装置へ向かう。通勤の道すがら、視界に入ることしか無かったその場所へ、俺は足を踏み入れた。


 



「サイバースへ、ようこそ!」


 機械音が耳を打ち、視界が一瞬真っ白になる。


 次に目を開けた時、俺は無限のデータ空間に立っていた。周囲には無数の光が漂い、目の前には整った顔立ちの女性型AIが微笑んでいた。


「こんにちは!私は電脳世界サイバースの案内役、レディ・ガイドと申します。」


 彼女は優雅に一礼する。光の粒子が舞い散る中、俺は戸惑いながら自分の手を見た。リアルよりもシャープで、わずかに軽い感覚。


 本当に電脳世界に入ったんだ。


「あら、初めてのお客様ですね。」

「まずは貴方様のプレイヤーネームをお願いします!」


 何かのタッチパネルを操作しながら戸惑いながらも、彼女はこちらを見てにっこりと微笑む。俺は静かに答えた。


「『マサムネ』。」


 そう名乗った瞬間、足元の光が強く輝き、空間全体が揺れた。


「登録完了しました!マサムネ様、それではチュートリアルへ行ってらっしゃいませ!」

「え、ちょ…」


 レディ・ガイドがそう言った瞬間、俺の体は突然、強烈な光に包まれた。質問する暇もなく、次の瞬間には全く別の場所に立っていた。

 広がるのは、荒廃した都市のような風景。崩れたビルの合間を不気味な赤い霧が漂い、何かの影が動いている。


 ――いや、違う。あれは……。


 ビルの屋上から飛び降りてきたのは、漆黒の装甲をまとった無機質な人型アンドロイド。両腕に鋭いブレードを備え、赤く光る目が俺を捉える。


「もう戦うってこと!?!」

「ご安心ください!チュートリアルですので痛覚機能はシャットアウトしております!」


 彼女がそういうが先か――


 敵がこちらへ跳んできた、速い!腕のブレードが風を裂き、俺の顔面を狙ってくる。避ける間もなく、刃が目の前に――。


 刹那、視界に赤い線が映り込む。


 敵の動き、攻撃の軌道、次に振るわれる刃の角度――すべてが、脳に流れ込んでくるようだった。


「くっ…!」


 反射的に体を動かす。


 ギリギリで頭を下げ、地面を蹴って後方へ跳ぶ。敵のブレードが俺の髪をかすめ、地面に深い傷を刻む。


 レディ・ガイドの声が弾んだ。


「おめでとうございます!マサムネ様にはPA『千里眼』が付与されました!」

「ぱっしぶ?なんだそれ。」


 パッシブアビリティ、通称PA。プレイヤーにランダムに付与される能力で、常時発動する特性らしい。

 【千里眼】は視界に敵の「攻撃の軌道」や「急所」を映し出す能力。なるほど、あの赤い線がそうか。


 レディ・ガイドは楽しそうに続けた。


「では次に、お試しのAAアクティブアビリティをお選びください!」


 空中にいくつかのアイコンが浮かび上がった。


 《AA選択画面》

 1.【デュアルシールド】(防御系、初心者向け)

 2.【ビルドアップ】(身体強化、汎用)

 3.【インシディアス】(超加速、使用難易度S)


 とりあえず強そうなやつを選んでおこう。


「これで。」


 適当に3番を選んだ。


 《【インシディアス】装着完了》


 レディ・ガイドの顔が固まった。


「え…なんでチュートリアルにインシディアスが…」

「いやそんなことよりも…マサムネ様!それは推奨できません!」


 彼女の声に、強い動揺が混じる。


 …まさか、やばい能力だった?


 その疑問に答えるように、敵が再び跳躍する。今度は二体同時。左右から挟み撃ちにされる――その時。


 視界が歪む。空気が裂ける。


 敵の動きが、風に吹かれる葉が、全てがスローモーションに見えた。時間が遅く流れているような錯覚。


「な、んだこれ……!?」


 困惑しながらも冷静に敵を見据える。右の敵は水平斬り、左の敵は突き——両方とも、赤い線がはっきりと見えた。


 足元を蹴る。衝撃とともに、一瞬で横へ跳んだ。


 敵のブレードが俺のいた場所を裂いた時には、俺はすでに別の位置にいた。


「……ありえない。」


 背後から、レディ・ガイドの驚愕した声が聞こえる。


「通常、インシディアスは使用者の身体感覚に耐えられず、まともに扱えるプレイヤーは全世界でも数パーセントしか存在しないはず……なのに、マサムネ様は——」


 つまり、俺は選ばれた者だった。優越感よりも先に後悔が襲う。自分にこんな才能があると分かっていれば、もっと早く始めていたのにな。

 だけど今そんなことを考えても仕方ない。体をひねり、地面を蹴る。周囲の時間が、まるで巨大な歯車のようにゆっくりと動き始める。

 動いているはずの敵が、まるで静止しているかのように見える。俺の体に加速の効果が浸透し、まるで時間が逆流しているかのような感覚が広がっていく。


 ——これが、インシディアス。


 全身が鋭く、そして軽く感じる。だけど意識は極限まで冴えていて、あらゆる物事が一瞬で整理される。無意識のうちに、左右の敵に視線を向けた。

 右足で地面を蹴り、左手を前に伸ばす。次の瞬間、まるで時が止まったかのように、俺は両者の間をすり抜け、敵の攻撃を華麗に避けた。

 そのまま、右腕で一瞬で敵の側面に入り込み、急所を突くように手刀を放つ。片方の敵が、刃を振り下ろす直前に動きを止め、そのまま崩れ落ちた。

 残る一体の敵も、俺の動きに完全に翻弄されている。ほぼ瞬間移動するように、敵の懐へと飛び込む。俺は躊躇なく拳を振るう。一撃。鋼の装甲ごと叩き飛ばす。


 敵はそのまま地面に転がり、動かなくなった。


 思った以上に使える。


 足元の地面に残るのは、俺が蹴った跡とわずかな衝撃の余波。どうやらこのAA、超加速だけでなくパワーもブーストするらしい。


 視界の端で、もう一体の敵が動く。まだやれる。


 俺は再び足を踏み込む——。


「マサムネ様、少しお待ちください!!」


 レディ・ガイドの必死な声が割り込んできた。


「え、何?」

「そのまま倒していただいても構いませんが、今後のために《武器選択》を済ませてください!」

「あ、すっかり拳で戦うつもりだった。」


 空中にホログラムが展開される。


 《武器選択画面》

 1.【アサルトライフル】(銃火器、汎用型)

 2.【エネルギースタッフ】(魔法系、遠距離&支援向け)

 3.【打刀】(近接戦、上級者向け)


 迷うことはなかった。


 3番、【刀】を選択する。


「え…銃や杖を置いてあえて接近戦武器を?」

「だって、直接倒したって手応えが欲しいし。」

「なんですかその戦闘狂みたいな理由は!」


 彼女のツッコミを無視して、具現化した刀を構える。重心は少し前寄り。柄を握った瞬間、手に吸い付くような感覚がした。


「うん…悪くない。」


 インシディアスを発動させ、スローになった世界で刀を構える。


 袈裟斬りを二回、真っ向斬りを一回、三本の線を描いた。


『チュートリアルクリア』


 加速を解除した時、俺の目の前に現れたのは敵ではなくそう書かれた文字のみだった。


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