第2話 ばぶぅ!?


 人生で、初めて哺乳瓶の味を真剣に味わった。

 ――っていうのも変な話だが、これが意外とうまい。ほんのり甘くて、体があたたまる。胃が小さいせいか、少し飲んだだけで満腹感がすごい。

 さすがにミラから直接授乳するのは憚られたからな。

 推しから直接授乳なんてなんとも変態チックで正直興味がないとは言えないが……一応そこは俺もまともな人間だ。

 推しだからこそ、そこは人として乗り越えてはならない一線だと思った。


 それにしても、この状況だ。

 俺は、死んで、赤ちゃんに転生した。しかも、生まれたのは……藍沢未来のもと。

 そう、ミラ・ラピスの中の人であり、俺の推しだった彼女が、今の俺の母親になっている。


 意味がわからなすぎて、未だに脳が追いついていない。


 でも、目の前にいる彼女はたしかに『ミラ』だった。

 顔立ちは整っていて、肌は透き通るように白く、声は優しく、笑顔はあたたかい。

 年齢は若返っているけれど、あの配信越しに見ていた姿と、何も変わらなかった。


「ほらほら、たくさん飲めたね。えらいぞ~」

 

 ミラ――いや、未来はそう言って、俺の背中をぽんぽんと優しく叩いてくれる。

 ゲップをさせてくれてから、にこりと笑って言った。


「うちの子は、ほんとにかわいいなあ……」


 その言葉に、俺は赤ちゃんの顔のままジーンときた。

 まさか、推しに、そんなふうに言ってもらえる日が来るとは。


(……今度こそ、この人を守りたい)


 俺は誓った。

 この世界では、未来はまだ生きている。この先、あの事件が起きてしまうかもしれない。

 ならば、絶対に止めてみせる。

 赤ちゃんだろうがなんだろうが、できることはあるはずだ。


 俺は、もう二度と、あの絶望を繰り返したくない。

 

「ね、えめる・・・。ママ、がんばってくるから、いい子にしててね」


 そのとき、未来がふとそう言って、俺の額にちゅっとキスを落とした。


 ……え? いま、なんて言った?


(えめ……る?)


 すると未来はスマホに打ち込んだ文字を俺に見せてくる。


「これがえめるの名前だよ。かっこいいでしょ」


 藍沢……翠輝琉えめる……!? 

 おいおい、名付けにどんなセンスぶち込んだんだ未来……!


 思わず赤子の身体でガクブルしてしまい、未来が「えめる? どうしたの? くすぐったかった?」と微笑んで背中をさすってくれる。


(いや違う、名前の衝撃が強すぎただけだ……)


 どうやら、俺は「藍沢あいざわ翠輝琉えめる」という伝説級のDQNネームでこの世界に登録されてしまったようだ。

 

 ちなみに、ベビーシッターさんに説明していた未来曰く、「エメラルドってキラキラしてて綺麗だし、うちの子もそうなってほしいな~って♡」とのこと。


(読めねぇよ! そして将来、絶対イジられるやつだコレ!)


 ……だが不思議と、名前に込めた未来の想いは、ちゃんと伝わってきた。

 

 そのあと、未来は俺をベビーベッドに寝かせて、仕事の支度を始めた。


「今日は、地下三十層だからちょっと長引くかも。えめる、いい子でね。ちゃんとアヤノさんの言うこと聞くのよ」


 アヤノさん。聞いたことのある声の女性が、ドアの外で「はーい、今日もよろしくお願いします」なんて明るく返事をしている。

 この家には、日中俺の面倒を見てくれる専属のベビーシッターのアヤノさんが来てくれている。


 未来はダンジョン配信者として、日中は仕事に出ている。

 だからこうして、誰かに子守りを頼まなきゃならないんだろう。


(……シングルマザー、か)


 しかも、今の未来はまだ18歳だ。

 助けてくれる家族らしき影もない。

 なにか、訳ありなんだろうな……。

 

 改めて、未来の苦労が垣間見える。

 それでも笑顔を絶やさず、俺に優しく接してくれる彼女に、尊敬しかない。


(マジで、守らなきゃだよな……この人……)


 

 ◆

 


 ただ、日付を確認したところ、あの事件が起きるまでにはもうあまり時間は残されていない……。

 未来が死ぬことになるのは、今から7年後……つまり俺が7歳になる頃だ。

 つまりそれまでに、俺はちゃんと未来を守れるだけの力をつけなければならない。

 そしてできたら、未来をあんな目に合わせることになる奴を、特定して捕まえる……。

 そのためには、魔法とスキルをたくさん磨いて、強いダンジョン探索者にならければいけない。

 探索者の使う魔法のなかには、犯人を特定するために役立つものがたくさんあるはずだからな。

 

 残された時間は少ない。

 だけど、やれる……!

 いや、やらなくてはならない。

 俺は、史上最年少でダンジョン探索者になってやるんだ……!

 

 まずは、自分の『武器』を確認しなければならない。

 この世界には『魔力』が存在する。スキルや魔法も、それを使って発動する。

 俺が見ていた配信者たちも、剣を強化したり、空間転移したり、派手なスキルを連発していた。


 ――だが、それには重大な前提がある。


 この世界では、『魔力量』は生まれつき・・・・・決まっている。

 そして、それは決して成長することはない。


 それは、前世の俺が一番よく知っている。


 加藤誠。

 しがないサラリーマンだった俺は、一時期【ダンジョン探索者】を目指したことがあった。

 だが、検査結果は最低ランクの魔力量。登録すら許されず、門前払いだった。


 努力では超えられない『才能の壁』。

 それが、この世界の現実だった。


 そして、今世。


(……頼む、せめて平均くらいはあってくれ……)


 呼吸を整えて、意識を集中する。

 腹の底から、体の中心にある何か・・を探るように──


 ──感じた。


 しかし、それは……


(……う、うすっ……! 0.02mmくらいしかないのかよ……)


 かすかにチリチリと体を巡る、微細な熱のようなもの。

 あるにはある。だが、それは前世と同じ。最低レベルの、まるで風前の灯のような魔力量。


「ばぶぅ……(……マジかよ……)」


 出ない声で、心の中でつぶやいた。


(せっかく転生したのに、また魔力量が少ないって……なんだよ、それ……)


 俺は、また無力なのか。

 前世でも、夢を諦めて、人生を腐らせて。

 それでも、推しの配信に救われて、やっと生きられたのに。


 今世では、その推しを守ることすら、できないのか。


(ふざけんなよ……)


 赤ちゃんの瞳から、じわりと涙がにじんだ。

 せめて、生まれ変わったなら、今度こそ……って、思ってたのに。


(でも……)


 俺は、あきらめなかった。


(あきらめてたまるか……!)


 魔力が少ないなら、少ないなりにやってやる。

 動けないなら、動けないなりに考えてやる。

 赤ちゃんだからって、何もできないわけじゃない。


(何か……何か、方法があるはずだ……)


 俺はベビーベッドの上で、指先に意識を集中した。


 魔力はある。

 微弱でも、ゼロではない。

 

 ならば、操作できれば何か・・ができるかもしれない。

 俺は記憶を掘り返した。前世で見た、配信者たちの映像。

 彼らは「魔力を意識して流す」ことで、スキルを発動していた。


 つまり、魔力は操作できる・・・・・ものだ。


(なら……やってみるしかない)


 赤ちゃんの身体で、できる範囲で集中する。

 手を握る。その中に意識を集める。

 指先の血流を意識して……その中にある『熱』のようなものを感じ取る。


(……いる。微かに……魔力が、いる・・……!)


 ぷるぷると震える手。だがその指先に、かすかにぬるい熱が集まった。


 最初は『気のせい』かと思った。

 だが、明らかにさっきよりも強く感じる。

 そうやって魔力を集めたり、放したり、いろいろ動かしていると、魔力がどんどん強まっていることを感じる。

 これって、まさか…………。


(さっきより、確実に……魔力が強くなってる!?)


 一瞬、全身に鳥肌が立つような感覚が走った。


(え……魔力って……増えるのか?)


 今までの常識ではありえない。

 魔力量は生まれた瞬間に決まり、努力ではどうにもならない。

 それが、この世界の常識だった。


 ……だけど。


(俺……今……やってみてたら、魔力が増えてる……)


 この体が『赤ちゃん』であること。

 発達途中の体と脳、神経回路、魔力の通り道。

 そして、誰もそこに目を向けていないこと。


(まさか……『赤ちゃんのうちだけ』魔力が鍛えられるとかなんじゃ……!?)


 衝撃だった。と同時に、ぞくぞくするほどの確信が生まれた。


(俺だけが……知っている。……この『成長ルート』を……!)


 これなら、イケる……!

 赤子の体でにんまり笑う俺を、ベビーシッターのアヤノさんがちらっと見てつぶやいた。


「えめるくん……すっごいニヤニヤしてる……こわっ」



 


 俺はさっそく、修行を開始した。

 どうやらこの身体だと、魔力を使えば使うほど、魔力量を鍛えることができるようだ。


 とはいえ、赤ちゃんだ。

 できることは限られている。

 俺はいくつかの修行メニューを考えた。

 考えているうちに、ママ――未来が家に帰ってきた。

 俺は構わずに、修行を続ける。

 

 まずは「魔力呼吸法」だ。

 魔力の使い方を練習するためにやる、初級の訓練。

 昔、探索者になろうとしたときやってみたことがある。


 息を吸うときに魔力を取り込み、吐くときに放出する。

 いわば、魔力版・腹式呼吸。


 これなら、未来にも怪しまれずに、修行できる。

 あくまで俺は普通の赤ちゃんだからな。

 変な挙動をして未来に心配かけるわけにもいかん。


 ――深く、意識して、呼吸する。

 お腹の底から、全身に魔力を巡らせるように。


「……おぎゃあ……おぎゃあ……」


 魔力呼吸をすると、どうしても声が漏れてしまう。

 だって赤ちゃんだから。


「おおー。どうしたのえめる。大丈夫……?」


 すると未来がやってきて、俺を抱き上げてあやしてくれた。


(魔力呼吸で『おぎゃあ』してるだけなのに、ママが心配して抱き上げてくれた……これはこれでアリだな……)


 あたたかい腕の中。未来の香り。心地よさが全身を包む。


「泣いてた? 大丈夫? おむつかな?」


(いや違うんだ、これは修行なんだ……!)


 気を取り直して、今度は手足に魔力を通す訓練。


 両手両足に、ゆっくりと魔力を流す。

 集中、集中……ゆっくり、深く……


 数分後。


(……浮いた!?)


 ベビーマットから、身体がふわりと2センチほど浮かんだ。


(っしゃああああああああああ!!!)


 心の中でガッツポーズ。見た目は赤ちゃん。内心は絶叫。


「えめる……なんかプルプルしてる……すごい勢いで……足動いて……あ、あれ!? 浮いた!?」


 やばい、未来に魔法を使ってるところを見られた……!

 けど、未来の反応は意外なものだった。

 

「やだ……うちの子、もしかして天才……!?」


 えぇ……天才とかってレベルじゃないと思うんだが……。

 もしかして天然さんなのか……うちのママ……。

 

 しかし、俺はあわてて魔力を引っ込めた結果、落下。


 どさっ。


「ふえええええん!!!」


 自然に出た泣き声。だが、これはこれでいい誤魔化しになった。


「あらあら……! 大丈夫!? えめる……痛くない?」


 未来がまた俺を抱き上げて、あやしてくれる。

 すごく心地いい。


 俺は、心に誓った。

 

 この身体でも、俺は強くなれる。そう確信できた……!


(今度こそ……今度こそ、君を守ってみせる……!)


 

 

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