第2話:きみの願いごと

 七夕の日の夜だった。


 ミユキはノートを抱えて、俺の家の前に立っていた。

 浴衣姿ではなく、いつものTシャツと短パン。それでも、手に握られた七夕飾りが、特別な日であることを物語っていた。


 「ねえ、ユウト。願いごと、交換しない?」


 空き地の隅にあった秘密基地。大人に見つからないよう、段ボールと木の棒で作った、俺たちだけの“隠れ家”。

 そこでふたり、ノートを交換した。


 ミユキは、自分のページを見せるのを恥ずかしがっていたけど、最後はゆっくりと差し出してきた。


 《将来、絵本を描く人になりたいです》


 「……え、絵本作家?」


 俺は思わず声を出してしまった。

 笑ったわけじゃない。ただ、驚いただけだった。でも、たぶんミユキには――そうは聞こえなかったんだろう。


 「変かな……」


 ミユキは小さな声で呟き、すぐに視線を逸らした。


 あのとき、ちゃんと「すごいじゃん」って言えたらよかった。

 でも、子どもだった俺は、うまく言葉にできなかった。


 その夜のことを、俺はすっかり忘れていた。

 いや、都合よく忘れた“ふり”をしていただけかもしれない。


 けれどいま、あのノートと彼女の言葉が、鮮明に蘇ってくる。


 ユウトはリビングの棚から、埃をかぶった古いノートを引っ張り出した。

 ページの隅に貼られた星型のシール。間違いない、あのときの“七夕ノート”だった。


 パラパラとめくる。自分の字で「カメラマンになりたい」と書かれているページ。

 その隣に、ミユキのページも、あの日と同じように残っていた。


 《絵本を描いて、いろんな人に読んでもらいたいです》

 《誰かが元気になるようなお話を、作れる人になりたいです》


 手が、震えた。


 こんなに近くに、こんなにも昔から――

 ミユキの夢は、ちゃんとあったんだ。俺は、それに気づけなかっただけだった。


 「ごめん……」


 思わず呟いた言葉が、誰もいない部屋に落ちていった。


 夜、ベランダの手すりに肘をついて空を見上げた。

 もう願いごとを書く歳じゃないけど、もしあの日に戻れたなら、俺は間違いなくこう書くだろう。


 《君の夢を、僕が繋げられますように》と。

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