君がいない夏
るいす
第1章:消えた夏
第1話:君がいない夏が始まった
蝉の声だけが、ずっと響いていた。
まるで、何かを埋めるように、かき消すように。
夕暮れの公園。ベンチに座っていた俺は、手にしていた文庫本を閉じ、空を見上げた。オレンジ色に染まった雲の隙間に、細く月が顔を覗かせている。
ミユキがいない夏が、こんなにも静かだなんて、思わなかった。
人混みが嫌いだった彼女は、こういう時間が好きだった。「音が多いと、心の声が聞こえなくなるんだよ」って笑ってた。
その笑顔が、もうどこにもないことが、いまだに信じられない。
ミユキが亡くなって、今日で七日が経つ。
事故のことは、今でも夢の中の出来事みたいで、現実味がなかった。ただ、目覚めるたびに、あの朝がもう来ないと知っているだけで、胸のどこかが苦しくなる。
ポケットから、小さなノートを取り出す。
表紙はミユキが描いた、ゆるいタッチのひまわり。水彩で塗られた花びらのにじみが、なんだかあたたかかった。
葬儀の帰り、ミユキのお母さんが俺に手渡してくれた。
「あの子、いつもそれ持ち歩いてたの。……あなたに託したかったのかもね」
まだ中身をまともに読めていなかった。
ページをめくるたび、彼女の声が聞こえる気がして、怖かった。
でも、今日は違った。
この空っぽの夏の中で、何かを見つけたくなった。
ページの間には、絵本のラフ画が何枚も挟まれていた。
ひまわりのような髪をした女の子が、星の上にちょこんと座っている。その表情は、どこかミユキに似ていた。
「絵本を描きたい。子どもたちに、自分の言葉を届けてみたい」
「できるか分からない。でも、それでもやりたいって思う」
走り書きのメモが、ところどころ涙の跡でにじんでいた。
それでも、ひとつひとつの言葉が生きていた。彼女の想いが、この小さなノートに息づいていた。
——叶わなかった夢。
だけど、夢そのものが消えてしまったわけじゃない。
俺の手の中に、確かに“続きを描いてほしい”と願っている気がした。
夜風がページをめくる。
最後のページに、震えるような字でこう書かれていた。
「もし、この続きを見てくれる人がいたら。
お願い。ラストのページを、ちゃんと描いてあげてほしいの」
胸の奥で、何かがはじけた。
涙がこぼれる。言葉にならない感情が、胸を満たしていく。
ミユキ。
君の夢を、俺が引き継いでいいかな。
まだ怖いし、不安でいっぱいだけど、
君が見ていた景色の続きを、今度は俺の手で描いてみたいんだ。
蝉の声が、少しだけ優しく聞こえた気がした。
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