第5話 コウイチ②

 この間買ったばかりのウールの手袋が思いの外温かくて、いつもと違う道を通って遠回りに帰ってみたくなった。

 高校時代から乗っている自転車のペダルをぐっと漕ぐと普段なら通らない裏道に入って行った。子供の頃から住むこの街は、東京じゃないけど東京から近すぎて上京なんて概念はなく、馴染みのバイト先は心地よいし、卒業して行くべき学校もないし、相方の武史もやっぱり同じで僕たちはこの街に居続けた。僕らの夢と世界を繋ぐ月に何度かのライブで都内に出かける以外は駅前のストリートライブやスタジオ練習なんかをそれなりにしていて、夢を人質にしてこのままこの街にすみ続けているような、なんとも言えない緩やかな閉塞感を感じる日々だ。でも、5年先、10年先は検討もつかないぐらい遠い未来に思えて仕方なかった。


 駅前のビル群を抜けて、あやしい飲み屋とスナックとカラオケ屋がひしめく通りを超えて、JRの下を潜る地下道を通ってその先に無限と続くトウキョウの「郊外」を進む。住宅街とたまにあるコンビニと、そこにたむろする高校生達。彼らも僕と同じ、家に帰りたくないのか、それとも楽しすぎる今を終わらせたくないのか。僕はなんだかモヤモヤする気持ちを白い息とともに吐き出す。


 自転車を漕いでいるといろんなことを思い出す。自然と記憶は1週間前のライブの打ち上げを思い出していた。僕たちはその日のライブに「賭けて」いた。すくなくとも僕は。その日のライブは若手バンドの登竜門と言われている下北沢の有名ライブハウスで、僕たちはデモ音源を送って、そして見事審査をパスして、そのブッキングイベントに出してもらった。かなり敷居が高いライブハウスで、音楽に目覚めた中学時代から僕は名前を聞いたことがあったし、憧れのあのバンドもこのバンドも若かりし頃に出演していたステージだと思うと否が応でも高揚感を感じた。

 ステージのパフォーマンス次第では今後もコンスタンストにライブハウス側から呼んでもらえるかも知れない。僕らはチケットのノルマも頑張って売り捌いたし、かなりの時間を練習して珠玉の4曲で乗り込んだ。

 

 そして僕はその日、高校時代から好意を寄せていた子を観客に呼んでいた。憧れのステージで恋も夢も掴めると、僕は何日も前から輝かしい未来を夢想していた。なんだか年末に買う当たってもない宝くじの使い道をあれこれ考える楽しさに近かったけど、タチが悪いのは僕の夢は確率ではなく才能で引き当てるものだったことだろう。


 結果的にその日あった事件は、僕が誘った好きな子が恋人未満な空気感のバイト先の男友達と来てしまった事と、ドラムの勇太が打ち上げでバンドをやめると打ち明けたことだった。


 僕はなんだかやりきれなくなって、もう一度、少ない街灯に照らされた夜空に白い息を吐いた。

 一瞬だけ白くなった息はすぐに真っ黒になって消えてしまった。夏だったらこのままあてもなく彷徨ってしまいたい、と思った。ただ、この季節のこの時間の夜の帳はかなり骨身に染みるものがある。

 

ふと遠くのほうに不思議なオレンジ色の光がみえた。近づいてみると古い喫茶店だった。夜に営業している喫茶店というのを初めて見た気がする。いわゆる純喫茶の部類に入るのだろうか、昨日今日のコーヒーブームでできたと言った趣ではなく自分が産まれる前からここにあるんじゃないかという年季を感じる店構えだった。


 ふと店名の看板をみる。不思議な名前だった。


 ザ・ショートナイト。

 どことなく昭和の香りが残るフォントのカタカナで書かれていた。

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