第8話 偶然の接触

 最寄り駅に到着し、人混みの中で階段を降りると、彩花は宣言通り、柱のそばに立っていた。

 白のキャップに、ライトグレーのショート丈パーカー。インナーは黒のタンクトップ。くすみピンクのスウェットパンツは、細波を立てながら足元に柔らかい影を落としていた——カジュアルなのに、どこか洗練された雰囲気だった。


 目が合った瞬間、彼女はわずかに目を丸くした。あっ、と言うふうに口が動き、小さく手を上げる。

 翔も軽く振り返しながら、早足になった。改札を通り抜けようとしたところで、二十代くらいの男二人が彩花に声をかけた。


「君、かわいいね」

「そのさりげなくおしゃれな感じ、めっちゃいいじゃん」

「ありがとうございます」


 彩花は視線を向けることすらしない。それでも、男たちは引かなかった。


「誰か待ってるの? 男?」

「まあ」

「君みたいなかわいい子を待たせるなんて、ひどいねぇ」

「そんなやつ放っておいて、ちょっと遊ばない? カラオケとかどう? もちろん奢るからさ……」

「——悪いですけど、これから僕たち用事があるので」


 翔が駆け寄りつつ間に割って入ると、男たちは面倒そうに振り返り、鼻を鳴らした。


「へぇ、君と?」

「はい」


 馬鹿にするように見下ろしてくる男たちを、翔はしっかりと見つめ返した。

 年上であることに変わりはないので、恐怖はあるが、ヤンキーに比べればなんということはない。


「……はいはい、わかったよ」

「邪魔してごめんね〜」


 これ以上は無理だと判断したのか、男たちは口元を歪めながら去っていった。


「まったく……って、ごめんね。いきなり変な感じになっちゃって。助けてくれてありがとね」

「いや、双葉は何も悪くないだろ。気にすんな」

「うん。ああいう人たちって、なんで次から次へと現れるんだろ?」

「そんなにされたのか?」

「まあね。とは言っても、別にそんな早くから来てたわけじゃないんだけどさ」


 彩花は肩をすくめてみせるが、こればかりは仕方ないのかもしれない。

 彼女にしてみれば特段気合いを入れたわけでもないのだろうけど、運動前にしてはしっかりとした格好だし、明らかに他の人よりも目立っている。


「どうせ筋トレするんだから、もっとラフな格好でもいいんじゃないか?」


 ふと口にした瞬間、彩花の眉がピクリと動く。


「私が好きでこの格好してるんだから、別にいいでしょ」

「あっ……そうだよな。ごめん」


 思ったよりも強い口調に、慌てて頭を下げる。

 よく知りもしないのに、女の子のファッションに口を出すのは御法度だった。


「ううん。こっちこそ、心配してくれたのにごめん。これ、最近買ったばかりだったから……」


 彩花は申し訳なさそうに視線を伏せるが、すぐに切り替えたように、翔の服を指差す。


「それより、ちゃんとそれ着てきてくれたんだね」

「ん? ああ、一応な。変じゃないか?」

「うん。律儀に着てきてくれるところも高得点だよ」

「そっか」


 グッと親指を立てるその姿に、ホッと息を漏らす。


「それじゃ、行こっか。ウチのジム、決めたセットをこなすまでは出られないから」

「怖いって」


 クラスメイトの女の子、それもお姫様なんて大層なあだ名を持つ彩花の家に向かっているのに、ここまで甘酸っぱさを感じないのは珍しいだろう。

 プロデューサーと生徒の関係なので、当然といえば当然なのだが。


(でも、これはマナーとして触れておくべきだよな)


「あー、双葉」

「なに?」

「別に変な意味じゃないけど……服、似合ってるよ」

「えっ……」


 彩花が息を呑んだ。予想していなかったようだ。

 やがて、その瞳がスッと細められる。


「ふふ、ありがと。でも、草薙君的にはもっとラフな格好のほうがいいんじゃないの?」

「根に持つなって。あれは別に、そういう意味で言ってないから」


 翔が眉をひそめると、彩花は小さく声を上げて笑った。


 ——そして、歩くこと数分。


「えっ、すご……っ」


 重厚感のある門がそびえ立ち、その奥には二階建てどころか三階建ての白亜の邸宅がどっしりと構えていた。

 門から玄関までの間に整えられた庭は小さな公園ほどの広さがあり、赤、ピンク、黄色、紫など、色とりどりの花が元気いっぱいに顔を見せている。ちょっとしたフラワーパークだ。


「無駄にでかいんだよね、ほんと」

「慣れないうちは迷子になりそうだな。俺、方向音痴だから」

「よく駅までたどり着けたね」

「電車に乗ってるだけだっつーの」


 庭を回って裏手へ進んでいくと、間もなくしてもう一つの建物——ジムが出現した。写真で見るよりも、よほど大きく感じられる。


「……絶対、凝り性ってレベル超えてるよな」

「出張多いのにね」


 中に入ると、ひんやりとした空気が出迎えてくれた。運動するのだから、これくらいがちょうど良さそうだ。


「ここが更衣室だよ。草薙君は左側ね」

「おう」


 隣り合わせの二室で、特に男女で分けられていないらしい。

 ホームジムなのだから当たり前なのだろうが、やはり少し落ち着かない。手早く着替えてしまおう。


 ——ドン。


「いてっ」


 シャツを着て腕を伸ばしたところで、壁を殴ってしまう。


「悪いな」

「ここ、マンションじゃないよ」

「わかってるよ」


 それに、彩花はうるさくしていない。布の擦れる音がわずかに聞こえるくらいだ。

 ——それが翔の動揺の原因なのは、紛れもない事実だが。


「ふふ、そうだね。大丈夫?」

「お、おう」


 更衣室を出ると、顔に当たる空気が先程よりも冷たく感じられた。しかし幸い、彩花が姿を見せるころには、熱は引いていた。

 彼女はポロシャツに短パンという、これまでで一番ラフな格好だ。家で運動するだけなのだから、当然だろう。


「よし、じゃあやっていこうか……って、なんか改まるのも恥ずかしいけど」


 彩花が鼻の頭を掻き、はにかむような表情を見せる。

 翔に対するものでもないのにドキッとしてしまうのは、さすがの破壊力と言わざるを得ない。


「ん、どうしたの?」

「いや、なんでも。どれからやればいいんだ?」

「うーん。決まりは特にないけど……まあ、これかな」


 彩花が近くのマシーンを指差した。翔も見たことのある、持ち手を押し上げて胸筋を鍛える器具だ。


「全般そうだけど、フォームが大事だから。最初は軽めでいいからね」

「ああ、わかった」


 マシンに座り、言われた通り動かす。彩花は隣で姿勢を確認しながら「そうそう、その感じ」と短く声をかける。

 見られているというのはなんとなく照れくさいが、プロデューサーはいたって真剣な表情だ。こちらも集中しなければならないだろう。


 何回か行うと、コツは掴めた。


「……もうちょっと重くできるな」


 重量を調整しようと手を伸ばした——そのとき。

 つぶやきを聞いていたのか、同じタイミングで彩花も手を伸ばしていた。指と指が、かすかに触れる。


「「あっ……」」


 翔は一瞬、心臓が跳ね上がるのを感じた。視線を上げると、彩花も目を見開き、動きを止めていた。


「あ、えっと、私やっちゃうねっ」


 彩花は慌てたように重量を変更し、プレートをパチンと固定すると、そそくさと背を向ける。


「じゃあ、私はあっち使ってるから。何かあったら声かけてね」

「お、おう」


 翔がなんとか返事をするころには、彼女は別の器具へ歩き出していた。


(ま、今のは仕方ないよな)


 パチンと頬を叩く。体が熱くなっているのは、慣れない運動をしているせいだろう。


 ちらりと彩花に目を向ける。上にぶら下がっているバーを引き下げては戻して、というのを繰り返していた。

 すごい勢いだ。後ろ姿しか見えないが、一心不乱に取り組んでいるのが伝わってくる。先程の接触など、もう気にしていないだろう。


「……俺も、頑張らないとな」


 誰にともなくつぶやき、翔はトレーニングを再開した。

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