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  • よくある話への応援コメント

    おはようございます

    こちらが未読となっておりました
    遅ればせながら……(*ノω・*)テヘ

    わたくしは『こゝろ』を高校の授業でガッツリやって、心理学とどちらにするか悩んだ挙句に国文学に進んでしまったクチなのですが(人の一生を決めるのだから、漱石先生はオソロシイ)、小学生で、あれを通読なさったとは、大したものですね
    土台を作られた親御さんは素晴らしいです(おかげで橘夏影という稀有な作家さんに出会えました)

    感性が息を吹き返したとき、それを放出する手段として「ことば」を選び取ったのならば、やはり、それはことばによる土台がしっかりしていたからだと、わたくしには思われます

    エロスとパトス
    これがないと生きていてもツマンナイ

    大きく息を吸って、吐いて
    自由に書いて、読む
    今日も、自分が自分であるために

    ……しかし、この枠にまとまったことを書くのは難しいですね(^_^;)

    申し訳ありませんが、感性で受け取ってくださいませ
    たぶん、そんなに苦くないと思います🧅🍳

    作者からの返信

    ・みすみ・さん

    おは……こんにちは(もう昼だった( ノД`)シクシク…)

    こちらにも足を運んでいただき、ありがとうございます

    国文学を専攻されたと伺って得心しました
    ・みすみ・さんの読み口の良い文体からしばしば漂うオーセンティックな文学の薫りは、そういう素地があってのことなのでしょうね
    でも心理学というのも、人間へのやさしい眼差しを感じさせる・みすみ・さんらしいですが

    『こゝろ』を読んだのは親に薦められてというか、なにか文学というものを読まねばという圧の下、タイトルでなんとなく心惹かれたくらいの理由だった気がします
    当時の理解度など推して知るべしですが、それでも訴えるものはありました
    罪悪感も、愛も、私はいまでも知っているふりをしているだけやも、しれません

    >おかげで橘夏影という稀有な作家さんに出会えました
    またまたぁ
    ただ良いかどうかはともかく、稀有ではあるかもしれない、と思わなくはないです
    きっと私にそう思わせる・みすみ・さんやあの方たちも、同様に稀有なのでしょうね
    愉しいことです

    エロスはともかくパトスなんてもう手放して久しかったのですが……わからないものです
    誰しも他人の人生を生きたくはないでしょうに

    深呼吸、大事ですね
    千種さんがよくしてます
    私は、よく忘れます
    自分とは、なんでしょうね
    一度人生の連続性を手放すと、道を外れると、よくわからなくなったり
    でも、その程度でわからなくなるものは、ニセモノかもしれないとも、思ったり
    そしてそれ故に寄り添えることもあるのだと
    そう信じて書くしかない

    ええ、全身で受け取らせていただきます
    すこし苦いくらいが、余韻が心地よいものです
    舌の上で転がして、記憶によく、沈みます🧅🍛

    編集済
  • よくある話への応援コメント

    二度目ですが、一度目にも感じたように、この人大丈夫かなぁとやっぱり感じました。

    作者からの返信

    二度目なのにコメントしてくださるあたりがもう、お人柄が良すぎて心配です。
    まぁこうやって文章書いてる限りは大丈夫でしょう笑

    ありがとうございます。

    編集済
  • よくある話への応援コメント

    橘さん

    これ、教養ないと読めない作品。もう一度、頭から後で読み直します😄。
    ※私も夏目漱石は実は「こゝろ」しか読んでない😅🤣😇。

    作者からの返信

    青山さん

    コメントありがとうございます!
    分かりづらいところありましたら、すみません💦
    ※漱石は私もあとは坊ちゃん読んだような途中で放り出したような曖昧な記憶です……w

  • よくある話への応援コメント

    感情移入が過ぎて人称が変わる…面白いです

    感性を一回殺す、とは陰極まって陽に転ずるという感じなんでしょうか
    エロ漫画から情緒的成分を摂取というのもそれが、たまたまエロ漫画だったという訳で、人によって別の何かかもしれないけど、ニッチな市場の中にも需要と供給があって、とんでもなくそれに惹かれるみたいなことがあるんだろうな、と勝手に想像しました。
    象徴的な変化と書かれていたように、熱中していたものに対し、急に興味がなくなること、私もありました。それは十分摂取してお腹いっぱいになって満たされたからですかね。考えさせられるお話でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    “陰極まって陽に転ずる”というご解釈も、とてもしっくりきました。
    苦しいところからしか息ができないような感性でも、ぐるりと巡って、美味しくなって戻ってくることもあるのかもしれません。
    (ダツも、寝かせたら旨味が増すという話ですしね…!)

    エロ漫画という触媒も仰る通りで、人によって絵画や音楽その他色々になりうるものなのだろうなと。
    その“たまたま”の衝撃にこそ、創作の原初的な力が宿っているのかもしれません。

    共感と想像を含んだ、あたたかいお言葉に心から感謝します。

  • よくある話への応援コメント

    私も中学生の頃に読んだやおい漫画が創作の原点になっています。心理描写のしっかりした純粋な愛情の交歓は今でも私が書く創作物の基準となっています。
    中学生の頃から小説を書き始め、今年で通算12年になりました。大学を卒業してから20年以上のブランクがあります。
    私の場合は感性をソテーするというよりも、感性を隠す感じです。外界と自分の内面との間にシャッターをガラガラと下ろしています。無料で自由に表現できる場がなかったら私の精神は緩慢な死を迎えていたことでしょう。小説を読んで感動したというのは好意をもって受け止めてもらえるのに、小説を書いているといったら珍しい生き物のように驚かれ、ひやかされてしまうのは、納得いきません。もっと小説を内面の葛藤なしに書いて発表できるようになればいいのに。どこの国でも小説書きは変わり者扱いされる現実を変えたい。
    いつもレビューありがとうございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    亜咲加奈さんの言葉に、あのエッセイの向こうに在った静かな闘志と繊細な願い――それに触れたような気がしています。

    中学生の頃から書いていらしたとのこと、本当にすごいなと思います。
    私はその頃、書こうとしたけど「ありきたりだ」と笑われて、結局それきり。
    読書量も少なく、自信もなく、その何かが〝語るに値しない〟と片づけていたのかもしれません。

    シャッターを下ろす比喩、興味深いですね。
    ゼミの教授に、仮面を使い分けよと言われたことがありますが、通ずるものを感じます。
    私はシャッターを下ろすのが下手か、ひどく脆弱なのかもしれません。
    タックルで容易に吹き飛ばされてしまう。

    それでも今、小説のごときものを書いています。
    市場性のないものを書く川底のざざ虫のごとき存在です。
    でも泥の中には意外と色々面白いものが眠っています。
    たぶん私は、そこで拾ったものを誰かに見せたり、手触りを届けたいのだろうなと。
    だから劇的なプロットの妙よりも、純粋に言葉の感触を愉しむようなものに惹かれるし書きたくなる。
    前者を交合とするなら、むしろ前戯が大切だし前戯こそ本質だと思っているくらいで。というか、前戯という表現が侮蔑的に思えてきました。なんだよ「前戯」って。「よく考えたら、なんだか封建的なニオイのする表現ね」と連れ合いが毒づいています。

    その文脈でいくと、たしかにやおい漫画から始まる「純粋な愛の交歓」に惹かれるお気持ちは、わかるような気がします。
    あまり迂闊に「わかる」などというとお叱りをうけるやもしれませんが。

    小説を読むということ、書くということは、想像以上にそれぞれの人にとって意味が異なるのだなと、最近思います。
    もっと自然で、開かれた行為である未来を、私も願っています。
    変わり者でもいい、でもそれを笑わない誰かとこうして出会えること、それが今の私の支えです。

    レビューについては、こちらこそ素敵な物語をありがとうございます。
    良い壁打ちの機会をいただいています。

    本当に、ありがとうございました。

  • よくある話への応援コメント

    コメント失礼します。

    感性の環境。
    考えたことがなかったです。
    勉強になりました。

    エロ漫画も電子書籍の時代ですね。
    エロ漫画の人のペンネームは奇妙なものが多いのです。
    なので子供の頃に名前を覚えた作家の人が未だに描いて居るのをネットでみたときに
    〝この人いま、何歳なんだろう〟と慄いた事があります。
    高齢者が生産したエロコンテンツを愛好者が受け取る。現代日本のリアルがあります。

    ではまた。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「感性の環境」というご表現、その端的さと的確さに思わず唸りました。

    確かに、感性を語る時、それは〝内発的な才能〟や〝個人の資質〟として語られる場面が多いのかもしれませんね。
    誰かの言葉や視線、社会の空気、時代の気分――そんなものの積み重ねが、感性を育てたり、萎縮させたり、あるいは形を変えて呼び起こしたりするのではなかろうか、というのが本エッセーの要旨になるのでしょう。

    「感性の環境」とはつまり、そうした外と内のあわいにある微細な気候のようなもので、それは人それぞれ、違う温度や湿度を持っているのだろうと、理解いたしました。

    そしてエロ漫画に関してのくだり、思わず頷いてしまいました。
    高齢者が生産し、若者が受容するエロコンテンツという図式、たしかに現代日本のリアルの一面かもしれませんね。しかし一方で久々に見てみると、もうこれは文学だなと思うような新しい世代の作風もあり、驚きます。
    その恥じらいなき、あるいは凌駕する情熱に、私はいつも励まされています。

    よければ、木山喬鳥様にとっての感性の環境がどんなものだったかも、いつか伺ってみたいものです。
    またのご訪問を楽しみにしております。

  • よくある話への応援コメント

    ニーチェでしたっけ、「芸術とは現実によって死なないためにある」と言った人。
    私は芸術は感性から生まれるものだと思っていて、そして現実世界では日々数多の感性が死んでいっていると思います。学校でも会社でも家庭でも、じゃんじゃんソテーにされていっています。
    私の作品の原材料には、「飴色玉ねぎソース」が使われています。調理方法(どう表現するか)が作品によって異なるだけです。
    友人K、あの友人Kでしょうか。とにかく友人さんが心を押し殺していたのがよく分かるお話です。友人さんの味わい深い「飴色玉ねぎソース」を思うと心が痛みますね。

    作者からの返信

    温かなコメント、ありがとうございました。

    調べてみると、確かにニーチェの著作『力への意志』内に、そのような言及があるようです。学びを得ました、ありがとうございます。
    少しニュアンスは違いますが、ゴッホも『ゴッホの手紙』の中で「芸術とは人生に打ちのめされた人への慰めだ」というような言葉を残されているようで、哲学や芸術を志向する人間にとって普遍的な心境なのやもしれません。

    ソテーの比喩が、思った以上に共鳴してもらえて、どこか心が報われたような気がしています。

    飴色玉ねぎソース……素敵ですね。
    苦味も甘さも、焦げ目すらも、どれもが表現の“旨み”になる。
    そう思えるようになったのは、ごく最近のことでした。

    お気遣い、心に沁みます。
    文筆御健勝 お祈りします!

  • よくある話への応援コメント

    作品フォローありがとうございます🙇
    私も今まで大切にしてたものを捨てたらやりたかったこととかできるようになったので少し共感しました。
    K氏は情緒の世界を大切にしていらっしゃって、現代社会では非常に辛いだろうな〜😭
    確かにカレーの飴色玉葱は美味しいのですが焦げないように気をつけて欲しいです…

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    Kもきっと、「玉ねぎ、ちょっと焦げ気味だったな……」と苦笑してると思います。
    その苦みも活かしていくしかないなと。
    お互い、焦がさずに炒めきれますように🍛✨
    ※読むのが遅い方なので時間はかかると思いますが、御作も大切に読ませていただきます。

  • よくある話への応援コメント

     これはきっと橘さん本人がモデルですねw
     なるほど、そういうことはあり得るだろうと共感しながら拝見いたしました。
     主人公の彼が、その後お仕事を続けつつ、感性とバランスとれたのか気になるところです。
     面白かったのでお星様パラパラしときます。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます!
    そうですね……Kは今も日々、感性と社会の狭間でぷすぷすしてると思います(笑)
    お星様、励みになります!

    編集済