第6話 ゲストハウス富士見

 大むじなとましろが次に訪れたのは、正面に唐破風からはふ屋根の入り口がある瓦葺き、モルタル壁の大きな建物だった。

「あれがゲストハウス富士見だよ。素泊まり、共同部屋の宿泊施設なんだ」

「屋根がおもしろい形をしてる」

「元は銭湯だったからね。内部は宿泊用に改装しているけど、建物は昔のままだよ。うちが賃借の仲介をした物件で、家主さんから設備の維持管理を委任されている。話をして、中を見せてもらおう。ましろちゃんには隠形おんぎょうして付いて来てもらう」

「はい」

「あそこには火鼠ひねずみ飆火ひょうかさんが棲んでいるんだ」

「火鼠の飆火さん……。どんなあやかしさんなんです?」

「風を巻き起こし炎を盛り上げるんだ。昔から人間の営みに深くかかわって来た妖     だよ」

「へえ」


 ゲストハウスの入り口には、雪を頂いた富士山の姿が染め抜かれた紺染めの暖簾が掛けられていた。大むじなと隠形したましろは暖簾をくぐって中に入る。中は沓脱くつぬぎになっていて、横に壁一面の下駄箱があった。上がりかまちの先は板敷きで、正面に番台と左右の引き戸、横の壁に別の扉があった。大むじなとましろは下駄箱のひとつに履物を入れて、板敷きの床に上がる。番台に置かれたベルを鳴らすと、横の扉から短髪をブリーチした若い男が出て来た。


「やあ、五木さん。いつもお世話になっております」

「こちらこそお世話になっております、島村さん。今日は、設備の予備的インスペクションにやって来ました」

「インスペクション?」

 島村は首を傾げる。

「設備保守のための状況観察ですよ。契約書に書いてあった通り、ここは給湯設備込みの賃貸で当社が設備の維持管理を委任されています。故障してからでは修理代が高額になるので、通常時から設備の状況を観察し、異常を早めに見つけて対処するようにしています」

「なるほど」

「何か不具合は出てませんか?」

「今のところ問題ないですね」

「それはよかった。規定なのでボイラーを見させてもらっていいですか?」

「もちろん。立ち合いが要りますか?」

「私だけで大丈夫です」

「では、よろしくお願いします」

 島村は元の部屋へ引き上げ、大むじなと姿を顕したましろは奥に進んだ。


 番台の左右の二つの引き戸にはそれぞれ『宿泊室』『浴室・シャワー室』と書かれていた。

「男湯を宿泊室、女湯を浴室、シャワー室に改装しているんだ。宿泊室を通って行くよ」


 扉の先は、長椅子を置いたロビーになっていて、その奥が大浴室を壁で仕切って二段ベッドを並べた宿泊室だった。奥の壁には富士山と松原の砂浜に打ち寄せる波を描いた壁絵がそのまま残っていた。一番奥の宿泊室の壁絵に正対する壁は全面が鏡になっており、奥に立って振り返ると鏡に映った壁絵の全景を眺めることが出来た。

「マジックミラーだよ。一番奥の宿泊室の内側から見ると素通しのガラスで、壁絵を眺められるんだ。ここからも眺められる。左右逆になるけどね」

 大むじなが得意顔で説明する。


「飆火さんが居るのはこの先のボイラー室だよ」

 宿泊室の隅の扉を通りボイラー室に入る。ボイラーはステンレスで外装された一体型の設備で、中心のタンク状の部分から何本の太いパイプが突き出し、壁を貫通して隣の部屋に伸びている。ボイラーの手前側の部分は燃焼室で、焚口たきぐちの四角い扉を開けて燃料を投入する構造だ。ボイラー室の奥は金属製のシャッター扉になっていて、開いていた扉から建築廃材や林業残材が積まれたストックヤードが見えた。



「ボイラーの火床ひどこが飆火さん烈さんの棲み処なんだ」

 大むじなは焚口の扉を開けた。燃焼室の火格子ひごうしの上に燃え残りの熾(お)きがわずかに残っている。

飆火ひょうかさん、居るかい?」

 大むじなが声をかけると、

「あいよっ」

 熾きががさごそと崩れ、中から赤く輝くものが跳びだした。扉を抜け、空中を飛んでましろの足元に着地する。思わず後ずさりしたましろが恐る恐る見守る中、飛び出してきたものはむっくりと体を起こす。それはましろの手のひらに乘る程の小さな鼠で、全身が輝く赤い毛で覆われていた。鼠は黒い眼を輝かせて、大むじなとましろを見上げる。

「やあ、大むじな。今日はどうしたんだい?」

「この子を連れて槇紫野町を巡っているところなんだ」

 大むじなはましろの肩に手を置いて答えた。

「おや、座敷わらしのお嬢ちゃんだね」

「ましろと言う名前だ。棲んでいた家が無人になって、そこに棲めなくなったんだ」

「そいつは気の毒に」

「だから、この町に棲める場所がないか一緒に探しているところだ」

「なるほどなあ」


 飆火は首をぐるぐる回して伸びをし、後ろ足で立ってましろを見つめた。

「お嬢ちゃん、前はどの辺りに棲んでいたんだい?」

「ずっと遠くのいくつもの山に囲まれた静かなところです。どちらの方向かはわからないんですけど」

「そうかい、あっしも前は山が連なる場所のふもとに棲んでたんだ。のぼがまがあってね」

かまと言うと?」

「大きなかめを焼くかまどで、火が入ると三日三晩燃え続けるんだ。薪もどんどん投げ込まれて、豪勢なもんだった」

「へえ」

「あっしは窯の中を走り回って、風を巻き起こし炎を盛り上げるのさ」

「すごいですね」

「だけど」

 飆火はちいさな口をへの字に結んだ

「登り窯がかれなくなったんだ。人間が甕を使わなくなったせいなんだと。人がいなくなった窯に棲み続けることはできない。そこを出て、あちこちを旅してここにたどり着いたんだ」

「残念でしたね」

「ああ、でもここは気に入っている。周りの山から出る油をいっぱい宿した杉の枝や幹を燃やしているからな。木が燃える匂い、パチパチぜる音は昔と一緒だ」

「昔と一緒……」

「ああ、目をつむると、窯の中を炎と一緒に駆け回った熱気が蘇るんだ」

「そうなんですね」

 飆火の言葉にましろは切なそうな表情を浮かべた。


「わたしが棲んでいたのは山間やまあいの小さな集落から更に山の中に入って行ったところでした。昔は大勢の人間たちが住んでいたのですけど、百年ぐらい前からだんだん人が減っていって、最後は家族ごと出て行ってしまいました。わたしは座敷の奥や梁の上に潜んで人の暮らしぶりを眺めていただけで、人間と話をすことはなかったんだけど、時々、前のおうちで見た光景をふっと思い出します。丁寧に手毬に色糸をかがっていた嬢ちゃんの姿とか、ごく稀だけど他所よそから迷い込んで来て……。あっ」

 ましろは横に立つ大むじなのジャケットの裾を引っ張った。

「大むじなさん、わたし、思い出した。あの蝶のこと」


 その時、


タンタタララ、タラララタララ


 大むじなのスマホが鳴った。

「もしもし……、うん……」

 相手の声に頷いていた大むじなは通話を終えるとましろの前に屈み込んだ。

「ましろちゃん、事務所にあの写真館を借りたいと言うお客が来ているそうだ。急いで行ってみよう」

 大むじなは頬をうっすら紅潮させて立ち上がった。

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