座敷わらしは鄙な棲み処に落ち着きたい

oxygendes

第1話 山間の里 二十年前

 山間やまあいに広がる小さな集落、川沿いに広がる耕地のうち水田はわずかで、山につながる緩やかな斜面の部分は石垣を築いて段差で連なる畑になっている。山に近い部分のそこかしこに数軒ずつまとまって民家が並ぶ。民家は石積みの上に建てられ、きれいに手入れされた生垣いけがきで囲まれていた。民家や耕地は曲がりくねった小道で結ばれ、川沿いに伸びる街道につながっている。小道は背後の山の中へも伸びていた。


 夏の強い日射しの下、虫取り網を持った少年が山沿いの小道を進んでいた。年の頃は七、八歳ぐらい。きょろきょろと左右を見回していた顔が一点を見据えて止まる。獲物を見つけたのだ。紫のはねの揚羽蝶が道端の笹百合の花にとまっていた。

 少年はそっと歩み寄り、薙ぎ払うように網をふるう。だが、揚羽蝶はふわりと網をかわし、道端に広がる草むらの上をひらひらと飛び去って行った。紫で縁取りされた翅の黄色や青の模様が煌めく。少年は蝶の後を追う。右へ左に身を翻しながら蝶は木々の間から振り注ぐ日射しの中を飛んで、山の奥の方に向かって行った。いくつもの分かれ道を過ぎ、少年が不安げに来た道にちらりと目をやった時、蝶が飛び去って行く先に入母屋いりもや屋根の屋敷が現れる。蝶は生垣を越え、屋敷の前庭に入って行った。

 少年は敷地の入り口で立ち止まり、屋敷の様子を窺がう。屋根は雨に濡れたようにつややかな黒瓦、正面にいくつもの座敷が並び、腰ほどの高さの濡縁ぬれえんが巡らされている。開け放たれた障子の先の座敷に人影は無く、濡縁の端に色糸でかがられた手毬てまりがひとつぽつんと転がっていた。前庭には躑躅つつじや萩などの低木や草花が植栽されている。芥子けしが緋色の花を咲かせ、蝶はふわりと広がる花弁の上で翅を休めていた。


 少年は前庭に入って行った。忍び足で芥子の花に近づき網をふるう。手首を回して折り返した網の中で蝶はふるふると翅を震わせていた。網に手を入れ、翅を重ねて親指と中指で挟む。網越しに見える翅の模様はこれまで見たことのないものだった。少年の口元に笑みが浮かぶ。その時、

「お願い」

背後からの声に振り向くと、すぐ後ろに少女が立っていた。おかっぱ頭に藍の着物、年頃は少年と同じくらいに見えた。少女は少年の目を真っ直ぐに見つめる。

「その蝶を放してあげて」

 凛とした顔つきに少年は言葉を失った。そして……

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