第2話 見晴らし峠

 トンネルを抜けると視界が一気にひらけた。山の中腹を貫きながら走るバイパスからは左右に広がる森林が遠くまで見通せる。一本道で交差点も無い。箱型荷台の運送トラックは風を切り裂いて進んで行った。

 やがて左側の森の向こう、遥かな下方に平野と町並みが姿を現わした。背の低い建物が並び、その周りを緑の木々が取り囲んでいる。さらに進んだ運送トラックは道路左に大きな看板を掲げたガソリンスタンドを見つけ、その中に入って行った。


 トラックのドライバーはガソリンスタンドの従業員にフル給油を注文し、駐車場に設けられた休憩所に入る。休憩所は開けた台地の縁にあり、四方の景色が見渡せるものだった。

 室内には食堂用テーブルと丸椅子が並び、数台の自動販売機が置かれていた。運転手は窓際の椅子に座り外を眺める。駐車場の先は平地へとつながる緩斜面の荒れ野になっていて、その下に町並みが広がっていた。

「いらっしゃいませ。お茶をどうぞ」

 背後からの声に振り向くと、ガソリンスタンドのピンストライプの制服を着た女性が紙コップを載せたお盆を持って微笑んでいた。切れ長の目のぷっくりとした涙袋が艶っぽい。

「あ…、ああ、いただきます」

「どうぞ」

 お盆には二つの紙コップが載せられていた。女性はそのひとつをドライバーの前のテーブルに置く。

「ありがとう」

「おもてなしいたしますので、ぜひ、当店をご贔屓に」

「うん」

 お茶をすすったドライバーは外の景色に目を向けた。

「見晴らしが素晴らしいね」

「はい」

 女性はお盆をテーブルに置いて、窓の脇に立った。右手を掲げて下方に広がる町を指し示す。

「今は山を貫いてバイパスが走ってますけど、昔は街道が下の平野を通っていました。あの槇紫野まきしのの町は街道の宿場町が発展したものなの。その時代には峠を越えて槇紫野につながる間道があって、ここがその峠のいただきだったんです。見晴らしがよくて、旅人は足を止めて眼下に広がる槇紫野の町の姿に見入っていたそうです。でもね……」

 女性は話を止めてドライバーの目を覗き込んだ。

「出たんですって、狐が」

 道路わきに残る松の木に向けて指を伸ばす。

「村娘に化けて、あそこの松の枝に腰かけて待ち構えて、通りかかった村人や馬方うまかたに話しかけて、持っていた食べ物をだまし取ったり、馬にただ乗りしたり」

「へええ」

「名前はおこん。困った村人は話し合って対策を講じることにしたの。それがあのほこら

 女性は松の木の脇の古びた祠を指さした。

「おこんの石像を作ってあそこに祀り、お供え物をすることにしたの。そうしたら悪戯いたずらはぴたりと止まって、それだけじゃなく、お年寄りの荷物を持ってくれたり、道に迷った旅人を案内してくれたりするようになったの。付き合ううちなおこんが実はとっても気立てのいい狐であることが分かって、めでたしめでたし。今も祠にお供えが絶えることはないんです」

「はあ」

「と言うことで、お帰りの際は祠にお参りしていくのがおすすめ。そこの自販機にはお弁当も売っていて、中でもいなりずしの折詰を供えたら、商売繁盛、金運上昇、交通安全、無病息災になること、ゆめゆめ間違いなしよ」

「ううん、なるほどねえ。じゃあ、帰り際に祠を見させてもらうよ」

「ぜひぜひ、おこんの像もとってもキュートですよ」

 戸口に向かい、手前で振り返ったドライバーに女性はにこにこと微笑みかけた。

「ありがとうございました、お供えもお忘れなく」

「ああ、そうだね」

 ドライバーは自販機に歩み寄り、首を傾げながら折詰を買った。

「じゃあ」

「また、お越し下さいね」


 祠に向かって歩くドライバーを女性は戸口で見送り、口角を上げた。

「ふふっ、人間ってちょろい」

 振り向いて、先ほどドライバーが座っていた場所に目を向け、

「ねえ、そこにいるんでしょ。匂いでわかるわよ、姿を現わしたらどう」

と、話しかける。

「大丈夫、あたいもあやかしだから」

 言葉と共に女性の姿が変化していく。耳は大きく上端がぴんと尖ったものに、鼻の先が前に伸び、口は左右に大きく裂けていった。

「峠の化け狐、おこんよ」


 ドライバーが座っていた場所の隣で陽炎のように空気が揺らいだ。空中に藍色の影が滲み出て、丸椅子の上にちょこんと正座する少女の姿に変わった。藍の着物に支子くちなし色の帯を締めていておかっぱ頭、年の頃は七、八歳くらいに見える。

「おこんさん、わたし、ましろと申します。座敷わらしなんです」

 少女は背筋を正し、しっかりした声で応えた。

「へえ」

 おこんはましろに歩み寄り、テーブルにふわりと飛び乗つた。片膝を抱え込んで、ましろの正面に座る。

「まあ、お茶でも飲んでくつろぎなよ。膝も崩してさ」

 テーブルに置いていたお盆を引き寄せ、紙コップをましろの前に置いた。

「こっちは人間たちの湯茶室からくすねてきた本物のお茶だから大丈夫よ」

「ありがとうございます」

 ましろは足を伸ばして丸椅子に腰かけ、紙コップを両手で包み込むようにかかえた。おこんはましろに鼻先を近づける。

「あんた、さっきの男にくっついて来たのよね。どうしてこんなところに?」

 ましろは顔を曇らせた。


「わたしはここよりずっと山奥のおうちにんでいたんです。でも、人間たちがそのおうちを捨てて都会に引っ越すことになりました。人のいないおうちにあやかしが棲み続けることはできません。荷物に紛れて人間たちについて行ったんですけど、新しいおうちは入口を鉄の扉で締め切って風の流れも自然の息吹も入って来られないものでした。そんなところには棲めません。仕方なく、荷物を運んできた四角い車に戻って、ここまで来たんです。車が止まって、外の風が気持ち良さそうなので、隠形おんぎょうして出て来たのですけど……」

「ふうん、それでこれからどうするつもりなんだい?」

「どうしたらいいかなんてわかりません。でも、なんとか棲むところを見つけないと……」

「そうだね」

 おこんはテーブルから飛び降り、片膝立ちでましろに寄り添った。右手をましろの肩に添えて、窓の外に広がる槇紫野の町に視線を向ける。

「あの町、槇紫野は昔からの宿場町でさ。山の上を通る別の道が出来て、人の往来が減っているんだけど、その分騒がしくないとも言える。周りに木々が茂っていて、街中にも緑が多い。棲みついている妖もたくさんいるよ。あそこで棲み処を探してみたらどうだい」

 ましろはおこんの顔を見つめ、唇を噛みしめる。そして、

「わたし……行ってみます」

「そうかい」

 おこんは町の真ん中辺りを指さす。

「あそこに赤いとんがり屋根が見えるだろ。その隣の白い建物にあたいの友達が棲んでいる。人間に化けて不動産屋をやっているんだ。そいつに頼めば、棲みつける場所を教えてもらえるかもな」

 ましろは目を凝らして、教えられた白い壁の建物を眺める。それは周囲の建物に馴染み、何の変哲も無いものに見えた。

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