【完結】プラマイゼロ!?
皆見由菜美
本編
第一章 祝福されし者たちの学園
一歩前に進んで、周囲に視線を走らせる。覆面のせいで視界が狭まっているため、どうしても頭を大きく振るような動きになる。
それに暑い。二学期が始まって二日目、夕暮れに近い時間だが、太陽はまだ燦々と、というよりもぎらぎらと輝き、地上には熱気がわだかまっている。
森の中なので少しは楽だが、あくまでアスファルトの上などに比べればの話で、暑いことには変わらない。頭を包む覆面と長袖長ズボンのジャージ姿では、いつ熱中症で倒れるか正直わかったものではない。
首を伝う汗をジャージの袖でぬぐいながら、今度は顔を仰向けて周囲を確認する。人間は頭上に注意を向けるのを忘れがちになるので、意識して上を見るようにしているのだ。
木の枝の合間から何か揺れる物が見え、彩葉の視線はそこに吸い寄せられた。
「デルタ、あそこ!」
押し殺した声で隣にいるチームメイトのコードネームを呼び、五メートルほど離れた背の高い木の頂上付近を指す。
揺れている木の枝に立ち下を見ている人影がある。彩葉たちには背中を向けていて、こちらに気づいていないようだ。
デルタがこちらを見てうなずく。彩葉もうなずき返した。敵が高い場所にいる場合の対応策は事前に決めてある。
樹上の人影がはっきりと視認できるよう数歩横に移動した彩葉は、自分の内側に意識を向けた。そこには力がある。見えもせず、触れもせず、ただ、ある、としか言いようがないが、確かに存在を感じられる。
力に意識を集中して、外部に押し出す。外に出た力は彩葉を中心に球状に広がっている。
能力の扱い方に精通すれば、もっと複雑な形状に力の形を変え、自分の正面に横並びで立っている二人の内片方の力を無効化しながらもう片方には力の影響を及ぼさない、などということもできるようになるそうだが、あいにく彩葉はまだまだその域には達していない。
目に見えない力の球を大きくしていくと、やがて木の上に立っている敵――体格からして少年だろう――の体がすっぽりとその中に入った。
それに反応するように、敵が動いた。反射的に振り返るようにこちらを向きかけ、ずるりと足を滑らせる。
「うわっ」
短い悲鳴が風に乗って聞こえる。
木の枝をバサバサと揺らしながら敵が落下していくのを確認して、彩葉は力の球を消した。力を外部に及ぼすには集中して制御する必要があるが、消すのは一瞬でできる。
数メートルの距離を落下した敵の体は、地面に激突――する前に大きな水の塊に受け止められた。彩葉のチームメイトであるデルタが作り出した物だ。
人の体を通さないくらい粘度を高くした水の塊は、だが大きさのせいもあって維持するのが難しいそうで、一瞬後バシャッとはじけた。
敵の体は今度こそ地面に叩きつけられるが、デルタの水塊のおかげで精々打ち身程度で済んだだろう。
彩葉とデルタは間を置かず次の攻撃に移った。敵が体勢を立て直す前に、デルタが敵の頭を水球で包み込む。敵の呼吸を奪い、混乱させるのだ。
彩葉は腰のホルダーから電気銃を抜き、敵に狙いを定めて引き金を引いた。電気弾が飛び出すが、敵の体にくっつく直前で敵が素早く体をひねったので当たらなかった。
敵は意外に冷静だ。戦い慣れしているのかもしれない。
今度はデルタが電気銃を撃つ。立ち上がった敵は側転してその弾丸も避け、こちらに向かって突進してきた。その動きの速さは常人のものではない。
(やっぱり身体強化の
彩葉の力の影響下に入ったことにすぐ気づいたように見えたことからして、敵の
敵の体は大きな水塊がはじけた時に濡れてしまったため、敵は電気銃を使えない。肉弾戦をしかけてくるだろうと予想もついていた。だが思ったより敵の動きに迷いがない。
彩葉は咄嗟にデルタの前に踊り出た。
再び敵の
痛みをこらえてできるだけ急いで体を起こすが、視界に敵の姿がない。ぱちぱちと瞬きしてから、よく周囲を見ると、敵はロープでぐるぐる巻きになって地面に転がっていた。
デルタの方を見れば、電気銃とは逆の手に投げ縄銃を持っている。敵が彩葉に構っているうちに投げ縄銃をホルダーから抜き、彩葉が投げられた後ロープを発射して敵を拘束したのだろう。
『そこまで! Bチームの勝利!』
機械を通した声が上空から聞こえて見上げると、ドローンが飛んでいた。喋っているのは、集団戦闘訓練の担当教師だ。
立ち上がった彩葉は、デルタと協力して敵の体に巻きついたロープをほどいた。立ち上がった敵、もとい対戦相手が、覆面を外してぶるぶるっと頭を振る。
「あっちー! あーくそ、やられたー! やっぱ二対一はむずいよな」
「でもあんたやっぱり強いよ。あたしたちが勝てたのぎりぎりだったもん」
こちらも覆面を外したデルタが、返事をしながら歩き出す。
彩葉も覆面を脱いでそれに続いた。覆面は、相手が誰か、どんな
肩まである黒髪はポニーテールにしているので、剥き出しになったうなじをそよ風がくすぐって、心持ち涼しい。
「あ、本条、怪我してないか? 俺あんま手加減する余裕なかったからさ」
「大丈夫です。それにしても先輩って本当にタフですね。呼吸妨害されてもダッシュしてくるんですから」
「あの攻撃は前にもくらったことあったからな。初めてだったらあの時点でやられてたんじゃねえかな」
喋りながら森を出て、担当教師と合流する。
木陰に座ってスポーツドリンクを飲みながら、教師に三人それぞれ訓練の感想を述べ、次いで教師がそれぞれの良かった点や悪かった点を指摘する。担当教師は遠見の
「最後に本条。仲間を庇う心意気はいいが、あの判断は減点対象だ。おまえは一歩引いて、仲間が敵を食い止めている間に、投げ縄銃で拘束するべきだった。前にも言ったが、おまえには治癒の
「……わかっています」
そう、彩葉もわかってはいるのだ。
ただ、仲間に危険を押しつけるのには、どうしても抵抗を感じる。自分を庇って怪我をする人を見るくらいなら、自分が怪我をした方がいい、と思ってしまう。その気持ちが、咄嗟の動きに表れてしまうのだろう。
他に何点か彩葉の行動への批評を述べてから、教師は訓練終了を宣言した。覆面を回収して去っていく。
それと入れ替わるように、少し離れた場所で待機していた養護教諭の安富が歩み寄ってきた。年齢不詳で有名な彼女は、ゆったりとした足取りで、この暑さの中でも涼しげな顔で微笑んでいる。日傘を差しているからといって、全く暑くないはずはないのだが、本当に暑さを感じていないように見えるのが彼女らしいところだ。
他の生徒二人は、特に怪我はない、と言って、制服を置いてあるジムの方向に歩いていく。
安富は彩葉に顔を向けた。
「本条は左肩痛めてはるよね? さっきから庇ってるやろ」
「はい」
彩葉は素直に答えた。先程打ちつけた肩が今もずきずきと痛んでいるのは事実だし、治療を拒否する理由はない。
肩を打ったことを伝え、指示されるままにジャージの上を脱ぎ、体操服の左袖をまくり上げる。
安富は彩葉の肩を観察し触診してから、診断を口にした。
「骨に異常はなさそうやね。とりあえず冷やしておけば大丈夫やろ。痛みがひどくなるようやったりいつまでもあざが引かんようやったら、うちんとこ言いに来るんよ」
「はい」
安富は、救急バッグの中から取り出した冷却パックを渡してくる。
「それにしても、うち本条に感謝せなあかんやろか。あんたのおかげで、普通の治療の腕が落ちる心配せんで済むもんなあ」
「いつもすみません」
安富は治癒の
彩葉は、今日のような戦闘訓練だけでなく総合格闘部の練習でも頻繁に怪我をしては、安富の世話になっているのだ。
「謝らんでええけど、なるべく怪我せんようにな。自分の体大事にせなあかんよ」
「努力します」
「そこはおとなしく『はい』って言うとき」
「嘘をつくのは良くないですから」
「まったくあんたは、融通きかへんなあ」
安富はぺちんと彩葉の額を叩いた。八年来のつきあいなので、安富は彩葉の性格をよくわかっている。
冷却パックがぬるくなりきるまでは肩から離さないように、と言い置いて、安富は初等部の保健室に戻っていった。白い日傘の下で揺れる長い黒髪も、どこか涼しげだ。
彩葉はジムの方角に歩き出す。
打撲部分の冷却が終わってシャワーを浴びられるようになるまではまだしばらく時間があるが、待つにしても冷房の効いている屋内で待ちたい。
少し歩くと第三グラウンドに差しかかる。部活中の生徒たちが元気のいい声を上げながら、それぞれのスポーツの練習に勤しんでいる。
ここ国立天恵学園は特殊な学校だが、このグラウンドの風景だけを切り取って見れば、他の学校と変わらないだろう。
第三グラウンドは、他校でも行われる普通のスポーツを行うための場所なので、空を飛ぶ生徒もいなければ、地面から急に背丈の数倍になる土の壁がそそり立つこともない。
彩葉のようにそもそも運動とは関係なかったり派手な現象を起こせなかったりする
ただ、中には、普通のスポーツを楽しむ生徒を見下すだけに留まらず、積極的に妨害してやろうと考える生徒もいて、夜中にグラウンドを穴ぼこだらけにする、などの嫌がらせがたまにある。
もちろん学園側はそういう行為を許容せず、犯人がわかれば厳しく処罰しているのだが、なかなかなくならない。
人間の中に稀に発現する特殊な能力は、公式には
巷では超能力、超能力者という呼び名の方がよく使われるが、その呼び名にはうさんくささがつきまとう、とか、特別さを出したい、とかいう理由でそうなっているらしい。どこまで本当かは彩葉は知らないし、大して興味もない。
何にせよ、ここは日本中から集められた特殊能力者が通う学園で、その中では
その呼び方が、普通のスポーツを楽しむ生徒を、延いては能力を持たない普通の人々を見下す生徒を生み出すのに一役買っているのではないか、と彩葉は思ったりする。
自分たちは神様だか何だかに祝福を受けた、つまり選ばれた特別な人間なのだから、それ以外の人間より偉い、と考えてしまうのだ。
(そんな考え、幼稚だと思うんだけどなあ)
大分ぬるくなってきた冷却パックを肩から離さないようにしながら、彩葉はジムのロッカーに入れてあったスクールバッグを取り出した。バスタオルなどを取り出すついでにスマホの画面を確認すると、学園の公式アカウントからメッセージが届いていた。
『本条彩葉さん、
学園長からあなたにお話があります。
明日の朝九時半に学園長室に来てください。
授業は休んで構いません。
来られない場合は以下の番号に電話してください。
□□□―○○○○―△△△△』
彩葉はまじまじとスマホの画面を見つめた。
(学園長が直々に話って……わたし何かしたっけ?)
頭の中を引っくり返して心当たりを探すが、一つも見つからない。彩葉は、成績はさほど良くないが、ルールは守る
そもそも一生徒の校則違反ごときに、わざわざ学園長が出張ってくることもないだろう。あるとすれば、よほど重大な違反か、人を傷つけてしまった、などの場合だ。どちらも彩葉とは無縁の話だ。
しばらく首をひねったものの、手がかりのない状態でいくら考えても埒が明かない。彩葉は疑問を頭の奥に押しやると、スマホをバッグにしまってシャワーを浴びる準備を始めた。
*****
翌朝、彩葉は学園長室のある校舎に足を踏み入れていた。授業を抜けてきているため、学園長と担当教師の許可は得ているというのに、何だか悪いことをしている気分になって、つい足音を潜めてしまう。
この校舎に足を踏み入れるのは八年ぶりなため、緊張は更に増している。
一階の出入り口にあった見取り図どおりの場所に学園長室を見つけ、スマホで時間を確認する。九時二十五分。ちょうどいい頃合いだろう。
大きく深呼吸してから、学園長室のドアを叩く。重厚なドアの中から、「入りなさい」とくぐもった声が返ってきた。
ドアを開けて中に入り、閉めてから会釈する。
「高等部一年三組の本条彩葉です。えっと……学園長がわたしにお話があるというメッセージが届いたので……来ました」
部屋の中には、正面のどっしりした机に座った五十代くらいの男性と、その机の前に立っている四十代くらいの女性がいた。
男性の方は学園長だ。学園転入時に会ったことがあるし、朝礼などでも定期的に見る。女性の方は見憶えがない。
「よく来たね、本条くん。そちらのソファーに座っていなさい」
学園長が示した方向を見ると、低いテーブルを挟んで横長のソファーが二つ置かれている。
彩葉は「はい」と答えてもう一度会釈してから、手前のソファーに腰かけた。
学園長は女性に何かしら指示を出している。どうやら女性は客ではなく職員らしい。
二分ほど経って女性が出ていくと、学園長は机から立ち上がった。でっぷりと突き出した腹を揺らしながら、手に何かのファイルを持ってこちらに歩いてくる。彩葉の向かいに腰を下ろすと、つるりとはげ上がった頭のてっぺんを一つなでた。
「時間があまりないので、前置きは抜きにして用件に入らせてもらうよ。今日君に来てもらったのは、特別任務に就いてもらうためだ」
彩葉はぱちぱちと瞬きした。
「特別任務、ですか?」
「ああ、数日前に覚醒した
「覚醒型にありがちなように、彼女も力の制御がおぼつかない。しかも力が相当強力なようで、
「え……」
「君の
「そんなに危険な
彩葉の問いに、学園長の目がわずかに細まった。
「彼女の
ひゅっと彩葉の喉が鳴った。すうっと体の感覚が遠くなる。今ここではない別の時、別の場所に引き戻されるような心地がする。
「君にとってはつらいこともあるだろう。だが――」
「嫌です」
その言葉は、彩葉が言おうと思って言ったものではなかった。ただ心が全力で拒否を訴えている。その気持ちがあふれてしまったのだ。それだけに、彩葉の嘘偽りない心情がこもっていた。
電気使いの
実は彩葉が所属している総合格闘部にも一人いる。だが、彩葉は彼にはなるべく関わらないようにしてきた。悪い人ではないので、さりげなくとはいえ避けていることに申し訳なさを感じることもあるが、どうしても電気使いには思い出したくない記憶を刺激されてしまうのだ。
「これは命令だ。君に拒否権はない」
厳しい声で言った後、学園長は声と表情をやわらげた。
「こう考えてみてはくれないかね。君が田辺くんの傍につくことで、田辺くん自身と彼女と関わる者たち両方が傷つかないよう護ることができる。人助けができるのだ、と。無論報酬も出る」
彩葉は唇を噛んでうつむいた。スカートをぎゅっと握っている自分の拳の白さが目につく。
学園長はそれ以上何も言わず、静かに彩葉の様子を見守っている。かなりの時間が過ぎた後、彩葉はぽつりとつぶやいた。
「どうしても、やらなければいけませんか」
「今学園には無効化の
「……傍につく、というのは、具体的にはどういうことですか」
「田辺くんが力を制御できるようになるまで、基本的に一日中彼女に張りついてもらう。もちろん夜中もだ。家族用の教職員宿舎に部屋を一つ用意させた。そこで同居してもらうことになる」
大体予想していたとおりだったが、実際に耳にすると忌避感が募る。
「そこまでする必要があるんですか? 力が制御できるようになるまで隔離しておくとか……」
「できなくはないが、ずっと閉じ込めておくのでは、田辺くんがかわいそうだろう」
彼女のお守りを強要されるわたしはかわいそうじゃないんですか、と言いたくなったが、彩葉はぐっとこらえた。
「君にとっても、成長するいい機会だ。電気使いの存在に一々心をかき乱されているようでは、将来仕事に支障が出るだろう」
正論なので、反論できない。そもそも、彩葉は教師に無闇と反抗する
「君の将来の同僚に電気使いがいる可能性は高い。その時に相手を"電気使い"と見るのではなく一人の人間として見られなければ仕事にならない。今回のことはいい訓練になる。同じ電気使いの
「わかりました」
彩葉は学園長の言葉を遮った。姉の話をされるくらいなら、嫌な任務でもさっさと了承した方がいい。どうせ断ることはできないのだから。
学園長の顔に満足気な笑みが浮かぶ。
「そうか。それでは任務の開始日だが……明日になるかもう少し先になるか、今の時点ではわからない。詳しい事情は、このファイルの中身を読んでもらえればわかる」
学園長がテーブルに置いてあったファイルを渡してくる。
「今日はこのまま寮に帰って荷物をまとめるといい。心の準備も必要だろうしね。明日の朝九時に、寮の部屋に私の秘書を迎えに行かせる。彼女が新しい部屋に君を連れていくので、荷物を整理したりして好きに過ごすといい。この任務の間はどうせ授業は受けられないから、任務開始までの間は休日だと思ってくれ。まあ、役得というやつだね」
学園長に微笑みかけられて、彩葉は曖昧に「はあ」と答えた。
「任務開始の日が決まったら、私の秘書がまた連絡する。田辺くんは今研究所にいるので、秘書が君をそこに連れていって田辺くんに引き合わせ、その次の日からは、田辺くんに付き添って中等部で過ごしてもらうことになる。よろしく頼むよ」
「……はい」
それで話は終わり、彩葉は挨拶して学園長室を辞去した。ドアを閉めると、ため息がこぼれる。
無効化の
(ああ、憂鬱……)
九月の抜けるような青空を窓越しに見ながら、彩葉はその光景に似合わない表情で、もう一度深々とため息をついた。
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