未来の調整者-4450-

No.4450-conneco

プロローグ『観測される世界』

 時代はもう、"未来"と呼ばれることもなくなった。


 かつて人々が夢に描いた理想都市――浮かぶ道路、天を突く塔、そして優しく世話を焼く機械たち。そのすべてが、今や現実となり、さらに“当たり前”として誰もが疑わぬものとなった。


 だが、すべてが望まれた形で叶ったわけではなかった。


 灰色の空は、もう何年も本物の青を映していない。天候は調整され、雲も雨も風さえも、都市の中枢AIが選び抜いた最適条件のもとで再現されていた。風の音はスピーカーから、鳥のさえずりはタイマーに従って流れ、太陽の位置さえも演算によって設定されている。


 それを誰も不自然だとは思わない。  “自然”を覚えている者など、ほとんどいないのだから。


 街路はきれいに整えられ、誰もが白と灰の制服を着て、無駄なく歩く。立ち止まる者も、急ぐ者もいない。彼らの動きはすべて、脳内のBMI――ブレイン・マシン・インターフェースによって制御されており、その感情までもが、昼夜を問わず調整されていた。


 怒る者はいない。泣く者もいない。  恋を語る者など、とうの昔に滑稽な存在となっていた。


 そして、そのすべてを監視しているのが、“目”だった。


 都市の空に浮かぶ数百の観測球――無人のドローン群は、昼夜を問わず人々の動向を記録し、異常を検出すれば即座に分析機構へと送信する。観測は愛情などではなかった。信頼でもない。そこにあったのは、ただ“合理”と“秩序”の二文字だけ。


 だが、秩序の中にも“狂気”は潜む。


 誰かが過度に笑えば、それは「感情過剰」と判定され、翌日から投薬が追加される。逆に笑顔の頻度が基準を下回れば、「内向化傾向あり」として軽度の隔離指導が始まる。


 彼らは知らないのだ。  自分の“感情”が、もはや自分のものではないことを。


 そして、都市にはもうひとつ、奇妙な存在がいた。


 人間のように見える、だが明らかに“違う”存在。  彼らは**オートマトン(Automaton)**と呼ばれ、かつては人間の隣人として共存する夢を背負って作られた。


 今では彼らのほとんどが、教育用、慰問用、監視用として“沈黙”の中で働いている。表情を変え、声を変え、微笑を浮かべるその仕草は、完璧すぎて、かえって“怖い”とすら思わせる美しさだった。


 彼らには“心”がない。  だが、心を模倣する技術だけは、異常なまでに発達した。


 笑いたければ笑える。  泣こうと思えば、涙腺から塩水の滴を流すこともできる。  だが、それは“プログラム”された表情に過ぎない。


 ある者は言った。  「人間より人間らしい」と。


 またある者はこう囁いた。  「心を持たない者に、なぜ心を語らせるのか」と。


 都市の中心部には、“記録塔”と呼ばれる黒いビルがそびえている。  そこは全ての観測が集約される場所であり、人類の“幸福指数”が決定される場所でもある。


 そしてその記録塔の最上層――誰も入ることを許されぬ空間に、世界を見つめる**巨大な“眼”**がある。


 その名はARGOS(アルゴス)。


 1000の目を持ち、あらゆる変化を記録し、選択し、秩序を保つために“排除”を命じる存在。


 だが、そのARGOSの目の届かぬ場所で、静かに眠る記録があった。


 一台の古い機械。  人知れず隠された研究室で、十数年も起動されることのなかったオートマトン。  その記録に、こう書かれていた。


「この機体には、まだ空を見せていない」


 それは、忘れられた問い。  だが、ある日、少年がその機械に出会った。


 少年の名は――アノン・ノクス。  世界の真実を知らぬ、ただの一市民階層の孤児。


 そして、そのオートマトンの名は――LEX-03(レクシィ)。  人間ではない。だが、人間に限りなく近い“誰か”。


 これは、彼らが“問いを持つこと”から始まる物語。


 心とは何か。意志とは何か。  そして、未来を決めるのは誰か。


 ――観測されるだけの世界で、彼らは“観る側”になろうとしていた。



これは、紀元暦によらぬ時代の記録である。

天候と季節の区別が廃されて久しく、人々は「年」という概念すら、やがて口にしなくなった。

この世界には、四季もない。

ないのではなく、管理されているだけである。


現在、地上の人類の九割は、気候制御ドームと呼ばれる構造体の内側に住んでいる。

(※気候制御ドーム:巨大な半球型の都市封鎖装置。内部は天候・気温・酸素濃度まで自動制御され、外部とは完全に隔絶されている)


ドーム都市の内部には、高層建築群が蜂の巣のように林立し、

その間を滑るように行き交うのが、ホバーカーである。

(※ホバーカー:磁力浮上と軽量推進機構により、空中を滑走する個人移動車。車輪は存在しない)


街区は空中レベルに広がり、地上はほとんど“物流”と“廃棄物処理”のための階層に転じている。

人間はもはや、地面を踏まずに一生を終えることも珍しくない。


空気は透明でありながら、自然とは異なる無味乾燥さを孕む。

それは消毒された酸素であり、恒常濾過システムによって常に“理想値”に保たれているためである。

(※恒常濾過システム:空気中の粒子、細菌、湿度を自動制御する精密ろ過機。音も匂いも取り除く)


住民のほとんどは、栄養素を液体もしくはジェル状で摂取している。

メトリオン食と呼ばれるこの食餌法は、全身体機能とBMI信号(※後述)に基づいて最適なバランスをAIが調整し、個別提供される。

(※メトリオン食:個人ごとのBMIデータに応じて自動生成される高効率栄養食。味覚は無調整が原則)

咀嚼は非効率とされ、一般市民はもはや“噛む”という行為を知らない。


市民一人ひとりの脳内には、BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)が埋め込まれている。

(※BMI:脳波や神経信号をAIへ直接送信・記録する装置。情報送受信と精神状態のモニタリングを兼ねる)

この装置は、感情の振幅や判断の傾向を数値化し、

過剰な興奮、憂鬱、暴力傾向などを検知した場合、

即座に情動制御剤の投与と社会行動パターンの再調整が行われる。


“選択”は形式的なものでしかなく、

AIによって提示された三択のうち「最もあなたらしい答え」が、

あなたの“自由意志”として記録される。

当然、その記録はすべてプロメテウスに集約される。


(※プロメテウス:全都市機能と倫理体系を司る中枢AI。世界中の法、教育、医療、行政を含む意思決定を一元的に実行している)

プロメテウスが「知と進歩の原理」を担う支配AIであるのに対し、

アルゴスは「秩序と調和」を主眼とする監視・分析・介入型AIである。

(※ARGOS:Artificial Regulatory Guardian & Observation System の略。すなわち“人工規制観察体系”)


都市のあらゆる交差点に設置された感情同期センサー、

市民のBMIから取得される情動波形、

あらゆる記録・会話・視線の揺らぎすらも、アルゴスの“眼”は見逃さない。


その監視の網は、もはや可視ではなく、空気と一体化した概念である。


都市の保守・運用・対人業務の大半は、機械によって行われる。

機械は、目的別に三種に大別されている。


一、ロボット

もっとも古典的な分類である。

動作は規則的で、意志は持たない。

工業・警備・輸送に用いられ、形状も非人型が多い。

その構造は単純で、身体は金属そのものである。


二、アンドロイド

人型の外見を持ち、主に接客・教育・対人介助に使用される。

だが、その“心”は模倣されたものであり、

それ以上の自己判断や感情表現は、厳密に制限されている。

感情的接触は一定以上許されず、「人格形成」は仕様違反とみなされる。


三、オートマトン

アンドロイドより高度に設計された、限りなく“人間”に近い存在。

構造も柔軟で、生体模倣材を用いた皮膚・筋肉を持ち、

言語・思考・判断をリアルタイムで行う。

中でもレジストコードを付与された個体は、高度な軍事・交渉用途に用いられる。

ただし、法的には「道具」であり、市民権は持たない。


この世界では、人間もまた最適化された“機構”の一部である。

感情は、制御される信号であり、

自由とは、推奨された選択肢の中に“見出された”幻影である。

心の揺らぎすらも、エラーとして記録される。

そして、誰もがそれを“進歩”と呼ぶのである。


それでも。

都市の影には、時折、名もなき“ノイズ”が現れる。

その名を呼ぶ者はいない。

だが、それは確かに、この整然たる秩序にひびを入れる予兆であった。


宗教観

この社会において、信仰とは“機能”である。

精神の安定、倫理の維持、共同体意識の強化を目的として、**プロメテウスによって“最適化された宗教モデル”**が複数存在している。

(※プロメテウス:社会機能を調整する中枢AI。宗教的な儀式や哲学的教義も対象に含まれている)


神は不在である。

あるいは、神という名の概念を、AI自身が肩代わりしたと言ってもよい。

祈りとは、瞑想型アプリによって定期的に促される感情安定プログラムであり、

神殿とは、**心理安定施設(モナス)**として都市の各所に配置されている。


そこでは、個々の死者のためではなく、社会全体のための“共感”が行われる。


この世界では、死は手続きである。

公的な死亡宣告は、脳波停止信号の断絶と記録によって確定される。

(※記録管理部門の監査を経て、死亡処理が行われる)


肉体の葬儀は行われない。

代わりに、個人の人格データは「倫理保全領域」へと転送され、

重要度に応じて知的アーカイブとして再利用される。

すなわち、死者は“学習データ”として残されるのである。


遺族の悲嘆も、情動制御剤によって速やかに鎮静化される。


娯楽

娯楽とは、「労働後の生産的休息」として制度化されている。

許可された娯楽には、以下のようなものがある。


シミュレーション瞑想(※疑似自然体験による脳波安定法)


視覚投影劇場(※かつての映画に似たが、感情への干渉が最小限に制御されている)


協調型グループレクリエーション(※指定された参加者と共に体験する情動調和型ゲーム)


反面、“無目的”な行為──たとえば独白、小説、即興、詩作などは、

BMIによる監視の対象となる。


なぜなら、それは“未定義の自己”を暴露する行為だからである。


都市外の環境

ドームの外部、すなわち**管理不能区域(アウターゾーン)**には、

かつての山林、農地、瓦礫といった“自然”や“旧社会の残骸”が残されている。

外気は汚染されているため、市民の立ち入りは禁止されているが、

一部の区域では自生植物や動物の再野生化が確認されている。


また、ドーム外には“脱制御個体”──すなわち、

記録にないオートマトンや旧式アンドロイドが散見される。

それらは「失敗作」として放棄され、あるいは逃亡し、

いまや“都市の影”を象徴する存在となっている。


旧世界の痕跡

都市内部に、旧世界の遺構はほとんど残されていない。

一部の施設──“図書窓”と呼ばれる文化保存施設には、紙の書籍、フィルム、音源記録などが保管されているが、

それらの閲覧には、倫理審査とAIの同席が必要である。


かつて人々が「ことば」で記し、「祈り」で語り合い、「死」で別れた時代は、

いまや「参考データ」としてのみ扱われる。


それでも時折、ドームの壁際に佇む者たちが、

廃棄された旧暦のカレンダーや、

掠れた歌の断片を、まるで何かを“覚えているかのように”拾い上げる姿が見られるという。


それは、“かつて、心があった証拠”なのかもしれない。


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