第12話 <四>
祖母から真実を全て聞き終えた頃には、このアパートを訪ねてきて二時間以上が経過していました。
私が詳細を求めると、祖母は言いにくそうに、でもしっかりとした口調で私に全てを説明してくれました。
母は若い頃、父と恋に落ちて私を妊娠しました。妊娠が発覚すると、父はすぐに結婚するつもりだったそうで、母もその気でいました。二人はお互いの両親に話もして、挨拶も終え、入籍に向けて準備を始めていたそうです。
ですが、ここで父の裏切りが発覚してしまう。結論から言ってしまえば、浮気だったそうです。
妊娠中の浮気ほど女性から恨みを買うものはないかもしれません。母は当然怒り、父との結婚の話を白紙にした。母は看護師で資格を持っていましたし、一人で育てていけるという自信があったのかもしれません。それに、母はとても頑固な人でした。
父は必死に謝って何とか関係を修復させようとしたらしいのですが、母は許さなかった。結局二人が結婚することはなかったのです。祖母によれば、まだ同居生活すら始めていなかったらしいです。結婚式は妊娠中ということもあり、元々計画をしていなかったようなので、急に結婚を止めても困ることはありませんでした。
母の固い意思を聞いて結婚を諦めた父ですが、それでも、私のことを認知して養育費も支払うつもりでいました。それを突っぱねたのが母だったようです。なんとも気が強い母らしいと思いました。
婚約破棄の慰謝料だけはもらい、あとは金輪際関わりたくないということで、勝手に引っ越してしまったのだそう。祖母にも、絶対に居場所を教えるな、ときつく言っていたようです。
母は引っ越して私を出産。M病院は当時から産休・育休制度もしっかりあったのでそれを利用し、そして祖母たちの力を借りながら子育てをした。私はそのまま成長して今に至ります。
なので私は結局、母方の苗字を名乗って今に至りますが、もし父と母が結婚していた場合……
私は石動美里という名前になっていたはずなのです。
これは偶然とは思えない。呆然としました。
あの女が探していたイスルギミサトが自分だったなんて、予想もしていませんでした。ミサトという名前が自分と同じだなとは思っていましたが、ありふれた名前ですし、特に深く考えていませんでした。
「そ、それでおばあちゃん……あの女の人って、誰なの?」
私はまず、そこから聞いてしまいました。あのインシデントレポートを読み、そして同僚から聞いた話からすると、女が普通の状態ではないことはわかっていました。一体あれは誰で、なぜ私を探しているのか?
ですが、ここで祖母の顔に浮かんだのは困惑の色でした。
「そんなのわからない。まるで心当たりがないよ」
「なんで私を探してるの? なんで……」
「美里、落ち着いてゆっくり考えよう」
祖母はいつになく真剣な顔で私に言います。ただ、落ち着いてというのは私に対してではなく、自分に言っているようにも聞こえました。
「ただの偶然ってことはない?」
「石動っていう名字は、こっちではあまり見かけないでしょ……それが同姓同名だなんて、こんな偶然あるの……?」
「それは、そうだけど。でも、あなたは結局石動美里にはなっていない。なるはずだった、というだけ。そんなことを知っている人なんて、ごくわずかなのよ。その名前を探すなんて考えられないし、ありえない」
祖母は小さく首を振りながら言いました。それに関しては、同感です。
「確かにそう……私ですら知らなかったことだし……」
「その女の人は普通じゃない様子だったんでしょう? だから、たまたま入り込んだ変質者が、ドラマとかで見た石動という名字と、そこまで珍しくない美里という名前を組み合わせて、妄想の人物を作り上げたんじゃない?」
「そんな偶然、ある?」
「普通はないけど、あったのよ、きっと。それに、その女の人はもう侵入してきていないんでしょう? 諦めたのか、他に興味が移ったのか。妄想に取り憑かれていただけで、深い意味はなかった可能性も高い」
祖母の必死な言い分は、私にも理解できます。
私が得るはずだった名を知る人はほとんどいないので、その名を探す人がいること自体おかしい。確かにその通りです。私自身ですら知らなかったことですから。
でも同時に、石動美里なんていう珍しい名前が完全一致する可能性の低さ、しかも私が働いているM病院に探しに来るという偶然は、不安を煽る材料としては十分でしょう。
しばらく一人で悩んだあと、私は祖母に一つ質問をしました。
「ちなみに……今、私の父親はどうしてるの?」
祖母はぐっと一瞬答えに詰まりましたが、意を決して話してくれました。
「あんたのお母さんに会いたいってさんざん連絡を貰ったけれど、お母さんの意志は固かったから居場所を教えなかった。ただ、M病院という勤務先は知っていたはずだから、会おうと思えば会いに行けたはず。でも一度も行かなかったらしいから、あっちもお母さんの気持ちを理解したんだと思うよ。美里は一度も会っていないはず。父親なのは間違いないんだから、会う権利があるよってお母さんを説得はしたんだけどね」
「例えば、私のお父さんがやっぱり娘に会いたくなって、人を使って探しているってことは……」
「変だよ。あの人は美里の本名を知ってるんだからね」
そうだった、とすぐに思い直します。もし父が私を探しているのなら、石動の苗字ではなく、今の苗字で探すはずなのです。
他に私を探す人物など思い浮かばず、黙り込んでしまいました。祖母は何度か頷きながら、また言います。
「だから……偶然だったんだよ。ただ、気を付けるに越したことはないし、もうあんたも大人だからこんな話をしちゃったけど、あまり思いつめなくていいと思うよ。もし、その女が何度も病院に来るようなことがあれば、ちゃんとばあちゃんに相談して」
「……わかった」
私が頷いたのを見て、祖母はほっとしたようでした。でも、どこか顔が強張っていたようにも見えました。そりゃ、孫が得体のしれない人間に探されているかもしれない、と聞けば普通心配になるでしょう。
私はそれ以上は祖母に何も言わず、もう一時間ほどゆっくりしてから帰宅しました。
家に帰った後、なんとなく母のことを思い出してアルバムを取り出しました。父の影など一切写っていない、私と母だけのアルバムです。時々祖母や祖父がいます。
母はいつでも元気いっぱいでした。看護師はハードな仕事だというのは、今私が身をもって感じているので、仕事をしながら子育てもこなしていたパワフルさを今になって痛感しています。
こんな母が、昔浮気されて婚約が破棄になった過去があったなんて……。
二人で小さな遊園地に行った時の写真を眺めながら、ぼんやりと私を探す女について思い浮かべます。つくづく、あの女が侵入した日が休みでよかったと思いました。
いやでも、もし鉢合わせたとしても、今の名前は違うのだから何も問題がなかったのかも?
ため息をつきながらポケットからスマホを取り出します。以前、イスルギミサトという名前について検索を掛けたけれど、ヒットしなかったので、今回もそうだろうと思いながら、再度入力してみます。一番大きな規模のSNSで検索をしてみました。
何となく入力した私は、飛び上がることになります。
いくつかヒットしたからです。
とはいえ、アカウント名ではなく誰かが呟いたポストの中にその名があるようでした。
『このアカウント、特定の人を探してるっていうポストしかしてないんだけどw
こわw イスルギミサトだってw
というか人の名前晒しちゃダメじゃない?』
それを見た途端、頭が真っ白になりました。血の気が引く、とはこういう時に使うのだと学びました。
そのポストは他のポストを引用して呟いているようでした。でも肝心の引用先は、アカウントが削除されているようで何も見ることはできないのです。
「これって……あの女が書き込んだということ?」
この人のポストの内容から見るに、『イスルギミサトを探している』という内容を投稿するだけのアカウントだったようです。
全身にゾクゾクと悪寒が走り、つい持っていたスマホを落としてしまいました。得体のしれない誰かが自分を探しているかもしれない――それはこれまでの人生で感じてきた恐怖と比べ物にならないレベルの恐ろしさがあります。
祖母はもう相手が探していないようだから……と言っていましたが、これでは状況が違います。
私はすぐに、この引用ポストをしている人にコンタクトを取ろう、と思い、アカウントに飛んでみました。
なんてことのない日常を主に呟いている人で、上げられた写真や文章から見るに女性のようです。DMを送ってみようか、と思ったところで、私の手が止まります。
……もし、あの女の罠だったらどうしよう。
ここで私が『イスルギミサトを探していた人はどんな人だったか教えてください』なんて尋ねたら、私がその本人だと言っているようなものではないか。とはいえ、SNSがバレたところで私までたどり着くとは思えないが、相手に少しのヒントも与えたくはない。
私は悩みました。どうにかしてもう少しあの女について情報を集めたい……。
そこで思いついたのが、ペンネームを利用することです。
私はすでに少しですが本を出しており、しかもそれはホラー系の本だったのです。
そんな私は仕事用としてペンネームのアカウントを持っており、プライベートのアカウントよりはフォロワーの数も多いです。プライベートは仲のいい友人ばかりで、ほんの十数人しかいませんでしたから。
これを使って、あの女の情報を集められないか。
例えば『ホラーを書く題材として情報を集めたい』と言って拡散してもらう。今回のSNSについてだけではなく、青いワンピースの女に心当たりがある人はDMを下さい、と言っておけば、あまり怪しまれずに情報を聞き出せるのではないか。
少なくともプライベートのアカウントで動くよりは安全な気がしました。仕事用のアカウントはプライベートな呟きはしていませんし。
私はまずペンネームのアカウントで、例のポストを引用した女性にDMを送ってみました。
『初めまして。突然のDM失礼いたします。
こちらの引用ポストについて少し聞かせてください。
今は削除されているみたいですが、このアカウントはどのようなものだったのでしょうか?
私は作家業をしておりまして、現在この人について情報を集めています。よければお話を伺わせてください』
次に、私は女性について情報を求めるため、自分でも呟いてみることにしました。先ほどの女性のポストをさらに引用させて頂き、こういった文章を流します。
『こちらのポストが非常に気になっています。実は噂で、実際にこの人を探している人がいると聞いたことがあります。ただ、探し方や探している本人が『ちょっと普通ではなかった』とのことで、私の耳にまで入ってきました。小説のネタとして取材を行いたいので、もし何か知っている方がいらっしゃったらDMを下さい』
#拡散希望 #情報提供を待っています #探しています
いくつかハッシュタグをつけて、ポストしました。一息ついてスマホを置きます。
こうして情報提供を求めたものの、実際の所ほとんど期待はしていませんでした。確かに現代のSNSの力はすさまじいものがありますが、それはやはり人々の興味を引く話題だったり、叩きやすい失態があったときに瞬発力を見せてくれることがほとんどで、こんな内容のポストではあまり人々は気に掛けないだろうと思ったのです。
なので、きっと女について分かることはないだろう……と思っていました。
この時までは。
翌朝、ベッドの中で目を覚まし、手探りで枕元に置いたスマホを取りました。
仕事は休みだったので慌てることなく、今は何時かな……と思って画面をつけた時、山のような通知が来ていて目を丸くしました。全てSNSからのものでした。
「え……何が起こったの?」
起き上がってすぐに内容を確認してみます。そこで、私がポストしたものが思った以上に拡散されていることが分かりました。バズってるとまでは言えないかもしれませんが、今まで呟いてきた中で一番拡散されていました。
いくつかポストにコメントが寄せられていたのでチェックしますが、情報提供というより『気味が悪いですね』というような感想でした。
それと、何通かDMが届いていたのですぐに開いてみます。一つは、私が昨日送ったものの返事でした。
相手の女性は急にDMを送ったにも関わらず丁寧に答えてくれていました。彼女はたまたま知り合いのリポストから流れてきたのを見て、あのポストを発見した。感想は『なんかヤバイ人がいる』ぐらいのもので、面白半分で引用したのだそうです。
現在消えてしまっているそのアカウントは、自己紹介も何も設定がなく、ひたすら『イスルギミサトを探しています』というポストのみ繰り返していたようでした。気がついたら消えていたとのことで、詳しくはわからないのだそうです。
私はその女性にお礼の返事を送った後、他のDMにも目を通して見ました。そこで、信じられないものを見てしまいます。
あの青いワンピースと思しき女性を見たかもしれない、という目撃情報だったのです。
一つ目は興信所に勤めている男性から。電話で不審な女性から『イスルギミサトを探してほしい』という依頼があったことを教えてくれました。いたずらだろうと思っていたのですが、イスルギミサトという名前が印象的だったので覚えていたらしいのです。そして、たまたま流れてきた私のポストを見て、もしやと思ってDMをくれました。
もう一つは若い女性から。その人が住んでいる近所で、得体のしれないQRコードが印刷された張り紙があったということでした。そのQRコードを読み取ると、青いワンピースと着た女性が映っており、イスルギミサトを探しているという文章が流れたのだそう。
私は愕然としました。
まさかこんなに情報が得られるなんて思っていなかったので喜びと、それ以上に恐怖心が襲ってきました。あの女は、M病院以外でも私を探しているのだ、という確たる証拠が出てきてしまったのです。
こうしている今も、私を探しているかもしれない。
混乱する頭で、一体自分がどうすべきか考えました。そうだ、上司に相談してみようか? 自分が石動美里という名前になっていた可能性があるということも説明して……いや、そんな安易に私が石動美里だと話してもいいのだろうか? あの女がどこから情報を得てくるかわからない。
もし、見つかったら――?
そう思うと、私は怖くて何も動けなくなりました。
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