迷子
さすがに死にかけたからか、しばらく寝込んだがすっかり快方した出勤日。仕事帰りの私と雲雀さんは、いつものお店、目黒のブームに約束の飲みに行くことにした。
しかし、二人で揃って幽霊館の事務所を出るときに、雲雀さんだけ課長に呼び止められた。私は当然、話が終わるのを待つつもりだったが、雲雀さんが言ったのだ。
「先に行ってろ」
三度くらい聞き返した。正気かと。
迷子体質の雲雀さんと待ち合わせなんて不可能だろう。まさか課長に送らせるつもりなら、やめてくれと言いかけた。だが、最終的にご丁寧に頭突きをもらって私は黙らされた。
そして私は今、夜のブームの三階、バーカウンターでカプチーノを飲みながら雲雀さんを待っている。月のオーナメントが煌くバーで、迎えに行きましょうかとスマホにメッセを十回は送ったが、全て既読無視だ。
「これ、一緒に飲みに行きたくないって意味かな」
「誰がそんなこと言ったんだ」
「だって雲雀さんがって、え!?」
「俺がなんだよ」
バーカウンターについていた肘がずるっと落ちる。隣に座った雲雀さんがカウンターの中の店員に注文している。私のぱっくり開いた口が塞がらない。
「ど、どうやってたどり着いたんですか?!」
雲雀さんがアイリッシュコーヒーカクテルを口に運んで無言になる。
「え、あれ?あれ?そういえば雲雀さん、天空公園にも一人で来てませんでした?!」
私が器を使って倒れた場所に、雲雀さんは一人でやってきていた。犬飼先輩は雲雀さんの移動が早くてついて行けず、後から来たと言っていた。
それっておかしいじゃないか。そういえば、何度も、おかしいと思ったことがある。雲雀さんが私のところにやってくると違和感だったのだ。
思い返してみれば、何度も、雲雀さんが迷わず現れた現場を思い出せる。大食堂に、陸斗君を呼び出した小さな公園、天空公園。
「今頃気づいたのか」
「ど、どういうことですか?!タトゥー消えたんですか?!」
雲雀さんの首には道迷いの霊害を受けたタトゥーが刻まれている。そのタトゥーのせいで道に迷い続けるはずなのに。
「消えるわけねぇだろ。今でも毎日迷ってる」
「じゃあどうしてここに来れたんですか?」
「お前と再会してから、だんだんとだが……お前のところだけ、道が狂わねぇようになってきてる」
私はまた口をぽかんと開けたまま目も見開いてしまう。雲雀さんはカウンターに肘をついてアイリッシュコーヒーの水面を見つめながらぽつぽつ話し出す。
「お前が器だからだな。器は他者の感情や意志を受け入れる柔軟性が優れてる」
「あ、それ巴さんに聞いたことあります」
「だから、お前に対する感情が深……」
「感情が?」
雲雀さんは不都合を飲み込むようにアイリッシュコーヒーを飲み干してしまった。雲雀さんは二杯目を注文して黙ってしまう。私は焦れた。
「ちょっと、話の続きを待ってるんですけど!」
「お前のいる方向だけが明確にわかるってことだ。理屈はだいたいわかるだろ」
「わかりませんけど?!」
「体力バカだからな」
「教えてくれないなら、全部雲雀さんの奢りですからね!」
ムッと顔を顰めると雲雀さんは好きにしろと言って、ふっと笑った。
私は腹が立ったので食べたい物を全部頼んでやった。私が口にいっぱいものを入れて雲雀さんの横顔を睨んでいると、雲雀さんは私が見ているのをわかっていて無視する。本当にこのまま教えてくれない気だ。
雲雀さんの感情を私が器として受け入れるから、道が見える、らしい。
それってつまりどういうことだ。感情の深さとか濃度とか強さ、のようなもので道が明確に見えたりするのか。例えば雲雀さんが、私に向かって深い怒りに震えるときは道がピカーンと見える感じだろうか。あれ、これあってるのか。
私がバカだって言うなら、もっと詳しく教えてくれてもいいのに。
私がほぼ食べ終わったころ、やっと雲雀さんと目があった。雲雀さんの目は少しだけ柔らかくて、そろそろ酔ってきたなとわかる。
カウンターに頬杖をついた雲雀さんが、私の方に長い指を向ける。その指先の行き先を待っていると、雲雀さんの指は私の髪に触れた。頬に垂れた私の短い髪を、私の右耳にそっとかけた。
私の右耳が露わになり、黒ピアスが露出する。雲雀さんが私の耳には大きすぎる黒ピアスをじっと見つめる。
「似合わねぇな」
「失礼ですよ!本当に失礼!」
私が右耳を隠すために髪をかきおろそうとすると、手首を握られる。大きな手に手首を取られると動けない。雲雀さんの手は私よりずっと体温が高い。
「隠すなよ。似合わねぇけど、意外と俺の気分は悪くねぇって言ってんだよ」
「私が変な格好してると雲雀さんの気分が上がるってことですか。どんだけ性格曲がってるんですか」
「お前、マジで伝わらなくてウケるわ」
雲雀さんの口端がくっと上がると、なんだか腰のあたりが落ち着かない。普段のヤクザ顔がふっと崩れる瞬間。見てはいけないものをみた気がして脈拍がびっくりして増えるのかもしれない。
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