呼ぶ
目指したのは目黒区内でほぼ中央にある公園だ。
周りは住宅街の道路が行きかい、端から端まで、大人の歩数で十歩しかないような小さな場所。誰が使うのかこんな場所という空間に到着した。
巴さんが目黒の真ん中に行きたいと言うので、この場所を探したのだ。
ひっそりしたその空間に、申し訳程度に置かれた小さなベンチに巴さんが座る。
「野々香ちゃん、さあやってみようかのぅ」
「雲雀さんが巴さんに頼れって言ってましたけど、巴さんが迷子の幽霊を探してくれるんですか?」
巴さんはシワシワの顔の中でひときわ強い生気を放つ目でにこりと笑う。
「バアは長年霊術師で、幽霊の霊力探知は得意じゃ。しかし、スンバラシイ弟子を取ったからのぉ。野々香ちゃんに見せてもらいたいことがあるんじゃ」
「さっそく練習ですね!私も幽霊探知みたいなかっこいいことできるんですか?」
「ムリじゃ!」
巴さんはシワシワにっこり笑って切り捨てる。私は真顔になってしまった。
「野々香ちゃんは霊術師なら誰でも使える基本の技がなんも使えん。霊術師の才能はゼロ」
「私、才能あるんじゃ……?」
「野々香ちゃんの才能はスンバラシイ!じゃがバアたちとは異質なんじゃよ」
「バアたちって?」
「坊ちゃんや斎宮一族が使う霊術じゃ。我ら霊術師は隠れた霊を引っ張り出し、霊を捕えて、霊を殺すのに特化しとる。しかし野々香ちゃんの魂の器は別」
巴さんが目を爛々とさせて話すたびに、腰がだんだんと持ち上がって背が伸びる。だんだん若返る様のように見える。
「野々香ちゃんは霊を呼び寄せ、身体に取り込み、浄化する。我らと理がまるで違う。スンバラシイの一言じゃ」
巴さんは私を恍惚とした瞳で見つめる。うっとりと恋をしているようだ。
「よくわからないですけど」
「思い出すだけでええんじゃ。幼い野々香ちゃんは息をするようにそれをしておった。さあ、バアの隣へ」
私の中に昔を見る巴さんに招かれて、ゆっくりと隣に座った。
「目を閉じて、胸の中で霊を呼ぶんじゃ。野々香ちゃんに呼ばれると霊はみんな野々香ちゃんの側に寄りたくなる。良いものも悪いものもじゃ」
巴さんの声に導かれるまま、私は目を閉じてみた。柔道の鍛錬の一つに座禅がある。静かに目を閉じ、空になる感覚は慣れたものだった。
私は私の中に大きな器があることを度々感じたことがある。柔道場で一人その器を撫でるような時間を楽しんでいた時期も記憶に新しい。
そんな慣れた感覚の中で、初めて「呼ぶ」をやってみる。
誰かさん、こちら。手の鳴る方へ。風が吹いたら、こっちへおいで。
鬼さんこちらと同じリズム。胸に自然と言葉があふれ、私は決まったことのように両手を合わせてぱんと鳴らした。まるで身体はそうすることを知っていたかのようだった。
眉の上の短い前髪が風に揺れる。私が目を開けると、目の前に透けた男の子が立っていた。小学生の男の子はきょろきょろ周りを見渡して首を捻る。
「あれ?なんで俺ここに?」
私も驚いて目をぱちくりさせたが、巴さんはシワシワの手で盛大にうるさい拍手を鳴らした。
「お見事!お見事じゃー!さすが野々香ちゃん!バアにも坊ちゃんにも、これはできん技なんじゃよー!!」
巴さんの目には涙が浮かんでいて、拍手が鳴りやまない。感激してくれているらしいが、小学生男子は一歩後ろに引いていた。
「なに、このババア」
同感である。私は立ち上がって小学生男子の幽霊に話しかけた。
彼は顔半分が脳天から全部陥没していて、ぎりぎり片目と口が機能している。思わずウッと吐き気がくる容姿だが、私はもうそれを顔に出すことはない。
「えっと、遠藤陸斗くん?」
「そうだけど、何?俺、忙しいんだよね。49日以内に未練を果たさなくちゃいけないらしくて」
つんとそっぽ向く陸斗くんは六年生。大田区からの資料が送られてきていた。
交通事故で突然亡くなった陸斗くんは、好きな子に告白できなかったのが未練だという。告白するために大田区成仏課の職員が日程を整えているうちに待ちかねて、職員を撒いて逃げてしまったそうだ。
小学生は気が急いてたまらなかったのだろう。しかも職員の目を盗んで脱走に成功してしまうところに、小学生らしいフットワークの軽さがある。
「幽霊館の職員さんが手伝ってくれるって言ってたでしょ?いなくなって心配してたよ?」
「あの職員マジで無理。カワイソ~に~ワタシタチがキミの未練を果たすお手伝いシマス~みたいな甲高い声がマジで無理。可哀想がられるのウザすぎて無理。同じ空間にいるのが無理」
陸斗くんはケッと口を歪ませた。陸斗は肩を竦めて両手の平で空を持ち上げてハァとため息をついた。
「しかも告白方法は手紙しか無理って。俺の好きなように告白させて欲しいって言ってるのに、対面で告白するための身体はないから無理って。こっちが無理だっての。話になんねぇよ」
どこの幽霊館にも霊術師がいるわけではない。大田区には憑依の選択肢がないのだろう。雲雀さんは依頼を受けて他区の職員を使って憑依を手伝うこともある。
雲雀さんは私を休日に働かせるくせに、他区の手伝いには絶対に駆り出さない。こういう話を聞くと私が出張ってもいいのにと思う。
雲雀さんに勝手なことするなと釘を刺されている。他区のことに首を突っ込むと課長が困るそうだ。私が腕を組んで頭をもたげていると、感激の涙を拭った巴さんが大きな声で言った。
「この野々香ちゃんが身体を貸して、小僧の願いを叶えてやる!」
「マジで?!」
「ちょっと巴さん?!」
「安心せぇ小僧。ここにいるのはスンバラシイ才能にあふれた女性じゃ!成仏する前に野々香ちゃんに会えたことに頭を垂れるがよいわぁ!」
「ちょ、マジすげぇじゃんババア!」
巴さんの言葉に希望を見た陸斗くんは、巴さんの曲がった腰をべしべし叩いてきらきら笑った。私は両手で顔を覆って空を仰いでしまった。どうするんだこれ。もう後戻りできないじゃないか。
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