港区幽霊館
「警察にしっかり手を回したから、野々香ちゃんが捕まることはないから安心して欲しいッス」
「正直、逮捕にはビビってました」
「僕と課長は裏方工作、フォロー周りが得意だから任せて。前線を張るのはやっぱり壱哉さんが適任ッスからね」
私は立ち上がって事務所の端にあるポットでコーヒーを淹れながら犬飼先輩に話しかける。
「雲雀さんあんなに怖い顔してるのに、幽霊に優しいですもんね」
「それもあるッスけど、やっぱり霊術師はすごいッス。色々な術で融通が利いて頼りになる。課長も霊術師だけど、壱哉さんほど多彩ではないッスから」
私は雲雀さんにネチネチ指導された通りに、ポットの周りをきちんと布巾で拭いてからコーヒーを淹れ終える。話しぶりを聞くに犬飼先輩は霊術師ではないようだ。
「課長も霊術師なんですか?」
「課長と雲雀さんは昔から知り合いっぽいスよ。しっかし……」
犬飼先輩はパソコンの画面を見つめて報告書を読み込んでいた。
「この憑変化ヤバ。野々香ちゃん大丈夫ッスか?僕がノーマルの憑依したときは、二時間で一ヶ月寝たきりだったッスよ?」
そういえばそんな部下の話を雲雀さんがしていた。犬飼先輩のことだったか。私は犬飼先輩にコーヒーカップを手渡してどんと胸を叩いた。
「この通り、体力バカは今日も元気です!」
「すげぇッスね。壱哉さんの霊術と野々香ちゃんの体力バカで向かうところ敵なしな感じッス!」
犬飼先輩が手を叩いてすごい!と褒めてくれる。がんばった分を素直に褒めてくれる人がいるのは素敵な職場環境だ。
「その調子で壱哉さんの世話も頼むッスよ!」
「いや、でも雲雀さんの世話はみんなでして欲しいです!」
「くっそ、この勢いで押しつけられると思ったのに……!」
「犬飼先輩、逃げようなんて許しません!」
バレたかとカラカラ笑う犬飼先輩の隣に座って、私もコーヒーに口を付けた。私と犬飼先輩は二人ともあまあま砂糖ミルク入り。
「霊術師って未だによくわからないですけど、雲雀さんってすごい人なんですか」
「壱哉さんは東京各区の幽霊館で知らない人はいない霊術師ッスよ。処刑人、なんて呼ばれてたりね……ハハ」
「処刑人?」
犬飼先輩は乾いた笑いとともにコーヒーを口に含んだ。コーヒーの苦みとその単語の苦みを同時に感じたとき、事務所の置き電話が鳴った。私は迷わず電話を取った。新人たるもの電話は取る。
「はい、目黒区幽霊館です」
「お世話になっております。あの……本当に申し訳ないのですが、ヘルプをお願いしたくて」
「ヘルプ、ですか」
「野々香ちゃん代わって。説明は後でするから」
犬飼先輩が私から受話器を取り上げて電話を代わった。犬飼先輩から笑顔が消えた。
ちょうどドアを開けて雲雀さんと課長が事務所に戻ってきた。雲雀さんが服を着ていてホッとする。
犬飼先輩が電話するのを雲雀さんがじっと見てる横で、課長が私だけに手招きした。私は課長の隣にちょこんと寄って行く。
「依月君、雲雀君にはさっきの件を注意したけれど。困ったら私でも犬飼君でも良いからきちんと相談してきなさい」
「はい。お気遣いありがとうございます!」
課長の心配そうに下がる眉に親しみが湧く。犬飼先輩も課長も優しい。怖いのは直属の上司だけ。犬飼先輩の電話が終わり、犬飼先輩の重そうな口が開いた。
「あーえーっと、壱哉さん。明日の夜、ヘルプ来てます」
雲雀さんは革張りソファに身体を沈めて長い足を組んだ。
「チッ」
重苦しい、舌打ちだった。それが返事として受理されたのか犬飼先輩はそれ以上何も言わない。ずんと事務所内が重くなった。
どうしてそうなったのかわからなくて、私は課長の顔を見て説明を求めた。課長は渋い顔にまずます皺を寄せた。
「依月君、今日はもう帰りなさい。悪いが明日は残業だ。雲雀君とヘルプを経験してきてもらうよ」
「残業はかまいませんけど、ヘルプって」
「課長、ごちゃごちゃ言うより俺が見せた方が早いだろ」
課長が口を開こうとしていたが、雲雀さんが遮った。課長はそれ以上口を噤み、私の耳元で渋い声を響かせた。
「依月君、これは私からの個人的なお願いだが。明日の帰りは、雲雀君を家まで送って欲しい」
理由を聞きたかったが、雲雀さんが見せると言った以上、聞いても無駄かと思い飲み込んだ。
「了解です」
「ありがとう、頼んだよ」
課長は皺を濃くした笑い顔でそう言った。その日は私が帰宅するまで、時折雲雀さんが鳴らす舌打ちが特に重く、事務所の息苦しさはずっと続いていた。
たっぷり休養をとった私は翌日、雲雀さんと一緒に港区まで足を延ばした。今日の行き先は港区の幽霊館だ。ここがヘルプの依頼先。
日暮れが訪れようとする時間に、目的地にやって来た。港区幽霊館は優雅さと威厳を兼ね備えた歴史ある西洋建築。外壁は白亜色を基調とし、重厚な屋根のグリーンに時の重なりが滲んだ品格がある。
約束の時間に正面玄関のドアを開けた。一歩足を踏み入れると、目黒区の幽霊館と同じようにヴィンテージな装飾が厳かな玄関ホールが広がる。シャンデリアの灯りが煌々と点いているのだが、迎えてくれたのは重い静けさだけ。
「お邪魔しま~す」
私の声がホールに吸い込まれても、誰も迎えが出てこない。招かれて来たはずなのに、人のいる気配が全くない。幽霊館なら受付課がいるはずなのに。
「早く進め」
雲雀さんが三階へと指示する。真正面に鎮座する白の大理石の大階段を一つ上る。カツンと足音が天井に響くくらいの冷たい静寂が、幽霊館全体に満ちているように感じてしまう。
「雲雀さん、待ち合わせ時間を間違ったんじゃ」
「うるせぇ、行け」
「ウッス」
雲雀さんの深い息の回数、舌打ちが極端に多い。ピリピリする雲雀さんの側にいるのは息詰まりだ。こちらの神経がささくれ立ってくる。そんなに嫌なことなのかヘルプ。
ヘルプとは何をするのか説明がないままだ。
美しく滑らかな大理石の階段を最上階まで上る。私たちは隠れているわけではないのに、誰にも会わない。妙な胸騒ぎが消えなかった。
まるでわざと、誰もいないみたい。
大理石の階段の行きつく先は繊細なディテールが施された美しい扉。雲雀さんがスマホで時計を確認する。
「17時17分。ダメだったか」
「ダメって……?」
「ギャアアア!いや!イヤこれぇえ!」
美しい扉の向こうから女性のけたたましい尖った声が静寂を突き破った。
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