野々香の成仏支援業務
幽霊成仏課
勇気君を見送り、幽霊成仏課で初仕事を終えた私は次の日から掃除に邁進していた。雲雀さんはねちっこく掃除指導してきて「汚いのは許せねぇ」の声が頭にリピートする。
だが、私が毎日朝一番にしなくてはいけない業務は掃除ではなく、雲雀さんの送迎だ。
雲雀さんはありえないほどの方向音痴なので、なんと一人で出勤できないのだ。
これには幽霊に初めて会ったときより驚いた。
「朝は家に迎えに来い」と言われたときは何の冗談かと思ったが、ガチだ。雲雀さんは事務所を一歩出れば幽霊館の中でも余裕で迷い、何度通った道であろうと絶対に覚えない。もう病気を通り越して、呪いかと思うほどだ。
雲雀さんのコンパクト一軒家までお迎えに上がる。雲雀さんの家の中に入ったことはないが、外から見るに平屋の1LDKくらいしかない。
まさか家の中で迷わないように、あえてこのサイズに住んでるのではと思うくらいミニマムな家だ。ミニマム一軒家の前で雲雀さんが待っていた。
「おはようございます!雲雀さん!」
「遅ぇぞ、野々香」
待ち合わせ時間に30秒でも送れると叱られる。その細かい神経を迷わないように向けてはどうか。
「サーセン!」
春も深まっているのに今日もハイネックの雲雀さんを引き連れて、やっと幽霊館の事務所に到着する。
「おはようございます!」
誰もいないと思って事務所のドアを元気に開けると、事務所の中に人がいた。私は思わず声を上げた。
「わー!会いたかったです!雲雀さん以外の人ー!」
「え!野々香ちゃん、すごい勢い良く懐いてくれる!可愛いッスー!」
私は何のためらいもなく、爽やかな男性に握手を求めに行った。男性の顔はほころび、滑らかに握手の手を差し出してくれる。
「僕、犬飼ッス!先輩って呼んで!」
「ウッス、犬飼先輩!お世話になります!」
「センパイ!センパイの響きがサイッコー!」
犬飼先輩は薄茶色に染まった髪がいかにも軽薄で、鎖骨見えのゆるニットなんて着ていてモテたい意識が全身から染みだしている。でも雲雀さんを見た後ではよっぽど常識人に見えた。
犬飼先輩とがっちり握手を交わす。ヤクザ以外とのコミュニケーション、最高。
「ホントもう三年間、心から待ってたッス!僕の後輩!ありがとう後輩!」
そこそこ整った顔立ちで、ミーハー界隈ではモテそうな雰囲気の犬飼先輩。うるっと目に涙をためる様子が親しみやすい。
「ほんっと早く壱哉さんの世話から逃れたかったッス!」
「良い挨拶だな、犬飼」
「アダダダダ!サーセン!」
犬飼先輩の本音が漏れたので、雲雀さんのデカい手が犬飼先輩の顔を覆ってしまった。あの手でアイアンクロウは痛い。雲雀さんの世話という単語に親しみが湧いた。私が来る前の毎日送迎係は犬飼先輩だったのだろう。
私がその光景を眺めていると後ろから落ち着いた声がかかった。
「挨拶が遅れてすまなかった。前の担当が長引いて、出張していてね。幽霊成仏課へようこそ、歓迎するよ。
ふり返ると、手を差し出してくれていたのは見事な紳士だった。
格式あるこの幽霊館に似合いのスリーピースの仕立ての良さそうなスーツに、黒のオールバック。余裕に満ちた皺深い微笑み。耳に優しい、渋い声!
「可愛らしいお嬢さんに来てもらえて、職場が華やかになるね。いや、これはセクハラ発言だったかな」
「可愛いお嬢さんなんて言われたことなくて、嬉しいです!」
「それなら良かった。初対面で嫌われては敵わないからね」
薄く微笑むと皺が寄る紳士かっこいい、イケオジだ。ものすごい安定感ある男性が出現してテンションがぶちアガってしまう。
「幽霊成仏課の課長、
「お世話になります!」
清潔感が溢れる五十代の男性から丁寧なご挨拶と手を差し出してもらって、私は喜んで握手した。加齢臭どころか、良い香りもする。
「アダダダダ!長いッスよ!仕置きが長い!」
「久々だから可愛がってやろうと思ってな」
「愛が痛いッス!イタイ!」
課長は優雅なのに、その隣ではヤクザが舎弟に仕置き中だ。クラシカルな事務所は混沌としている。
騒がしい事務所内で私は課長にそっと相談事を持ちかけた。これは誰かに聞きたくて仕方なかったのだ。
「あの、課長」
「なんだい?」
「雲雀さんの迷子癖?について聞きたくて」
「ああ、それは説明しておかないといけないね。親睦も兼ねてみんなでお茶にしようか」
課長の呼びかけを受け、全員で一階の大食堂に移動した。
大食堂は晩餐会を開くための場所で、和洋折衷な大正浪漫の空気が満ちる。中央には長大なダイニングテーブルが鎮座し、その天板は美しく磨き上げられ、天井のシャンデリアの光をわずかに反射している。
周囲を囲む椅子までも上品でただ座るだけで品格が求められる。私の隣に座る雲雀さんは飛び抜けたアングラ感を漂わせながら、コーヒーカップを口に運んだ。
私と犬飼先輩で淹れたコーヒーを品よく飲んだ課長が静かに話し出した。
「人手不足の我が課に新入社員が入ったことを祝してのお茶会だが、引継ぎもあわせて行おう」
課長が私に気を使いながらも、きちんと仕事を進める姿勢がすでに尊敬できる。課長が場を仕切ると安心して身を任せられた。
「今までは雲雀君と犬飼君がペアで動いていたが、犬飼君には今後、私のパートナーとなってもらう」
「お任せくださいッス!」
「依月君は雲雀君の直属に。いいね、雲雀君。新人さんだ。次から憑依は私の許可を得てからだ。優しく頼むよ」
「……ウッス」
雲雀さんが課長にきちんと返事をしたのでゾクッとした。雲雀さんを従える課長の格が盤石になった瞬間。ここのボスは、課長だ。
勇気君の件の報告書は受理されているらしく、憑依を軽々しくやっちゃダメと念を押された感じである。やはり危険な行為のようだ。
憑依後、雲雀さんにだるさなどがあればすぐ言えとしつこく言われていた。しかし、筋肉痛が一日あったくらいだ。私の身体は雲雀さんもドン引きの頑丈さだった。
課長の深い黒の瞳が私に向いた。渋い声が響く。
「では次に依月君からの質問に答えよう。雲雀君の道に迷う体質の話だ。犬飼君の方が私より説明上手だからね。犬飼君に説明してもらおう」
雲雀さんは何の抵抗も示さず、静かにブラックコーヒーを煽っている。特に隠すものでもないのか。んんっと喉を整えた犬飼先輩は、テーブルに両肘をついて神妙に話しだした。
「では僭越ながら僕が……あれは10年前に遡るッス」
かなり遠い所からアプローチしてきたなと思ったがとりあえず聞く。これが体育会系の処世術。先輩の話は右から左戦法だ。大事なところだけ聞けばいい。
「事の始まりは雲雀さんの故郷、有名な封鎖村ッスよ」
「封鎖村ですか?!」
聞き慣れた単語が出てきて、私はつい口を挟んでしまった。雲雀さんの黙ってろとでも言いたげな鋭い目が私に刺さるが、課長が穏やかに言ってくれた。
「依月君も、封鎖村の出身だね」
「え?雲雀さんも?!」
「うるせぇぞ、野々香」
私はサーセンと口を手で覆った。
約10年前、私の故郷の村で感染症が起こった。次々に死に至る人が続出する村に住んでいられず、私たち家族は村を逃げ出したのだ。
そのあと政府により村は封鎖され、今では封鎖村と呼ばれている。封鎖村の感染症自体は有名な話だ。
「封鎖村で何があったか、本当のところは世間に公表されてないッス。政府から緘口令が敷かれてるッスからね!」
「本当のところって、感染症のことですか」
「感染症って表では言われてるけど、実は霊災だったんスよ」
「霊災って……霊の災害?」
「霊災と言えば内容は多岐にわたる。だがここでいう霊災は、悪霊が大暴れして、人を殺しまくったってことだ」
つまらなそうに腕を組み直して、ハイネックの首筋に触れた雲雀さんが端的に言う。
悪霊、未練を残して49日以内に成仏できなかった霊、が人を殺しまくった。犬飼先輩がそれっスと言いながら続けた。
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