第31話 虜囚


 斥候に出した快速船からの情報によれば、あと一日もあればトルティーアの艦隊に追いつくという。


 獅子と王冠の旗を掲げた数百の軍船がマルタ島を発ち、一路東へと向かっていた。


 イタリアーナ・シュパーニエン南部とトルティーアをつなぐ陸中海は風が安定しないため船の側面から百足の足のように突き出した櫂が規則正しく動いていた。


 数百の船が列を整えて進むさまはそれだけで壮観だが、列が乱れないのはそれだけの海軍の練度を示している。


 追い風になれば帆を広げ、風が乱れれば帆を畳む。


 船乗りたちがマストに昇っては降りを繰り返しながら忙しく作業する中、戦いに挑む騎士たちは武器の手入れに余念がない。


 将軍たちは旗艦の艦橋に集結し、狭い船内であれこれと軍議をかわしている。


 敵の位置、予想される反撃と逃走、それに備えた各司令官の配置など話し合うことは山積みである。


 海戦に不慣れなシュパーニエンの将軍たちのせいで話が止まることも多々あるが、マルタ島での勝利で勢いに乗っているためか雰囲気はそれほど険悪にはならない。


 何より次の作戦はマルタ島攻略に失敗し、トルティーア本国に戻ろうとするトルティーアの船団を撃滅するのが目的だ。


 トルティーアの王が乗っているという情報もある。敵の王を捕らえる千載一遇の好機の前では些細ないさかいなど気にならない。


 軍議の合間に甲板に出て自分たちの指揮する船団の威容を眺めていると、王族や将軍の胸には誇らしさと熱い滾りが満ちあふれてくる。


 雲一つない青空に浮かぶ太陽が真南に差し掛かるころ、新しい連絡船が深紅に塗られた艦隊の旗艦に横付けされた。


 掲げられた旗は、緊急を示す深紅の旗。


 その船がもたらした情報は並みいる王族と将軍たちを震撼させた。


「ルスの第一王女が、トルティーアの軍に捕らえられたらしい」





王族と将軍が集められた艦橋に重い空気が満ちた。クリスティーナの従者としてついてきたヨハンネが淹れた紅茶にも口を付ける者は誰一人いない。


「第一王女が心配ですね」

「ええ」


異教徒を奴隷とするのが認められているトルティーアだ。彼らにとっての異教徒の姫である第一王女がどのような目に遭うか想像に難くない。


 クリスティーナは同じ女として身震いがする思いだった。


 パウロは隣に立つ彼女が同じ目に遭ったら、と思うと胸が裂かれるように痛む。同時に何もできない自分に歯がゆさがつのる。


 他の将軍たちも何を言っていいかわからず、ただ周囲の空気と顔色を窺っていた。


「何を迷っている?」


 だがそんな空気を吹き飛ばすかのように、カルロスの力強い声が響いた。


「やることは同じだ。トルティーアを撃滅する。ただそれだけではないか」


 場違いなほど陽気で楽天的な口調と台詞に、場に活力が戻ってくる。


「その通り」

「目標を見失ってはならん」

「将がうろたえれば兵までも浮足立つ」


 周囲の空気を確認し、カルロスは言葉をつなぐ。


「ひどい目に遭わされる可能性はまだ低い。王族の姫だからな、必ずトルティーアの王に献上される。ハレムに入れる女に指一本触れたものは斬首だとトルティーアの法にもある」


敵愾心に満ちているというより、祈るような口調でカルロスは断言した。


「彼女を乗せた馬車がコンスタンティノーポリにたどり着く前に。もしくは船で海上の王に献上される前に。トルティーア軍を壊滅させ、取り戻せばいい」


 口調に徐々に熱がこもってくる。


 槍を持つ腕には血管が浮かび、鷲のように鋭い目に射殺すような怒りが宿った。


 手に持った槍を掲げ、カルロスは言い放つ。


「許さん、許さんぞトルティーアめ。婦女子に対し何たる仕打ち。一兵残らず海の藻屑に変えてやる」


 カルロスの一言に、沈鬱しかかった雰囲気が力強さを取り戻した。


「すごい……」


 その様子を眺めていたパウロのつぶやきが、歓声にまぎれて消えた。


 プエルト宮殿で初めて出会った時から、カルロスに抱く印象が次々に変わっていった。初めは女狂いとしか思っていなかったが、彼も王なのだ。


立場の違いはあるが、自分ではこの場の雰囲気をここまで盛り上げることはできなかっただろう。


剣の腕に自信はある。だがそれだけだ。


彼を見るクリスティーナの目には熱いものを感じられないことに安堵しながら、パウロは艦橋を出た。


 その日の夕刻、トルティーアの艦隊が目と鼻の先にいるという情報が入る。


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