第163話 開戦の狼煙

北門の前には、およそ五万の兵士たちが集結している。彼らが行軍ぎょうぐんを開始する予定の時刻まで、残すところ十分ほどとなった。俺たちは、両軍が衝突する少し前にここを飛び立ち、敵軍の中央付近へと切り込む。


七人の顔に、緊張の色が浮かんでいる――いや、違うな。緊張しているのは四人だけか。死ぬことのないギデゾウは相変わらずヘラヘラしてるし、催眠術で狂戦士オークぶっ殺す状態になったカーライルくんはキマってるような感じだし……


で、実は俺も、あんまり緊張していない――というか、何だか実感が沸かない。そういえば、初めて戦場に出たガスパールでも、こんな感じだったような気がする。


「間に合ったか」


そのとき、俺たち七人が陣取る高台に、サイロックさんが護衛を引き連れてやってきた。その中には、リンジーさんやビクターさんの姿もある。


「こ、これは……陛下!」


逸早いちはやく気付いたミアさんがワイバーンから飛び降り、深々と頭を下げる。その様子を見たギデゾウは、わざとらしく舌打ちした。


「サイロック。見送りはいらんと言ったはずだが」

「ふふ……許せ。娘がどうしてもと言うのでな」


ミアさんにならい、俺たちも次々とワイバーンから飛び降りる。すると、サイロックさんのごっつい体の陰から、一人の少女が姿を現した。年の頃は16、7といったところか。豪奢ごうしゃ金髪ブロンドに、雪のような白い肌。目鼻立ちはすっきりと整っていて、何だかお人形みたいに見える。


「ふん。一国の王といえど、娘には甘いか」

には三人の子がいるが、娘はこやつだけでな。少しくらい甘やかしたところで、ばちは当たるまい」


悪びれる様子の無いサイロックさんに、ギデゾウが苦笑する。


「開戦までもう時間がない。早めに済ますよう伝えろ」


サイロックさんとギデゾウの短い会話が終わると、お人形みたいな少女は、おずおずとした足取りでミアさんの前に進み出た。と同時に、ギデゾウのテレパシーが飛んでくる。


(来たぞ。百合姫だ)

(見りゃ分かるって)


「先生。フラウフェンは……昨夜は眠れませんでした」

「……ご心配を掛けて、申し訳ございません」


(ククク……こいつはたまらんぞ)

(お前、ほんとに緊張してないんだな)


「先生にもしものことがあれば、私……」

「姫。これも騎士たる者の務めでございます」


(お姉さま、ではないのか?)

(当たり前だろ。親父さんが見てる前だぜ)


「……どうか、フラウフェンに約束してください。必ず生きて戻ると」

「ご安心ください。こんなところで死ぬ気は毛頭ございません」


(まったく、サイロックの奴め。来るなと言ったのに)

ってことは……お前、百合百合シーンが見たくて、見送りはいらないって言ったのか?)


わたくし……やはり、言葉だけでは安心できません」

「それでは、このブローチをお預かりください。母の形見です」


(当然だ。滅多めったに見れるものではないのだからな)

(お前、やっぱり阿保アホなんだな)


「そ、そんな……こんな大事なものを!」

「預けるだけです。必ず戻って参りますので、そのときにお返しください」


(ミア・ドラウプニル、分かっているではないか)

(確かに、今のは映画のワンシーンみたいだったな)


「先生。御武運を」

「ドラウプニルの名に懸けて、約束しましょう。今宵こよいは必ず、姫を安眠させると」


(ククク……よく言うわ。寝かせるつもりなどないくせに)

(一応言っとくけど、ミアさんは言い寄られてるだけだからな)


したいするお姉さまへの挨拶が終わると、百合姫様は俺たち一人一人に激励の言葉を述べられ、再びサイロックさんの後ろに戻っていった。


「それでは皆、頼んだぞ」


そう言うと、サイロックさんは満足げに微笑み――その顔を見て俺は、ギデゾウの言葉を思い出した。皇帝というを求められ、戦場に出ることができないサイロックさん。たぶん、百合姫様が来たいと言ったからってのは口実で、本当は自分が見送りに来たかったんだろう。


サイロックさんは護衛たちを連れて階段を下りて行き――その姿が見えなくなったところで、ギデゾウが大声を張り上げた。


「ここにいる七人は、全員生きて戻ってくる! うたげの準備をおこたるなよ!」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「帝国の勇士たちよ! 進め!」


サイロックさんの馬鹿でかい号令とともに、五万人近い兵士たちが一斉に前進を始めた。ほぼ全員が実戦経験なし、ほぼ全員が初陣ういじん。それがしょぱなから、アレイスターの手によって強化された魔物と戦う。その恐怖たるや、想像を絶するものだろう。


今になって分かった。これはけだ。人間が大陸の支配者として君臨し続けるか、それとも、異世界から来た悪魔あくまによって蹂躙じゅうりんされるか――その答えは、この戦いが終わるまでは分からない。


「それじゃあ、頃合いかな」


そう言うと、一人だけ残ったリンジーさんが、俺の方へと歩いてきた。


まではもたないと思うが……私からの贈り物だ」


どうやら、ワイバーンから降りて戦う五人全員に、補助魔法をかけてくれるらしい。もちろん、補助魔法はルークさんも使えるが、今回の作戦において、ルークさんの魔力は攻撃に全振りする。つまり、節約しないといけないわけだ。


で、まずは俺から。リンジーさんの手が触れているあたりを中心に、低周波治療器を当てられてるような、モヤモヤ~っとした感じが広がっていく。


「何か、懐かしい感じがしますね」

爆発魔法エクスプロージョンはかけてないから、遠慮せず、思う存分暴れてきたまえ」


リンジーさんの丸眼鏡の奥にある目が、三日月形に変わる。俺も、つられて笑ってしまった。


一人一人に激励の言葉をかけながら、リンジーさんはギデゾウ、アニスさん、カーライルくんの順に、ありったけの補助魔法をかけていった。で、最後がミアさんの番。


「アタシには何も言わないのか?」


無言で補助魔法をかけるリンジーさんに、ミアさんがたずねた。


生憎あいにく、私の辞書に、責任感のかたまりみたいな女を鼓舞こぶする言葉はってなくてね」

「では、別れの言葉を頼む。最期になるかもしれないからな」


ミアさんが悪戯いたずらっぽく笑うと、リンジーさんも笑顔を返した。


「最期になんかなるもんか。八英雄最強の女傑じょけつ、ミア・ドラウプニルは、最強のまま天寿てんじゅまっとうするって決まってるのさ」


そう言って、ミアさんの肩に手を置くリンジーさん。

産まれたときから、ずっと一緒にいる二人。見た目も性格も全然違うけど、双子のように育てられてきた二人。そりゃ、湿っぽい言葉なんか出てくるわけないよな。


「ところでリンジー。ローガンは何をしているんだ?」

「さあ? オルフセンに来てから、一度も会ってないな」

「まったく、お前らは……」


っと。確かに、ローガンさんのことをまったく気にしてなかったな。まあ、二年前、ガスパールの町がてんやわんやの状況になっていたときも、マイペースに研究活動を続けてたって話だし、どうせ今回も、何処どこかで空気読まない行動してるんだろう。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「出るぞ! 手綱たづなを持て!」


人間と魔物、その最前列が間もなく衝突するというとき、ギデゾウの声が響き渡った。同時に、俺たちを乗せたワイバーンがぐぐっとかがみこみ、大きく跳躍――そのまま羽をはばたかせ、上空へと浮かび上がった。


「これは――思ったより高いな」

「こ……怖い……皆さんは平気なんですか?」

「別に。いざとなったら飛び降りれば済む話だ」

「ワシやミルズくんを、お主と一緒にするでない。この高さから落ちたらタダじゃ済まんわい」


空を飛ぶという経験が初めての四人が、口々に感想を言い合う。


「ふははははは! 殲滅対象オークどもがウヨウヨしていますね!」


そしてガンギマリ状態のカーライルくんは、予想通り、恐怖という感情がすっかり抜け落ちている……もとい、オークへの殺意によって塗りつぶされている。


「良かった。カーライルがやる気を出してくれて」


その姿を見て、満足そうに微笑むミアさん。確かに、る気に満ちあふれてはいるが……この人、ほんと鈍感なんだな。




そんなことを考えている間にも、ワイバーンは風を切り、どんどん前へと進んでいく。その速度スピードたるや、あっという間に兵士たちの声が届く位置へと到達した。弓矢部隊と魔法部隊は、既に攻撃を始めている。後は歩兵同士の衝突を待つのみ――


「ぶつかったぞ!」


緊迫した空気を切り裂くように、アニスさんが叫ぶ。その直後、兵士たちの絶叫と、金属同士がぶつかる音が聞こえてきた。頼む。全員が生きて帰ってくるってのは無理なんだろうけど、どうか一人でも多く、無事に戻ってきてくれ。




「ところで、お前は怖くないのか?」


ふいに、ギデゾウが聞いてきた。


「ついこの前、空で戦ったからな。それに、戦争は初めてじゃねえし」

「ほう。ずいぶん度胸がわっているではないか。童貞のくせに」


「て、てめえ! 童貞は関係ない――」

「ドウテイ? 何だそれは?」


やばい! アニスさんが食いついた!

そういやこの人、めちゃくちゃ耳がいいんだった!


「アニス・アナスタシア。童貞を知らんのか?」

「知らない。初めて聞く言葉だ」


慌てる俺を尻目に、ギデゾウは大声で笑った。


「この戦いが終わったら、多良木たらきに教えてもらうとよい」

「分かった。それではタラキ、よろしく頼むぞ」

「なっ!」


最悪だ。この可愛い、くさい、口悪いの3Kエルフに童貞であることがバレてしまったら、それこそ何と言われるか――


いや。逆に考えるんだ。それはご褒美だと。


そう。国宝レベルの美少女にあわれみの目を向けられ、『気持ち悪っ……』とののしられるなんて、ご褒美以外の何物でもない――そう考えるんだ。


「三人とも、静かにしろ。もうすぐ目的地だぞ」


ミアさんに言われ、妄想状態から離脱する。眼下には魔物の群れ。その視線が、頭上の七騎に集まっている。弓を構える魔物もいるが、これだけの速度スピードで通過していく物体に、矢が当たるわけがない。


予定では、敵陣の中央よりやや後方を攻撃する。ギデゾウによると、魔物部隊を指揮する者――自分のふりをして、世界中で悪事を働いてきたネズミひそんでいる場所として最も可能性が高い場所が、そこなのだそうだ。




「それでは、ワシらの戦いを始めるとするかのう」


後ろを振り返ると、ルークさんの金髪が不自然に揺れ動いていた。アイスブルーの目に、威圧いあつするかのような鋭い光が宿っている。


「ルーク! 開戦の狼煙のろしだ! 派手にいけ!」

「言われずともじゃ!」


ギデゾウの言葉に、ルークさんが威勢いせいよくこたえる。たぶん、とっておきのやつを放とうとしているんだ。


けど、何て名前の魔法を使うんだろう? 漫画なんかでは当たり前のように奥義とか魔法の名前を叫んでるけど、よく考えたら、あれって凄い変な話なんだよね。俺も一応、必殺技はいくつか持ってんだけど、繰り出すときに声に出したりは絶対しないし、それどころか、神獣の咆哮もっちんぱおーんに関しては、声に出すと恥ずかしいというか――


ま、こんなときは、知恵袋ミルズくんに聞いてみるのが一番だな。


「ねえ、ミルズくん。ルークさん、何て魔法を使う気なの?」

「たぶん……風神襲来デイオスブレイドです。ルーク・エルサリオンの代名詞みたいな、風属性の最強魔法――」


聞こえていたのか、ルークさんは盛大に笑い、それから鋭い目を俺たちに向けた。


「ミルズくんや! ワシの風神襲来デイオスブレイドは、他の奴のとは一味違うぞい!」


その台詞セリフに合わせたかのように、七匹のワイバーンが前進を止める。

と同時に、ルークさんの両掌にはさまれた空間が輝き始めた。


「そうら! これがルーク・エルサリオンの風神襲来デイオスブレイドじゃ!」

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