第128話 ミルズくんの里帰り(後編)

「あら。クッキー、いつの間にかなくなっちゃいましたね」


最後に残ったナッツ入りのクッキーをつまみながら、姉さんが一人つぶやいた。


「いつの間にかって……姉さんがたくさん食べたからでしょ」

「そう? 私、五枚くらいしか食べてないつもりだけど」


「何言ってるの。ルークさんが箱を開けてから、五分で五枚食べてたよ」

「ふふ……そうだったかもね」


僕の指摘してきを意に介す様子もなく、姉さんは最後の一枚を口に運んだ。それからゆっくり、名残惜なごりおしそうにナッツの香ばしさを楽しむと、紅茶を一口飲んで小さく息を吐いた。


「けど、仕方ないでしょ? 評判通りの美味おいしさだったし、それに、お二人との会話もとっても楽しかったから」


そう言って、ニコニコと笑う。その笑顔を見て、僕はふと思い出した。


姉さんは、昔から凄くモテた。弟である僕の目から見て、とびきりの美人ってわけではないような気がするし、目立つような服装もしてないし、振り返られるようなスタイルの良さがあるわけでもない。けど、僕が知ってるだけでも、十人以上の男性が姉さんに言い寄ってきている。


それはたぶん、この愛嬌あいきょうによるもの――いつもニコニコしてて、好きなことに一生懸命で、誰のことも悪く言わない……そんなところにかれる人が多いんだろう。


「それはワシらの台詞セリフじゃ。のう、ギデゾウ?」

「ククク……その通り。美しい庭、かぐわしい紅茶、美味うまい菓子、はずむ会話……が人生に望むもののすべてがここにある」

「ふふふ……私もそう思いますわ」


それに、普通の女性なら目が点になるようなこの二人組にも、他の男性と変わらないように接する。やっぱり、こういうところなんだろうな。


「それじゃ、次に来るときは、もっとたくさん買ってくるかの」

「そうだな。の両親、それに、多良木たらきとミアの分も合わせてな」


「あの二人が来るなら、この五倍は買わねばのう」

「それは少なく見積みつもり過ぎだ。十倍は必要だろう」


ギデゾウさんの発言に、『この量の十倍も買ったら、テーブルに入りきらないですよ』って指摘してきしようかと思ったけど、やめた。昨日立ち寄ったコーペンタック村で、タラキさんとミアさんが、二人合わせてうどんを九杯も食べたことを思い出したからだ。


それからすぐ、ルークさんとギデゾウさんは申し合わせたように立ち上がった。


「それでは、ワシらはこの辺でおいとまするかの」

「明日になったら迎えに来る。よ。そのときにを市場に案内し――」

「待ってください!」


ルークさんとギデゾウさんがこれからどう動くか、見当はついていた。今日は僕をこの家に置いていって、夜に母さんと話をさせるつもりなんだ。


けど、そういうわけにはいかない。僕は立ち上がり、二人に向かって言った。


「僕も今、お二人と一緒にここを出ます」


ただ、僕の言葉は、二人にとって意外でも何でもなかったらしい。

ギデゾウさんがルークさんに微笑ほほえむと、ルークさんも笑顔でうなずいた。


「エリナよ。どうする? を止めるか?」


そして、ギデゾウさんのこの言葉を、姉さんは予想していたみたいだ。

短くクスクス笑うと、はっきりとした口調で言った。


「ギデゾウさん。さっきの言葉に、嘘はありませんわ。私はミーくんの決断を支持しています」

「なるほどな。だが……はっきり言うが、危険だぞ。特には、以前とは比べられんほど危ない目にうことになるだろう。命の保障はしてやれんが――」

「覚悟の上です」


そう言うと、姉さんは目を閉じ、両手を膝の上に置いて話し始めた。


「ミーくんは小さいときから優しくて、けど、その反面気が弱いところもあって、近所の男の子たちに嫌なことをされても、決してやり返そうとしなかったんです。そんなミーくんが勇気を振り絞って行動したんですから、どんなことであっても応援してあげなきゃ――姉として失格ですわ」


姉さんのその言葉を聞いて、僕は、下腹したばらに力を込めた。涙が出そうだったからだ。


東カムート地区に住んでいる人のほとんどは国の機関で働いていて、当然ながら、由緒ゆいしょ正しき家柄の人も多い。対してマーグレット家は、僕の祖父の代からこの地域にやってきた、いわば新参者しんざんもの。僕自身の臆病さもあいまって、小さい頃は何かにつけてからかわれたり、ときには手を出されることもあった。


そんな僕が八英雄にあこがれたのは、彼らが誰よりも強いからだ。友人たちは、ミア・ドラウプニル以外はろくなのがいないって言って馬鹿にしてたけど、僕は彼らの逸話いつわを耳にするたび、弱い自分を変えたいって強く願ってたんだ。


そして、本当に強い人に出会った。


誰よりも強いのに、決して威張いばらしたりしない。

もう十分過ぎるくらい強いのに、いつも強さを追い求めている。


けど、ストイックって感じではなく、それどころか、いつもはボーっとしてて、ちょっとスケベで、僕みたいな年下に怒られても、平謝りしちゃうような人。


ずっと強さにあこがれてたけど、僕は分かってなかった。

本当に強い人っていうのはって、初めて分かった。


「ではエリナよ。一月後か二月後……今度は大人数で押しかけるぞ」

「はい。楽しみに待っておきますね」


「安心しなさい。はエリナさんが思っているよりずっと強い子じゃ。それに、ワシらのかけがえのない仲間でもある。この老いぼれの命をけて、守ってみせるわい」

「ルークさん、ありがとうございます。けど、とても若々わかわかしくて、お年を召しているようには見えませんわ」


姉さんはそう言って笑うと、立ち上がり、僕らを玄関まで見送った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



家を出てしばらく歩き、大通りに戻ってきた。もう正午はとっくに過ぎているけど、朝に山盛りの野菜を食べて、それからケーキにクッキーと立て続けに食べた僕は、まったくと言っていいほどお腹が減っていない。


「さて、大きな用事は一つ片付いたが……これからどうするかの?」


ルークさんの質問に、ギデゾウさんはやれやれ、といった表情で返事をした。


「決まっているだろう。まずは宿の手配だ。それから繁華街へり出し――」

「あの……それでしたら、ちょっとがあるんですが」


僕の言葉に反応し、お二人はこっちに目を向けた。


「ほう。そのとやら、聞かせてもらえるかの?」

「ここから象牙の城アイヴォリー・キャッスルはさんだ向かい、西カムート地区に、ガスパールの町の詰所つめしょというか、関係者が出張なんかで訪れたときに利用する別荘があるんです。たぶん、今は領主のクラウディアさんが滞在しているんで、頼めば僕たちも泊めてもらえると思いますよ」


それに、リンジーさんとカーライルさんに、ミアさんの無事を報告したい。二人とも、凄く心配しているだろうから。


「なるほど……ということは、無料タダか?」


ギデゾウさんが、僕の顔をのぞき込むように質問してきた。


「え、ええ。お金は取られませんね」

「しかし、急に押しかけて、食事はどうするのじゃ?」


「大丈夫です。別荘には食事用の設備がありませんから、食べるときは外で――」

「最高ではないか!」


僕が言い終わる前に、ギデゾウさんが感嘆かんたんの声を漏らした。


「確かにの。宿代が無料タダになるなら――」

めしを一段階……いや、二段階グレードアップさせることができるのだ!」


ギデゾウさんが拳をにぎめながら力強く叫ぶと、笑顔のルークさんが合わせるように拳を突き出し、二人は即興そっきょうでハンドシェイクを始めた。


昨日初めて会ったばかりだというのに、どうしてこう息ピッタリなんだろう。

それに、黙っていても目立って仕方ないのに、二人とも全然気にしてない。何だか、僕が自意識過剰じいしきかじょうみたいだ。


「ところでや。そのクラウディアさんというのは、首都大学で転移魔法トランスポートの研究をしとるローガン・クラウディアのことかの?」


思い出したように、ルークさんが突然聞いてきた。


「あ、いえ。ローガンさんは勘当かんどうされてるんで、妹のリンジーさんです。それと、そろそろ呼びをめてください」

勘当かんどう? あやつ、何をしおったんじゃ?」

「それは……何をしたっていうか、家の仕事をから追い出されたみたいですね」


「ふーむ。まあ、そういうことなら仕方ないのう」

「はい。それに本人は、妹の方が優秀だから、になっただけだって言ってて……あまり気にしていない様子でした」


「ははは。あやつらしいわい」

「というかルークさん、ローガンさんとお知り合いなんですか?」


「もちろんじゃ。弟子……というと少し大袈裟おおげさじゃが、助言くらいなら何度か――」

「待て。にも質問させろ」


ギデゾウさんが、ルークさんの話に割って入った。


「リンジー・クラウディアの名は聞いたことがある。ガスパールの町の領主、クラウディア家の娘で、政治情勢に明るい才媛さいえんだという話だが、実際にそうだったか?」

「え? あ、ああ……」


ギデゾウさんの質問に、僕は即答できなかった。


リンジーさんが才媛さいえんだという点は、疑いようのない事実だ。一つ取るだけでも大変な首都大学の学位を、わずか四年で三つも取得したという話だから、たぶん、天才と言っても差しつかえないくらいに優秀な女性。


けど……それを全部帳消しにしてしまうがあるんだよな……


「どうした? 会ったことがあるのだろう?」


返事がないことを怪訝けげんに思ったのか、再びギデゾウさんが僕に質問した。

まあ、リンジーさんについてつまびらかに話すわけにはいかないし、ここは適当にお茶を濁しておこう。


「えっと……まぁ、その認識で間違いはないです」

「よし。ならば、その女もめしに誘うぞ」

「おお。ええ考えじゃ。さすがに男だけってのは、むさ苦しくていかん」


ギデゾウさんの提案に、ルークさんがすかさず同意する。


「いやいや。お二人からはむさ苦しさの欠片かけらも……って、ええっ? 誘うんですか? 一応、リンジーさんは貴族ですよ?」


僕の反応を楽しむかのように、二人は顔を見合わせ、笑った。


「何を言うとる。貴族だろうが何だろうが、めしは皆で食べる方が美味うまいに決まっとるわい」

「ククク……それに、頭のいい女との会話は楽しいものだ」


「何じゃ。ギデゾウ、そういう女が好みか?」

「そうではない。やかましい馬鹿は好かんというだけだ。男でも女でもな」


僕を置いてけぼりにして、二人はどんどん話を進めていく。リンジーさんを食事に誘うことは、あっという間に確定事項になってしまった。


それにしても、この三人で話すと、僕はいつも押し切られる。ルークさんとギデゾウさんの意見が、毎回同じだから――二対一になってしまうからだ。長年の友人ならまだしも、昨日会ったばかりでこんなに気が合うなんて、この二人、実は生き別れの兄弟だったりするんじゃ……?


「それでは。案内せよ」


おお。呼びに戻ってる。良かった……

と、それはいいとして、二人はもう象牙の城アイヴォリー・キャッスルに向けて歩き始めている。僕は慌てて二人の横に並び、西カムート地区の外れにある、ガスパールの町の詰所つめしょへの道を進んだ。


ルークさんとギデゾウさんのお喋りは、これまでと同じく、止まる気配がない。

けど、お二人の会話に割って入ってでも、聞いておきたいことがある。僕はギデゾウさんに声を掛けた。


「ところでギデゾウさん、気になってたことがあるんですけど、いいですか?」

「何だ?」

「ギデゾウさん、姉さんに、は以前とは比べられないくらい危なくなるって言ってましたよね? あれって、どういう意味ですか?」


僕の質問に、ギデゾウさんは微笑を浮かべながら、さらりと言った。


「決まっているだろう。今まではがアレイスターを抑えていたが、そのが寝返った以上、奴はもう遠慮などしない」

「はあ。遠慮しない……ってことは!」


「それだけではない。かげに隠れて悪事を働いていたやからが、本格的に動き出す」

「そ、それって――」


笑いながら話すような内容ではないんじゃ……


と言おうとしたが、言葉が喉に引っ掛かった……ではなく身体中が凍り付いたかのように動かない。足が止まった僕を見て、ギデゾウさんは腕を組んで話し始めた。


は長く生きている。お前たちが想像できんほどにな。この豊富な人生経験といくつかの情報を組み合わせることで、かなり正確な未来予測が可能になるのだ」

「ほう。面白い。それではお主が予測した未来――聞かせてくれるかの?」


ルークさんの問いに、ギデゾウさんはクククと笑い、再び歩き出した。


「ギ、ギデゾウさん! 未来は――どうなるんですか?」


今度は僕が、少しずつ離れていくギデゾウさんに、大声でたずねた。


振り返ったギデゾウさんの顔は、見慣れたなつっこい笑顔ではなく――薄い氷を張り付けたような、見る者の背筋を凍り付かせる笑みをたたえていた。


「戦争が始まる……近いうちにな」

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