第10話 第3王子マティアスの目論見(1)

ボクが婚約を破棄したフェリシアが、バネル家と婚姻関係を結んだことを、好都合だと思っていた。


フェリシアは社交界の華。婚約破棄したボクに、非難の声が向けられる恐れもあった。


けれど、フェリシアがすぐに結婚したことで、その恐れもなくなった。しかも、フェリシアは辺境の領地に引きこもった。


移り気な王都社交界は、いずれフェリシアのことなど忘れてしまうだろう。


それに、ディアナと結婚するボクは、従姉であるフェリシアを通じ、バネル家の莫大な財産から援助を受けることもできるだろう。


なにもかも、ボクの人生に追い風が吹いていると、ほくそ笑んでいた。


なのに――、



「フェリシア・ストゥーレの公爵位継承を認める」



父王のひと言で、ボクの目論見はすべて崩れ去った。


王宮の大広間。立ち並ぶ貴族たちが盛大な拍手を贈る中、ボクは茫然と立ち尽くした。


ギュッと、ボクの腕がつかまれる、強い刺激で我に返った。女のほそい指が、喰い込まんばかりにボクの腕を握りしめている。


女は、父王の前で優雅なカーテシーを披露するフェリシアを、睨みつけていた。



――この女は、誰だ?



と、思った。


ボクの婚約者、ディアナだった。


ふわふわとした金髪に、丸顔。目鼻立ちは整っていて、可愛らしい容姿をしているけれど知性は感じられない。


ボクはディアナを通じて、ストゥーレ公爵家を手に入れるはずだった。


第3王子という身分は、いずれ兄王太子が即位すれば失われるものだ。王弟として、自分の食い扶持は自分で稼がなくてはならなくなる。


公爵家を背景に持つことは、ボクが将来に渡っても王国で生き残るために必須の条件だった。



――けれど、いまやディアナは無爵の分家の娘……。ディアナの父は、ただの王宮文官になり下がった。ボクの後ろ盾にはなり得ない……。



式典が終わると、ボクはディアナの手をふり払ってストゥーレ公爵家の屋敷に駆け込んだ。


小柄な侍女が、無礼にもボクのことを疎ましげな目付きで見てくる。



「……どのようなご用件で?」


「じ、侍女ごときに言うことではない! ボクが直接フェリシアに話す! いいから、黙ってはやく取り次げ!」



無礼なことに、本邸のエントランスで待たされる。


すこし離れた別邸の前には、バネル家の紋章が刻まれた荷馬車が何台か停められていて騒がしい。


すでに、ディアナたち一家の引っ越しが始まっているのだろう。バネル家から譲られた邸宅に。



――いずれは、ボクもそこに住むことになるやも……。



という想像は、背筋を寒くさせる。


やがて、不満げな表情をした侍女が、ボクを貴賓室に通した。



「……フェリシア様は、いまお忙しいので、こちらでしばらくお待ちください」


「忙しい!? ボクは第3王子だぞ!? ボクを待たせるような、どんな用事があると言うのだ!?」


「本来、お聞かせするようなことではございませんが……、フェリシア様はストゥーレ公爵を継承されたばかり。別邸から接収した、領地の統治に関する書類の精査に追われているのです」



フェリシアとの婚約を破棄しなければ、それはボクの利益にもなることだった。


ディアナは、いつもボクに高価な贈り物を届けてくれた。豪勢に金箔のはられた見事な剣。ルビーが埋め込まれた象牙のブレスレッド。


立派な品々は、どれも公爵家の財力を誇示するかのようだった。


あれは、すべて、ボクのものになるはずだった。


いや、まだ間に合う。いくら資産家だとはいえ無爵のバネル家との婚姻関係など解消させ、フェリシアを再びボクの婚約者にすればいいだけだ。


レンナルトなるフェリシアの形式上の夫が、差し出がましいマネをしていたが、バネル家の者など、貴族がそろう大広間では、いちばん下座にしか並べないのだ。


そのような者が、フェリシアの夫に相応しいはずがない。



「……なぜ、そのように思われるのですか?」



と、微笑を浮かべたフェリシアが、ボクに問いかけてきた。


ずいぶん待たされ、窓の外は宵闇に染まっている。



「なぜって……、爵位も持たないのだぞ!?」


「ええ、それが何か?」


「何かって、王政において、なんの影響力も持たないということだ! 王政の中枢から外されてしまうぞ!? それでも、いいのか!?」


「私は、国王陛下からリルブロル常駐を命じられたのですよ?」


「あれは、父上から命じられたのではなく、お前から申し出たのではないか!?」


「同じことですわ。王国大乱の犠牲となられた当時の王弟殿下に鎮魂の祈りを捧げる墓守として、わがストゥーレ公爵家は創建されたのです。そもそも、王政の中枢にいたこと自体が誤りでした」


「し、しかしだな……、公爵の身分にありながら王政に関与しないというのは……」


「殿下?」



と、フェリシアが眉を寄せた。


目の焦点を合わせるような険しい顔付き。


フェリシアがボクに見せたことのない表情に、一瞬、怯んだ。



「本日は、いったいどのようなご用件で? ……私に王政の講義をしに来てくださったのですか?」


「い、いや……」


「申し訳ありませんが、私はいま忙しいのです。ご用件がそれだけならば……」


「ま、待て! ……公爵の身分を得たフェリシアには、高貴な身分の配偶者が必要だろう?」


「……私には既に夫がおりますが?」


「あんなもの形式上だけのことではないか。離縁したとしても、女公爵の元夫として、バネル家は充分な権威をまとえる。きっと、それで満足するはずだ」


「そうかもしれませんわね」


「だから、ボクがフェリシアの夫になってやろう。王家の後ろ盾があれば、ストゥーレ公爵家の立場だって万全になるではないか!?」


「……殿下」


「これまでの経緯は水に流せ。すべて元通りにすれば……」


「ディアナは、私の従妹です」


「うっ……」


「ディアナを傷付けるようなお方と、なぜ私が親しくお付き合いせねばならないのですか? まして、夫だなど……」


「しかしだな……、いいのか!?」


「なにがです?」


「ボ、ボクが……、ボクが、ディアナと結婚してしまえば、フェリシアの夫にはなれなくなるんだぞ!?」


「はい。……当たり前ですわね。どうか、ディアナを末永くお愛しみくださいませ。本家の当主として、お願い申し上げます」



と、フェリシアは優雅な微笑みに表情をもどして、深々と頭をさげた。



「フェリシア!! お前はまったく解ってない! 王政において王家の後ろ盾を得る機会を逸したこと、お前はきっと後悔するからな!?」



ボクが勢いをつけて席を立つと、フェリシアが呼び鈴を鳴らし、侍女がドアを開けた。



――見送りにも出ないつもりか。



まあ、いい。


どうせ、婚約を破棄したことで、すこし拗ねているだけのことだ。


いずれ、ボクに泣き付いて来るに違いない。


ボクに不快を隠さない無礼な侍女を叱り付け、ストゥーレ公爵家の屋敷をあとにした。

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