水族館
夜の水族館。
館内に入れば照明は暗く、周囲の人間の顔はよく見えない。
記念撮影用の看板の前を通り過ぎて小さな魚入った水槽の前を横切ると、スロープがある。そこを下っていけば、大きな水槽の前に出る。
海の中の世界を再現したという大水槽には、 イワシの群れが銀の腹をキラキラと翻し、エイが数匹飛ぶように泳ぐ。
大水槽は、青く光を放ち、大水槽の前に寝袋を広げる二十人ほどの参加者達を魅了する。
「おしゃかな! きぇいね」
たどたどしい言葉の三歳くらいの少女に、「そうねぇ」と微笑みかける母親の姿を、紗栄子がジッと見つめるが、少女は仁子とは別人であった。
「早く見つかるといいですね。仁子ちゃん」
紗栄子の心中を察して高崎が声を掛ければ、紗栄子はコクリと頷く。
だが……いない。
何度も館内にいる人間を確かめても、仁子の姿は見当たらないのだ。
「仁子……」
紗栄子が仁子を呼ぶ声が、僅かに震えている。なんとかしてやりたいが、高崎にはどうにもならない。
「お客様」
声をかけられて振り返れば、受付にいた係員が高崎に声をかけてきた。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いや……」
係員は不審に思ったのだろう。
水槽も見ずに客の方ばかりを見る高崎達を。
「あの、先ほどお見せした写真の子を探していまして」
紗栄子はもう一度係員に写真を見せる。
「ああ、そんなことをおっしゃっていましたね。で、見つかりましたか?」
「いいえ、残念ながら」
「そうですか。本日お越しのお客様は四十名ほど、こちらにおられる方々の他にも何組かいらっしゃるので、探せばいらっしゃるかもしれませんね」
「どこに? どこにいるんだよ!」
高崎が係員を詰めよれば、高崎のあまりの剣幕に係員の女性が身を固くする。
「知りませんよ。館内自由に散策できるようになっていますし、探せば、どこかにいるんじゃないですか?」
「館内、館内だな!」
高崎と紗栄子は、水族館の広い館内を走り回る。
クラゲの水槽の前で走り回る子ども達、あざらしのプールを見つめる親子連れ、タカアシガニの動きを真似しておどける兄弟。
館内には、係員の言う通り、何人も人はいたが、仁子の姿は見当たらなかった。
仁子が好きだのだというイルカショーが行われる、屋外プールにも行ってみたが、昼にしかショーの行われないプールの前には、仁子どころか誰の姿も見当たらなかった。
「高崎さん! この椅子!」
紗栄子が指し示したのは、プラスチック製の椅子だった。
「やっぱりこの椅子ですよ。ほら、写真の!」
紗栄子に言われてスマホを確認すると、確かに、仁子の手後ろに移り込んでいるプラスチック製の椅子に、ここにある椅子はそっくりだった。
「本当ですね。ええっと……写真の感じからして、前の方の席でしょうか」
椅子の色は、虹を模していて、列ごとに色が違う。写真に写っている赤い色は、最前列の椅子だろう。
「そうですね。そして、椅子の表面に……これは、傷かしら?」
薄っすらと椅子に縦のラインが入っている。
紗栄子と高崎は、椅子の表面に目を凝らして、仁子の座っていたと思われる椅子を探す。
「ありましたよ、紗栄子さん!」
高崎が、写真そっくりの傷が表面にある椅子を見つけて、紗栄子を呼ぶ。
「本当ですね。椅子の傷、そっくりです」
誰かが椅子の表面で尖った物でも滑らせて出来たかのような、薄い傷。
よくある傷だろうが、大きさも場所も同じとなれば、仁子が座っていたのは、まずこの椅子で間違いないだろう。
「仁子ちゃん、やっぱり水族館には来ていたんですね」
「ええ。でも、どこに?」
「分かりません。ですが、水族館内をこれだけ隈なく探していないとなれば、他の場所にいるのかもしれなせんね」
もう、水族館からは連れ去られた後なのだろうか。
高崎たちも、覚悟はしていたことだ。だが、現実として突きつけられれば、その事実は重い。
仁子を見つけられなかったのならば、依頼人の指示に従わざるをえない。
「妹島を殺さなければ……」
ぞっとするほど冷たい声で、紗栄子が呟いた。
自らが殺人犯になるなんて、恐ろしい話だが、仁子を見捨てられない以上、それ以外の道をまだ高崎たちは見つめられない。
「高崎さん、これ、忘れ物でしょうか?」
紗栄子が、座席の下に猫柄のエコバッグが置かれているのに気づく。
高崎には、見覚えのあるエコバッグだ。
フードコートでナイフと睡眠薬が入れられていたエコバッグ、ロッカーに入っていた注射針と毒の入っていたエコバック。それと同じ柄のエコバッグが、ここに置かれていたのだ。
「紗栄子さん、これは、奴らの置いた物です!」
「え!」
「中を確認してみましょう」
高崎は、エコバッグの中を確認した。
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