魔女の嘘


「ラウラ、僕が婚約するって誰から聞いたんだい?」


いつになく真剣な表情のフィデリオに、ラウラは一瞬どきりとした。

その眼差しは怒っているわけではないが、明らかに疑問を感じているように見える。


もしかして、隠しておくつもりだったの?


先走った自分の行動をラウラはひどく後悔した。


「も、申し訳ございませんっ!」


ラウラは慌てて頭を下げた。

フィデリオはその肩にそっと手を乗せ、静かに首を振る。


「違うよラウラ。怒っているわけじゃない、勘違いさせたならごめん。本当に些細な事があってね、まさかそれかと思って驚いたんだ」

「些細なこと?」

「うん、まあね」


そう言いながら、フィデリオは机の上から繊細な銀細工が施された小さな箱を手に取った。

ラウラの元へ戻り、正面のソファに腰を下ろす。

そして、銀の箱の蓋をラウラに向かって開いた。


「どうぞ」


そこには淡い色の砂糖にコーティングされたドラジェがはいっていた。


「いただきます」

「うん」


ラウラが一つ手に取って口に運ぶと、フィデリオも一粒口に放り込んだ。

カリカリという軽快な音と、繊細な甘い味。

香ばしいアーモンドの味が口の中に広がり、さっきまでのどうしようもない気持ちが落ち着いていく。

フィデリオはドラジェを一粒食べ終えると、紅茶を口に運んだ。

ラウラも紅茶を飲み、少し間を置いて口を開いた。


「フィデリオ様申し訳ございません。実はさっきの話……ロクセラーナから聞いたんです」

「あの魔女から? なんて言ってたんだい?」

「……テリーザ様というご令嬢と、婚約が決まったと」

「すごいね、名前知ってるんだ……いや、違う違う! 婚約なんてしてないよ」

「えっ? でも名前は?」

「あってる。でも違うよ、って混乱するね、すまない」


フィデリオは眉を下げて笑っている。

その表情はいつもと同じ穏やかなものだ、だが本当に困っているように見えた。


「ロクセラーナは自分で『耳が良い』と言ってました。多分この屋敷に来たのも、フィデリオ様の名前を知っていたのも、どこかで聞いていたんだと思います」

「そういうことか、他には何か言ってたかい?」

「えーっと……」


ラウラはロクセラーナから聞いた、フィデリオが首飾りをつけていなかったという話を思い出していた。

でも、それは関係ないことだとわかっている。

今は言うべきではない。


「えーっと、フィデリオ様が格好いいということと、テリーザ様が可愛い方だと……」

「テリーザを見てるのか……」


ラウラは、フィデリオが令嬢の名前を口にしたことにどきりとした。

やっぱり一緒にに狩りや乗馬をしていたのね……。


フィデリオは長い睫毛を何度か瞬かせ、目を丸くした。


「魔女がどこから見ていたか見当もつかないな。でも、婚約は嘘だよ」

「嘘?」

「ああ、嘘だ。婚約の話が出たことは事実だけどね」

「……」


ラウラは色々聞きたくてたまらなかった。

でも、自分の雇い主のそんな細かい実生活にまで、口を挟むべきでなはいのは理解していた。

フィデリオはそんなラウラを見つめ、またドラジェの入った小箱を差し出した。

ラウラは淡い水色を選び、それを口に運ぶ。

カリッという音を聞いたフィデリオは優しく微笑んだ。


「カール侯爵家とは曾祖父の時代から付き合いがあるんだ。その頃から、子供や孫同士を結婚させようという話が出ていたらしい」

「そうなんですか……」

「でも、なかなか両家に女の子が生まれなくてね」


ラウラは静かに頷きながら、フィデリオの話に集中する。


「それが、四年前に女の子が生まれたんだよ。さっき名前が出たテリーザだ」

「ん?」

「テリーザが生まれてすぐ、婚約の話を持ち掛けられて断ったんだよ」


話をしながら、フィデリオは紅茶を一口飲んだ。


「いくらなんでも生まれたばかりの子と婚約は出来ないと断ったら、年齢は関係ないだろう! って言われてね」

「テレーザ様は4歳?」

「誕生日前だからまだ3歳かな。今の時代、政略結婚でもあり得ないよね」


フィデリオが軽く肩をあげた。

ラウラはどう答えていいかわからなかった。

内心ではホッとしているが、「良かったです」と言うのも少しおかしい。

その瞬間、ロクセラーナの楽しそうな顔を思い出した。


あ! 私、からかわれたんだ!

魔女の雰囲気にのまれて、まんまと話を信じてしまった。

フィデリオ様に婚約おめでとうございますなんて言っちゃって……。

うぅ、なんて馬鹿なことを……。


ラウラは恥ずかしさでいたたまれなくなっていた。

ちらりとフィデリオを見ると、首を傾げて微笑んでいる。

ラウラの動揺には全く気づいていないように見えた。


「そういえば、小さくなった魔女とテリーザは同じくらいの大きさだったな」

「……同じくらい?」


ラウラはロクセラーナの姿を思い浮かべる。

三~四歳の女の子って、あんなに大きかったっけ?


「そうそう、テリーザは会ってすぐに、ラウラが持たせてくれた首飾りを欲しがって大泣きしてね。おかげで滞在中はずっとポケットに入れていたよ」

「!」


首飾りをつけていなかったのは、そういうことだったんだ……。

心が軽くなるとともに、ラウラはますます婚約の祝福をした自分が恥ずかしくなっていた。

あまりの気まずさに、またドラジェに手を伸ばす。


「まあそういうことで、本当に婚約なんてないからね」

「はい……なんだか、魔女に乗せられてしまいました」

「誤解が解けてよかったよ」


安心したようにフィデリオは微笑む。

ラウラも一瞬笑顔になりかけたが、突然、胸の中にもやもやとした感情が広がった。


牢の中に居たロクセラーナ。

楽しそうな仕草や声に、どうしても違和感が拭えない

最初に地下牢で顔を合わせた時。

ロクセラーナが近づいて鉄格子を掴んだ姿。

下から見上げられた時の彼女の目線は?

どう考えても3~4歳の子供というには大きすぎるのではないだろうか。

魔力を溜めていると言っていたが、既に少しずつ成長しているのかもしれない。

嫌な予感が胸をよぎり、ラウラは背筋に冷たいものを感じた。


考え込んだ様子で紅茶を見つめるラウラに、フィデリオが心配そうに声をかける。


「魔女から他にも気になることを言われたのかい?」

「いえ、全然大丈夫です! それより、魔女の対応を早く考えたほうがいいかもしれません」


ラウラは真剣な眼差しでフィデリオを見上げた。

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