翌朝
――翌朝
いつもより少し早い朝。
空気はひんやりと冷たく澄んでいる。
大門の横には、使用人や薬師たちが整列していた。
その正面にバルウィン家の紋章が付いた大きな馬車が一台停まっている。
荷物はすべて積み込まれ、フィデリオに同行する二人も早々に乗り込んでいた。
フィデリオは執事のセルジュから帽子を受け取り、馬車へと向かう。
「フィデリオ様、おみやげお願いします」
「お願いします!」
「こら、遊びではないのだぞ」
エルノとリーアム兄弟が、セルジュに軽く窘められる。
周りの皆がそれを見て笑い、馬車に乗っていたフィデリオも、窓から顔を出して楽しそうに笑っている。
「では皆、一週間留守を頼むよ」
「はい!」
和やかな空気の中、全員の返事と同時に馬車が動き出した。
窓から手を振るフィデリオの胸元に、青紫色の石が揺れている。
「お気をつけて」
ラウラは小さく呟き、街道の向こうに馬車が消えるまで手を振り続けた。
「行っちゃいましたね」
「今日のフィデリオ様格好良かったなあ」
「さあさあ皆さん。フィデリオ様がいない一週間、気を引き締めていきましょう」
集まった使用人たちは、セルジュの言葉に頷いた。
守衛が門を閉めると、仕事が始まる時間まで各自の部屋に戻っていく。
ラウラは、皆の一番後ろを歩きながら小さなため息をついた。
「ラウラー」
「あっグレイス」
離れた場所にいたグレイスが、ラウラの傍に駆け寄ってきた。
二人並んで屋敷に向かう。
「一週間なんてすぐよ」
「うん……」
「わたしだって、もし一緒にエルノが行くなんてことになっていたら気が気じゃないもの」
グレイスは、前を歩く金髪の巻き毛を指さして眉を下げた。
エルノは21歳、グレイスは18歳になり、二人は良い関係になりつつあった。
まだ恋人同士というわけではないが、あきらかにエルノはグレイスを特別扱いしている。
ラウラはそんな二人を、羨ましく思っていた。
「それにフィデリオ様は、普段はおっとりしていらっしゃるけど強いのよ! って、わたしも知らないんだけどねー」
「もう、グレイスったら」
「あと、あのご依頼を受けた侯爵家のお嬢様のことだって、全然大丈夫よ!」
「そんなこと……私は気にしてないよ」
「うんうんそうだねーわかってるー」
「なによーもう」
「ふふふ」
ふざけて頬を膨らませるラウラを見て、グレイスは左耳をちょんっとつついた。
ラウラがいつもつけているイヤリングが、今日は片方だけにしかついていない。
そのことにグレイスは気づいたようだ。
「あーんもう!
グレイスはポケットからパラフィン紙に包まれた菓子を取り出し、ラウラの手に乗せる。
「じゃあ、あとでね」
「うんありがとう」
グレイスは笑顔で手を振り、菓子を一個頬張ると屋敷へと戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、ラウラはグレイスからもらった包みを開く。
薄い紙の中には、丸くてつやつやのキャラメルが入っていた。
ラウラはそれをポンっと口に放り込み、自分の部屋へと向かった。
部屋の中には薄い朝日が差し込んでいた。
ラウラはカーテンを開け、やわらかい日差しを部屋に取り込む。
明るくなった室内に、静かな朝を感じる。
机の上の予定表を手に取り、この一週間の予定を確認していく。
そういえば、オリヴァーさんが新しい土に種をいくつか植えると話してたっけ。
新種を植えて、一週間でフィデリオ様を驚かせるつもりだって。
他の薬師さんたちも、それぞれ新しい準備に取り掛かると書いてある。
やだ、私何も考えてなかった……。
グレイスの言う通り、一週間なんてあっという間。
フィデリオ様の帰りを待つ間、私にも何かできることがあるはず!
ラウラが予定表をもう一度確認すると、用紙の隅に何か書かれているのを見つけた。
『種蒔き水やり、聖女ちゃんに頼む‼』
可愛いイラストが添えられたメモだった。
この文字はオリヴァーさんだ。
ラウラの頬が自然と緩み、自分を頼りにしてくれることに嬉しくなる。
ここで働く人達は優しい。
私ももっとしっかりしなきゃ。
予定表を机の上に置き、暖炉の上に置かれた時計を確認する。
もうすぐ朝食の時間が近づいていた。
急いで鏡の前に行き、服装を整えて髪のリボンを結び直す。
右耳のイヤリングが小さく揺れる。
ラウラは、何もつけていない左耳にそっと触れた。
ずっと胸の中に溜まっていたもやもやした気持ちは、キャラメルの甘さと一緒に消えていた。
そして――
本当に、あっという間に六日間が過ぎていった。
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