第二幕:晦渋プラネーテス②

 舞台以外の照明は落とされ、鈍重どんじゅうそうにたなびく幕が上がった。トップバッターの『大城大河』が豪快なを皮切りにネタをスタートさせると観客からは拍手や歓声、黄色い声援が飛び交っていた。

 「うわ、まじか~。このネタ強いな~」

 舞台袖から見ていた池尻が言うと、それに呼応するように広瀬が口を開いた。

 「そうね。まあ彼ららしいネタなんじゃない?」

 「いや~、これは厳しいかな~。今回一位だったらアオイくんと付き合えるのに~」

 「は⁉ えっ、ちょっと待ちなさい? なんでそんな面白そうな…じゃなくて、勝手なことしてるの?」

 「アオイくん来てたし~、あれから顔出してくれなくて寂しかったんだも~ん」

 「そうじゃなくて、え? あんたマジでアオイくんのこと好きなの…? ここまでして付き合いたいの?」

 「そうだよ~。だからカッコいいとこ見せたかったのにさー、あの二人めちゃくちゃいいネタしてんじゃ~ん。も~~~」

 愛らしいというには幾分か気の抜けた地団駄が、熱気を帯び始めた会場の揺らぎにかき消されていく。

 「なんでそこまで執着してるのよ。あんたいつも三日かそこらで飽きちゃうじゃない」

 「私らのネタ見てる時にあんな目されたらムカつくじゃん? そりゃやる気もモリモリ湧いてくるってもんだよ~」

 「それはそうだけど、あんたってそんなにやる気ある感じだったっけ?」

 「やる時はやる女だよ~、私は」

 「なにがあんたをそこまで突き動かしてるのよ」

 呆れ果てた溜め息が観客の笑い声に押しつぶされ、圧された矮小な空気は沸き立つ熱気に巻き込まれて自然消滅を催促されている。彼女からすれば、それそのものが問題というわけではない。むしろ好都合とさえ取れる条件に、いつかのリベンジマッチが果たせるとあっては、高揚と負けん気が熱暴走するのは致し方ないことなのだ。

 「そりゃ好きな男には笑ってほしいじゃん?」

 「それと好きとは話が違うんじゃない?」

 「ちっちっち~。一目惚れに理屈は要らないし、『つまらない』って言われたら殴り返さなきゃいけないんだよ、ボーイ?」

 「好きとか嫌いとかはわからないけど、そうね。たしかにムカつくよね」

 「でっしょ~? だから、ボコボコにしてやらないとね」

やる気がないように見えるいつも通りの垂れた目が、研ぎ澄まされた光を宿して舞台の上を突き刺す。

 「それじゃ、いこっか。今日も頼んだよ~」

 「ええ、こちらこそ」

 大城大河が額に汗を浮かべながら小走りで舞台袖へと掃けてくると同時に、『ゆっけいじり』の出囃子が体育館全体に軽快なリズムと腑抜けた機械音で揺蕩たゆたっている。

 僅かばかりの乙女心と莫大な屈辱くつじょくたずさえた微笑ほほえみが照明に照らされる。

 笑顔の裏側を隠し通した彼女らの漫才は、彼らが生んだ笑いをみ込むように、体育館全体を支配したのだった。


 「待て待て待て待て…これ勝てるのか…? 池尻先輩たちスゴイ面白いんだけど、どうしよう。なあ、どうすれば良いと思う?」

 「なに弱気になっとんねん。自信持ちや」

 前回と同じネタだというのに、一週間前よりもネタの精度が上がり、掛け合いにも磨きが掛かっている。それに、薄暗い袖から見ているからだろうか、スポットライトの当たった金髪が綺羅星のように光り煌いてひどく眩しく思えてしまった。理性が尻込みするには十分すぎるほどに。

 それに比べて自分はどうだろうか。台本を覚えたのはつい五分前。ネタ合わせもネタ帳を持ちながら通しでイメージの共有をしただけだ。詳細な動きを詰める時間は到底なく、イメージ通りのネタは出来ないだろう。

 春川のネタは面白い。もしこのネタを彼女の頭の中での構想と同じように、声のトーンも動きも完璧に出来たのなら、先輩たちのネタにさえ勝てるのだろう。

 しかし、そんな最高のネタを自分が原因でレベルを下げるかもしれないという可能性が、狭くて烏滸おこがましい胸中を締め付けてやまないのだ。正確に言えばそれだけではないのだが、出ると決めてしまった以上は過去の記憶を引っ張り出さないに越したことはない。

 うだうだ考えている暇なんて―――。

 「あ……ネタ飛んだ」

 「それは本当になんとかしいや! どないしたんや!」

 「や、やばい。ネネネ、ネタ帳。ネタ帳見せて…」

 緊張のあまりに愚かしくも狼狽うろたえて、あまつさえネタをド忘れしてしまうなんて、この先が思いやられる。しかし不幸中の幸いと言うべきは本番中では無かったということだ。もし本番中にネタを飛ばしたのなら、より慌てて彼女のデビューを台無しにしてしまうことは目に見えていた。それだけはなんとしても避けたい。

 入学してからの短い付き合いでも話していたら分かる。いや、話していなかったとしても渡されたネタ帳の細かくも整理された書き込みが烈しく伝えてくる。彼女が長い間、いかにしてそれと真剣に向き合ってきたのかを。彼女は誰よりも『笑い』に対して、真摯しんしで前向きで、そしてなにより厳しい。

 そんなものを見てしまっては、ふるい立たないわけにはいかないのだ。いかないのだが、肝心のネタが頭に入ってこない。

 「アオイ。一回、ネタ全部忘れえ」

 「え、あ、え? いや、ダメだろ…だってこれは」

 「ええからええから~」

 忘れるなんてことはもったいなくてできない。というよりも、これは彼女が魂をつぎ込んで作り上げた、脈打つような生きたネタだ。そんなものを忘れるなんて失礼なことはできようはずもないのだ。いや、現にド忘れしてしまっているのだが、この現状にも自分への腹立たしさが止まらないというのに、彼女は「吸ってー吐いてー、パッとな」なんてこちらを和ませようとしてきている。

 「でもネタはどうするんだよ。持ち時間は十五分だし」

 「アドリブでいこか。ネタ覚えようとしてあかんねやったら、ネタなんか無い方がなんぼかマシやわ。ええな?」

 「でもそうすると春川の負担が…」

 アドリブの漫才をやるのであれば、第一にボケが面白くなければ意味がない。ある種では時間稼ぎとも受け取られてしまいそうな長尺のボケを、ボケだと思わせるだけの技量と度胸が要る。そして、それは生半可な覚悟では務まらないものだ。

 それがどれだけの負担を彼女にいるのか、分かってしまっていたからこそ無論止める訳で。自分が不甲斐ふがいないまでの焦燥を見せてしまったことへの罪悪感が増していく。

 いったいどうすれば、彼女の期待に応えられるのだろうか。いったいどうすれば、彼女のネタを邪魔しないで済むのだろうか。どうすれば。こんな中途半端な心持ちで勝てるような相手ではないことは彼女らのネタを見ていれば分かる。

 「任しときや」

 たった一言。自分の肩に手を置きながら言ってきた。

 それだけだというのに、たったそれだけがひどく眩しく見えてしまった。届かない星に手を伸ばしても、それはしえないのだとも。

 そう思ったら、少しだけ落ち着いてきた。

 「せや、コンビ名決めてへんかった。どないしよか」

 「そうだな…なるべく人物を連想させないようにしたいよな…」

 真剣にコンビ名を考えるべく、ありあわせの言葉を紡ぎながら思考を加速させる。両者ともに唸り声をあげる姿は、本人たちが気付かずとも、コンビというものに対しての前向きさを表しているようにも思えた。

 「いや、それもボケにするから本番でツッコんでや」

 「わ、わかったけど…そんな良いツッコミは期待しないでおいてくれ」

 「大丈夫やて。ウチも即興でええボケなんてできん!」

 「それは大丈夫って言わないんだけど⁉」

 「ほらな」

 「ほらなって言われても!」

 「お、もう出番やで。早う準備しいや」

 気付くと池尻と広瀬が肩で息をしながら、表舞台から退場してきていた。金髪を満足げに揺らしながら勝ち誇ったような顔が鼻についたので、軽く会釈をしておいたら今度は不満げな表情に変わってしまった。忙しい人だ。

 「ほな行くで」

 そんな感想を並べる暇もなくポップな出囃子でばやしが鳴り響く。なにはともあれやるしかないのだ。脳裏にこびりついたトラウマは一旦おおい隠して、現実逃避に回していた思考は全て彼女にぶつけよう。

 そう思うと明るい舞台に出ていく足取りも、ほんの少しだけ軽かった。

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