第6話 魔素酔い
モンスターが消えていくのを見守った俺は、全身の力が抜けるのを感じた。
へなへなとしゃがみ込み、目の前に落ちている黒い魔石を拾う。
指でつまんで、天井の明かりに当て、いろいろな角度からみている。
ラノベなら特殊な魔石が手に入る展開だが、どうみても昨日の魔石と違いはない。
魔石は底面が3センチ四方、高さ2.5センチの正4角推を2つ、底面同士をくっつけた八面体をしていた。
魔石1個の買取値段は500円。
ちなみにドロップ率はプレイヤーなら50%、ノンプレイヤーなら20%といわれている。
「死にかけて魔石1個か。コスパ悪すぎだろ」
俺はぼやいた。
聞いたことがない、駆け引きをしてきたモンスター。
さすがにこれは団長に報告が必要だ。
ダンジョンに入ったばかりだが、怪我もした。
回復ポーションも持っていないし、戻るしかない。
魔石を胸のポケットにしまって、立ち上がった。
ふらっと立ち眩みがして、壁に手を付く。
血を流し過ぎたか、と思ったが、腕の血は凝固し始めている。
緊張感から解放されたせいだろう。
来た道を戻る。
2歩3歩と進むと、目の奥に痛みを感じて、立ち止まる。
目を閉じて、指で目玉をぐりぐりと押す。
刺激を受けて、目の奥の痛みが治まった気がしたので、再び歩き出した。
半分くらい戻っただろうか、俺は目が見えないまま歩いている。
痛みで目が開けられない。
痛みで涙が止まらない。
目の奥の痛みだけじゃなく、ぐらんぐらんと脳が揺れてめまいを感じる。
鼻水とよだれを拭う余裕すらない。
鉄パイプを杖代わりに、左手で壁の位置を確認しながら歩く。
左手の感覚と脳内に描いた地図だけが頼りだ。
モンスターを警戒する余裕はない。
ただただ戻ることしか考えられない。
目と脳だけでなく、全身の筋肉、関節にも痛みが出ている。
座って休みたい、という欲求に抗えなくなってきているのを自覚する。
だめだ。
ここはダンジョンだ。
ここで休んだら、間違いなく眠ってしまう。
モンスターが徘徊するダンジョンで眠るなんて自殺行為だ。
動け、ひたすら動け。
「おい、どうした?」
どれくらい歩いたかわからないくらい思考が鈍くなっている。
ルートは間違っていないはずだが、階段までたどり着けずのろのろと歩いているとき、前方から声が聞こえた。
それが俺に問いかけているのかわからない。
その声が聞こえたとき、俺は意識を手放した。
*****
ピッ、ピッ、ピッと定期的なリズムの機械音が聞こえた。
上半身を裸にされて、胸に何かがつけられている感触がする。
ゆっくりと目を開けると、LEDの光が目に刺さった。
「ふむ、目を覚ますまで約30分か」
スマホを見ている白衣を着た妙齢の女性がいた。
肩まで伸ばした黒髪、スレンダーであまり筋肉がないのを見ると、自衛隊の医官だろうか。
「ここは?」
「医療用コンテナだよ、月浜君」
ダンジョンの周囲に配置されたコンテナの1つに俺は運ばれたようだ。
上半身を起こして、周りを見る。
起きるとき、力を入れた左腕が少し痛い。
ベッドの周りにはいくつもの機械が並んでいた。
波形が動いているのは心電図だろう。
それ以外は分からない。
「ダンジョンに入った隊員の怪我を多く見てきたけどね。上半身に怪我をした生きた人間を見たのは初めてだよ」
「それについて報告があるんだが、団長は?」
「君の怪我の状況を報告したら、すぐにこちらに向かうそうだ」
すぐといっても、この時間ならダン専の訓練を見ているはずだし、しばらく時間がかかるだろう。
「ん? 生きた人間といったか。死んだ人間なら見たことがあるような言い方だな」
「ダンジョンができて2か月くらいのころかな、自衛隊員に初めて死者が出ただろう」
それなら覚えている。
女子大生のセフレの家からの帰りの電車で速報が流れたニュースだ。
車内にいた高校生が大騒ぎをしていた。
初めて死者がでたことで大々的に報道され、落ち着き始めていた代々木ダンジョンの周辺に、大挙してマスコミが押し寄せた。
だが、政府も自衛隊も死因が出血死としか説明せず、当時はあまり興味がなかったこともあって、そのあとの顛末は知らない。
「亡くなった隊員は頸動脈を切られたことによる出血死。ここに運ばれたときには、もうすでに手遅れだった。これまでの怪我人は膝から下がほとんどだったから、傷を見たときは目を疑ったよ」
モンスターの体高は30センチ。
とても首まで届かない。
ジャンプする個体がいるなんて思わなかっただろう。
「だから最初は隊員による殺人事件の可能性があってね。マスコミには怪我の状態を説明できなかったんだ。その後、この時潜っていた隊員全員のアリバイが確認されたから、その線はなくなったけど、それでもどうやって殺されたのかわからずじまいだったのさ」
「俺が運ばれてきたことで、それが解決するわけか」
「何があったかは団長に話してくれればいい。それよりも私が気になるのは、なんで気を失ったかだね。出血はしていたけど、意識を失うほどじゃないだろう」
「たぶん魔素酔いだと思う」
目の奥が痛くなったときは思い至らなかったが、めまいや吐き気がしてきた時、ダンジョン講座で習った、魔素酔いのことを思い出した。
ダンジョンでモンスターを倒した後、筋肉痛、関節痛、頭痛、めまい、吐き気などの様々な症状が出ることがある。
共通点はモンスターを倒した後ということ以外の条件は不明。
魔素酔いは3階層、4階層あたりで発症することが多いといわれている。
発症した時は、速やかに帰還し、地上で安静にしていると症状は治まる。
日本だけでなく、世界中でプレイヤーになった人間が、このような症状を発症していることをWHOがダンジョンができてしばらくすると発表した。
世界的にはDungeonsick(ダンジョン酔い)と呼ばれている。
「ちなみに、体に変調は残っているかい?」
目の奥の痛みやめまい、吐き気は治まっている。
手足を動かしてみるが、筋肉関節ともに痛みはない。
「いや問題ない」
「今までに何人か魔素酔いの症例を診たけどね。回復するまで、速い人で3日、遅くて1週間くらいは動けなかったんだよ。ついでに言うと、気絶したのもいない」
「じゃあ、俺は魔素酔いじゃない?」
「そこがわからないところでね。というわけで」
そういうと彼女は注射器を取り出して言った。
「血をくれないかね。ぜひ成分分析してみたいんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます