17 解く(2)
翌火曜日の朝、玲於奈は本当に正斗のもとへやってきた。
何度も殴り合いの喧嘩をしている兄弟のいつになく穏やかな対面に、クラスがどよめくのを鬱陶しそうに横目で牽制して、「ん」と玲於奈がカーキ色のエコバッグに入ったリストを突き出す。
「……じゃあこれ、俺から探偵さんに渡すから」
「ん」
玲於奈は照れ隠しなのか、つっけんどんな態度で顎を引くように頷いた。
それから、いつものように正斗の席に集まって雑談していたところに玲於奈が襲来したもんだから、じっと気配を殺していた小堀と増岡をちらりと見て、
「……別に、もう喧嘩しねーよ」
とぼそりと言って、足早に教室を出て行った。
しばらくして徐々にクラスに元の喧噪が戻ってくる。
小堀と増岡もやっとぷはっと止めていた息を吐いて、おっかなびっくり正斗を振り返る。
「……っぇえええ!? どういうことアレ!?」
「仲直りしたのか!?」
「……ってより、色々あって玲於奈のやらかしがバレて、しかもあの探偵さんに借りを作っちまったんだよ。母親にも泣かれたし、もう今までみたいな無茶は出来なくなったんで、俺と争う必要もなくなったわけ」
正斗はエコバッグの中身――数冊のノートを持参したジッパーバッグに入れ替えて封をし、大切に鞄に仕舞った。
小堀と増岡は分かったような分からないような顔でふうむと唸り、
「大鶴さんきっかけなんだー。奥田と玲於奈ってもうずっと険悪だったのに、マジですげーなあの人。存在がカンフル剤?」
「まぁこれで奥田が玲於奈を追いかけずに済むようになったなら、良いことだ」
玲於奈とのことでは小堀にも増岡にもずいぶん心配をかけたし、気も遣わせてしまった。
それがよく分かっているので、正斗もふたりの温かい視線を拒まず受け止めた。
わざと軽い調子で首を傾げて、
「……そうなんのかな。で……あと、その、言いそびれてたけど俺……、」
照れくさいついでに言うこと言っとこうと思った正斗だったが、途中で思い直して言葉を切った。
玲於奈があんな思わせぶりなことを言うだけ言って去ったせいで、周りが正斗たちの会話に聞き耳を立てているのが分かったからだ。
……まさか自分が、こっそり付き合ってる連中がよくやる手段を取る羽目になるなんて。
むっすりと眉間に皺を寄せ、正斗はスマホを取り出して小堀たちとのグループチャットに文章を打ち込む。
『こないだあの探偵さんの助手になることになったし大学で勉強することになったし付き合うことになったから一応報せとく』
自分たちのスマホを見て正斗の送った文章を読むなり、小堀と増岡がこぼれ落ちんばかりに目をかっぴらいてほぼ同時にこっちを見た。
かと思うと、またスマホに視線を戻してそれぞれ素早く指を動かす。
『OK』
『OK』
(OKなのかよ)
呑み込みが早すぎるだろ。少しは困惑しろ。
とは思うが、たぶんふたりはこうなる可能性を予想して過剰に反応しないように構えていてくれたんだろう。
『補足、探偵さんに学費出してもらうのは断ったのでちゃんと自費』
これだけは付け足しておこうとまた文章を送る。
小堀と増岡はにやっと笑ってスマホをポケットにしまった。
「よっし! んじゃ奥田も俺らと同じ大学行こうな!」
「うん。……でも一番成績ヤバイのおまえだぞ小堀」
「そういうことなら、『探偵さん』呼びはもうやめたほうがいいんじゃないか?」
「……まぁ、考えてるけど。もういいだろ? この話これで終わりな」
もうそろそろ違う話題にいってほしい。
返事はちゃんとしてすぱっと切ると、友人たちは何事もなかったように今日の提出物の話に切り替えてくれた。
水曜日、玲於奈と宮園を嵌めた犯人が報道された。
蓋を開けてみれば、宮園の自宅の近隣住民三名の共犯だったようだ。巻き込まれたのが高校生ということもあって、その悪質性から全国区のニュースにまでなってしまった。もちろん、事件を解決したのが大鶴だという情報も添えて。
大鶴の推理通り、あれは度重なる宮園の迷惑行為に耐えかねた末の犯行だった。主犯である三十代の会社員が宮園の愚痴を書き込もうと例のローカルネット掲示板にアクセスしたところ、玲於奈の立てたスレッドを見つけ、フェイク動画の人物が宮園に見えなくもないことに気づいた。
これを利用すれば、宮園を未解決の殺人事件の容疑者に仕立てられるかもしれない。
事件の概要を検索し、被害者の奥田乃愛がナイフで刺されて死んでいたことを知って、ますます宮園はぴったりじゃないかと思った。
玲於奈とスレッド内で数回やりとりをすれば、彼が宮園がこの動画の犯人かどうか直接確認しに来るつもりなのはすぐ分かった。でなければ宮園の在宅曜日や時間なんか訊いてこない。
その後は長年宮園に苦しめられていた仲間の住民ふたりと協力して張り込みし、のこのこやってきた玲於奈を拘束することに成功した。
宮園はいつも大音量で音楽を流し、その状態で昼間から酒を呑んで爆睡する。
家はあの有様で、防犯意識なんかかけらもない。
こっそり侵入して適当に放り出されていた宮園のスマホをかすめ取るくらい、簡単だった。
玲於奈のスマホから母親の番号を盗み、宮園のスマホから電話をかけ、誘拐をほのめかした。警察の早期介入は念のため脅して防ぎ、ボイスチェンジャーも使ったが、非通知設定もせずに電話したのはとりもなおさず、最終的には事を露見させて宮園を犯人に仕立て上げるための証拠作りだ。
そして宮園の家の物置に監禁した玲於奈が狙ったタイミングで起きるようにまた交代で見張りをし、アラーム代わりの紛失防止タグを仕込んで、宮園が犯人だと思い込むように念入りに誘導した。
決死で脱出しようとする玲於奈ともみあいになった宮園が、本当に彼を殺してしまっても構わなかった。そのほうが確実に刑務所送りにできる。
あとは用済みになった宮園のスマホを開けっぱなしの窓から家の中へ投げ入れ、玲於奈が自分で通報できるよう彼のスマホを物置の近くに置いた。
探偵・大鶴京紫郎と関わりのある人物が玲於奈の身内になんかいなければ、宮園を重罪人に仕立て上げるこの計画は、まんまと成功していたはずだったのだ。
◆
(一週間なんてあっという間だな)
そして、金曜日。
高校から帰った正斗が連絡を入れると、三十分後には大鶴がやってきた。
三年前までは乃愛の愛車が停まっていたガレージに正斗の誘導で車を入れてから、玄関でご丁寧に「お邪魔します」と言って靴を脱ぐ。
思えば、車も家の敷地に停めさせて、彼をこうやってきちんと招き入れるのは初めてだ。
「えーと……そうだ、お茶持ってきます」
「いえいえ、お構いなく」
と、大鶴は言ってくれたが、あまりにも何もしないのは正斗のほうが落ち着かない。
台所でふたつのコップに冷えた麦茶を注ぎ、お盆に載せて持っていくと、子ども部屋の前で大鶴が律儀に待っていた。
正斗が来るまで入らないほうがいいだろうと思ったらしい。そこまで気を遣わなくてもいいのに。
大鶴が両手がふさがっている正斗の代わりにドアを開けてくれたので、部屋の中へ入る。
前回大鶴を招いたときから大きな変化はない。
ただ、散乱しているおもちゃを隅に追いやり、いつもは皺が寄っても放置している寝具をきれいに畳んで、ネット通販で急遽注文した低反発ラグマットと折りたたみ式のローテーブルを部屋の真ん中に置いただけだ。最低限、お茶のコップも置けない、ベッド以外には座れる場所もないではまずいだろうと思ったので。
大鶴はそれを見て柔らかく笑う。
「奥田くんは本当に根が真面目ですねえ。僕が来るからといってわざわざ家具を買わなくてもよかったんですよ」
「いくら何でも前が酷すぎましたし」
張り切っていると思われても何だか据わりが悪いから、そっけなく答えておく。
自然と沈黙が落ちる。
先に口を開いたのは大鶴だった。
「本橋くんから預かったリストはどちらに?」
正斗は素直に鞄からジッパーバッグに入ったリストを取り出し、大鶴に渡す。
大鶴はうむと頷き、
「……確かに。これで本橋くんも呪いのアイテムから解放されましたね。では、奥田くん」
その中身を見るどころか、この部屋にある膨大な資料に手をつけることもなく、泰然としてこう言った。
「推理を始めましょう。必要な資料は揃えてきました」
大鶴は持ってきたA4の書類バッグからタブレット端末を取り出す。
正斗はぱちりと目を瞬いた。
「……え? リストは?」
「答え合わせには使えるでしょうが、別になくても犯人を推理することはできますよ。本橋くんにああ言ったのは、お父様の有害な遺品を彼から取り上げるための方便に過ぎません。
怪しい商売に騙される人は案外二度、三度と騙されてしまうものですからね。詐欺被害者の名簿というのは、悪い人にとっては振ればお金の出る打ち出の小槌なんですよ」
そんなものを、ああいうやや詰めの甘い性格の本橋くんの手元に置いておくのは、よろしくないですから。
涼しい顔でそう言われてしまうと、玲於奈をよく知る正斗には否定できない。
最初から大鶴は玲於奈にこのリストを返却する気はなかったのだ。
「本橋くんが今後お父様とは違う生き方を選ぶのであれば、このリストを使うこともありません。無用の長物です」
「……犯罪には使わなくても、父親を殺した犯人が見つからない限り、あいつはいずれまた『返せ』って迫ってきますよ」
おとなしいのは危ない目に遭って大鶴にやり込められた今のうちだけだと正斗は確信している。喉元過ぎれば熱さを忘れ、今すぐではなくてもまたいつか復讐心に燃え始めるに決まってる。
「探偵さんは、どうして犯人が分かったんです?」
雨が降ったせいもあって、父親の遺体が見つかった現場からは指紋もDNAも足跡も出なかった。周辺の防犯カメラはそもそも数が少なすぎて、こちらも空振り。遺体が詰め込まれ運ばれたスーツケースだっていくらでも市場に出回っている市販品だ。そんな状況で、どこに推理のとっかかりがあるというんだろう。
大鶴は正斗を手招いて、ラグマットへ座らせた。
自分もその隣に座り、ちゃちな造りの折りたたみテーブルにタブレットを置いて、とある画像を表示してみせた。
「これは現場に遺棄されていたスーツケースの画像です」
当たり前のように警察の捜査資料である。
さすが探偵さんといったところか。
「犯人が奥田乃愛の遺体をこれに詰めて運んだんですよね」
「いえ、そこがまず間違っているんです」
大鶴はスーツケースの内装に付着した血痕を人差し指で指し、意外なことを言った。正斗は少し彼の様子をうかがったが、本人が宣言していた通り、これくらいの血なら大丈夫なようだ。
「血痕の付き方がまるで後からなすりつけたみたいに不自然ですよね。遺体は頭を抱え込むようにした体育座りというか、側臥の屈葬に近い姿勢でしたから、その形でスーツケースに詰め込んだなら遺体の背に当たる部分の内装にこんな風に血がしみこみはしません」
「……、確かに。てことは、スーツケースの血痕は後から犯人がつけたものですか?」
どうしてそんなことをする必要があったのか。
本当に遺体をスーツケースで運んだなら、そんな偽装工作はいらないはず。
「犯人は、スーツケースに遺体を詰めたと見せかけたかった? ……何でそんなこと」
大鶴がその調子だと笑みを浮かべる。
「スーツケースに詰めたから、この姿勢で死後硬直したのだと思わせるためですよ。この姿勢こそが、『殺しても死にそうになかった』お父様らしい、死後にも残る告発のメッセージだったんです」
あの姿勢こそが父のダイイングメッセージであり、犯人を示す何よりもの情報なのだと大鶴は言う。
でも、あの姿勢を取ることで表現できるものっていったい――いや。
それ以前に、ダイイングメッセージというものは犯人に隠滅あるいは改ざんされやすく、推理の根拠にするのであれば、なぜ犯人はダイイングメッセージを残しておいてやったのか・その存在に気づかなかったのかといった疑問をまず解消しなくてはいけないと、当の大鶴に習ったはずだ。
だから正斗は難色を示し、
「……死後硬直は六から八時間もあれば全身に広がるんでしたっけ? そんなに長い猶予があったのに、犯人はどうして父のダイイングメッセージを隠滅、つまり、父の身体を動かして別の姿勢を取らせなかったんです? あの姿勢に自分を指し示す情報が含まれていることにそもそも気づいてなくて、運びやすいからちょうどいいやと逆に利用したとか……、あ、いや」
話している途中で自分の思考の誤りに気づき、かぶりを振る。
「いや……犯人はダイイングメッセージの意味に気づいてたんですね。そうじゃなければ、実際には使われなかったスーツケースが現場にあった理由に説明がつかないし。じゃあ何で、死後硬直が進む六時間ほどの猶予の間に姿勢を変えてしまわなかったんでしょう」
「変えたくても変えられなかったんですよ」
大鶴は正斗の指摘に柔らかく応じる。
「弁慶の立ち往生は知ってますよね? あれが分かりやすい例えなんですが、強度の運動で消耗したり極度の緊張・興奮状態のさなかで死亡した場合、即時に身体が固まってしまうことがあるそうです。即時性死体硬直というヤツですね。他にも、突然雷に打たれて亡くなった人がそのときの体勢のまま硬直したり、溺死した人が捕まろうとした草木を握りしめたまま硬直したりといったことは間々起こりますね」
死亡直後に身体が固まるなんて話を初めて聞いた正斗は、ぽかんと口を開けた。
大鶴はスーツケースの写真が映されたタブレットの画面をとんとんと人差し指で軽く叩く。
「奥田乃愛氏も、その即時性の硬直を起こしたのだと思います。だから犯人は、最期に彼が取った姿勢の意味に気づいていながら、身体を動かしてダイイングメッセージを隠滅することができなかった。仕方なく、スーツケースで運搬したせいでこの形で死後硬直したのだと見せかけるしかなかったんです」
「……父さんは、狙ってそれを起こしたってことですか?」
「聞いたところによる奥田乃愛氏の性格と知識量、腹部を刺されたのに苦痛が増すはずのあの姿勢をあえて取った点からしても、その可能性が高いと思います」
(……っんとに、あいつは……っ)
場違いな呆れ笑いがこぼれそうになって、正斗は額を押さえた。
考えてみれば当たり前だ。大鶴の言う通り、殺されたって死にそうにない要領の良いあの男が、タダで死んでやるはずがなかったのだ。
はあ、と一度深呼吸して気持ちを落ち着け、正斗は改めて大鶴を仰ぎ見る。
「じゃあ父さんは、あれで誰を示したかったんですか。頭を守るようにした全力体育座りだって見方をすれば、怖がりな人とか、運動をよくする仕事の人とか? でもそれじゃ範囲が広すぎますよね。イニシャルを示してるんだとしたら……横から見たC、は無理があるし……数字の〇でもないですよね……」
「そうですね、命を賭けたダイイングメッセージなんですから、もっとピンポイントなものです。僕もそこで思い悩んでいたんですが、その答えを、この本棚を見たときに理解しました」
「……本棚?」
大鶴は立ち上がり、本棚の前に立って絵本が並んだコーナーを指さした。
「大切な仕事の資料と一緒に仕舞ってあるこの絵本が、どうしても目を惹きました。きみの話を踏まえれば、奥田乃愛氏にとってきみに絵本を読み聞かせる時間が特別な意味を持っていたと分かります」
「……」
正斗は肯定も否定もせずにただ耳を傾ける。いくら理にかなっていたとしても、あの男にも普通の父親みたいな情動がほんのわずか存在していて、それが自分に向けられていた可能性なんて、考えたくなかった。
大鶴はそんな正斗の内心を見透かすように微笑み、
「むろん、そんなものは独りよがりなお遊びで、きみの気持ちは全く尊重されていません。奥田くんがお返事をしてあげる義理はどこにもない。……奥田乃愛氏は、浦島太郎がお気に入りだったんですよね?」
「え、ええ」
自分のもとを去って行った恨めしい浦島太郎を見事に嵌めた乙姫に感銘を受けたとかで、おまえも見習えよと正斗にもよく言っていた。うちにある絵本で一番多いのは浦島太郎だ。
「自己愛の強かった奥田乃愛氏は、きみときみに施した『英才教育』に絶対の自信を持っていたはずです。自分の死体が見つかったとき、このダイイングメッセージを読み解くのはきみ以外にいないと思っていたでしょう。ですから」
大鶴が本棚から浦島太郎の絵本を引き出し、こちらへ差し出す。いかにも父が気に入りそうな凝った装丁が、経年劣化でスレている。
「あの姿勢が示すものはたったひとつに絞り込めます。奥田くん、もう分かりますね?」
正斗は絵本を受け取り、指をかけるところにちらほらインク剥げのあるページをゆっくりとめくった。殺しても死にそうになかったクソ親父があっさり刺されて死んだって時点でこっちはもういっぱいいっぱいなのに、絵本の読み聞かせの思い出なんか思いつくかよ。
最後の最後でこんなバカバカしいポーズを維持するのに命を賭けやがって。
……本当に、呆れた父親だ。
「亀。……ですね」
「ご名答です。浦島太郎の開幕からいじめられ、四肢と頭を縮めて丸まっていた亀のポーズだったんですよ、あれは」
正斗の答えに大鶴は満足げに頷き、ローテーブルからタブレットを取り上げて画面をスワイプする。
「……この期に及んできみに必要以上の配慮はしませんが、次の画像はちょっと心の準備をして見てくださいね」
すると画面に思いっきりグロ画像が表示され、正斗は苦虫をかみつぶしたような顔をした。父の遺体の腹部にあった刺し傷の画像だ。玲於奈ならともかく正斗は見ても何とも思わないが……。
大鶴はさりげなく指で両方の目頭をつまむように揉みながら、
「で、ですね。それを踏まえると、犯人はおそらく名前に『亀』がつき、奥田乃愛氏が絵本好きで、特に浦島太郎の絵本を集めていたことを知っている人物だということになります。このポーズ自体がダイイングメッセージだと理解できたんですからね」
「そーですね。はいっ、貸してくださいそのタブレット」
我慢できる程度だとしても、不快感があるなら言えばいいのに。
玲於奈に嫉妬するわ意固地にかっこつけようとするわ、この探偵さんは優秀なくせに変なところでガキっぽい。
その手からタブレットを奪い取り、画面をよく観察する。
「その傷、何かおかしいと思いませんか?」
「……」
正斗はしばらく考え込んで、はっと目を瞠った。
「これだけ深く刺されてるのに、ナイフの鍔が押し当てられた痣がない!」
大鶴の目が我が意を得たりときらりと光った。
「はい。遺体の刺し傷には、フィンガーガードや鍔などがぶつかってスタンプになったような跡が見つからなかったんです。凶器のナイフが鍔がないタイプだったなら、刃を押し込むときに手指を傷つけたかもしれません。現場からは犯人の血痕などの付着した物品は見つかりませんでしたが、犯人の特徴に『当時、手を怪我していた人物』という項目を加えることは可能です」
「……!」
(本当にリストを使わずに犯人を絞り込んじまった)
玲於奈誘拐の件ですでに分かりきっていたことではあるが、やはり大鶴は明晰な頭脳の持ち主で、探偵なのだ。
(……やっぱ、すごい人なんだな)
新鮮な感動を抱いて、正斗はほうと息をついた。
犯人の情報はじゅうぶん絞り込めただろう。
いつまでもこのグロ画像を表示している必要もないので、無難な画像に変えようと適当にスワイプすると、次に保存されていたどこかのホームページのスクリーンショットが出てきて首をひねる。
どうやら市のホームページに掲載された記事のようだ。
市報と連動した企画で、市内の図書館の魅力について特集している。館内の雰囲気が読者に伝わるようにか、記事に添えられた写真。その端っこに、ライブラリエプロンを着けた男性職員がカウンターで貸し出し作業をしている姿が写り込んでいる。
本を受け取っている彼の手に、白い包帯が巻かれていた。
それを見て、あぁ、と正斗は得心がいった。
大鶴はもう答えを導き終えていたのだ。
「なるほど。この人が犯人ですか?」
そっとタブレットを差し出すと、大鶴がにこりと笑みで肯定を示す。
「この特集記事は、お父様が亡くなった三年前の四月に出たものです。買う絵本を選ぶときときお父様は、先に『図書館で実物を色々比べてた』んでしたよね? なので当時の図書館の様子を調べていたら、この記事を見つけたんです」
犯人は奥田乃愛が絵本好きで、特に浦島太郎の絵本を集めていたことを知っていた。
しかも凶器に鍔のないナイフを使ったため、当時手を怪我していた可能性が高い。
この図書館職員は両方を満たしている。
(こんな平凡そうで、陽の当たる場所でちゃんと働いてる人が……父さんを殺せたのか)
大鶴の出した答えを疑っているわけではないが、まだ少し信じられない。
あの父を殺して逃げ果せた犯人を、正斗はずっと恐れてきたのだ。もっととんでもない人物だろうと信じてきたし、だからこそ玲於奈もその人物に掛かれば赤子の手をひねるように返り討ちに遭うだろうと思っていた。
でも、現実はぜんぜん違った。
想像の中で長年勝手に膨らませていた怪物のしょっぱい正体を見せられたようなもので、戸惑いを隠せない。
(こんな普通の人が、殺人犯……)
勝ち目のない圧倒的な怪物も、自分を支配する絶対的な父親も、もはやどこにも存在しなかった。すべては正斗の克服しきれない恐怖心が生んだ幻想だったのだ。
大鶴はそんな正斗を穏やかな目で見つめながらタブレットを受け取り、
「もう警察にも動いてもらっています。この写真に写っている図書館職員の名前は、
「……そうですか? ちょっと楽天的じゃないです?」
指紋やDNA、足跡といった物的証拠がないのは動かしがたい事実だ。とっくにどこかに捨ててある可能性を思うと凶器が押収できるとも限らない。
となると自白かそれに準じる発言を得られるかが重要になるだろうが、三年も罪を隠してきた自負のある人間がそう容易くボロを出すだろうか?
懐疑的な正斗に、大鶴は鷹揚に笑う。
「いえいえ、勝算はありますよ。前に教えたでしょう、逃亡中の犯人ほど捜査の進捗を気にしているものだって。逃げている限り、彼らは地元で共有されている自分に関する情報に敏感にならざるを得ない。しかし、本橋くんが投稿した動画が実はフェイクだという情報は、どこにも報じられていません」
「……あっ」
そうか。
犯人が今も自分の情報が出回ることを警戒し続けているとしたら、玲於奈が動画を投稿したあのローカル掲示板も当然見張っていたはずだ。
もちろん、服装や輪郭などの違いから本人は動画の人物が自分ではないと分かるだろうが、誤情報であってもあの事件にふたたび注目が集まること自体に焦るはず。
もう少し深読みすれば、警察が犯人を炙り出そうとして仕掛けた罠だと勘ぐるかもしれない。警察は三年経ってもあの事件の捜査を継続していて、実はもうすぐそこまで包囲網が迫っているのではと危機感を覚えるだろう。
いずれにせよ、玲於奈のフェイク動画ですでに犯人は精神的に揺さぶられているわけだ。
「向こうが十全でないのなら、こちらだってプロですからね、ボロを出させる方法はいくらでもありますよ。――そのうちに報道にも出るでしょう。奥田乃愛氏を殺害した犯人は、亀井陽次だと」
いっそ優雅とも言える所作で腕を組み、大鶴はそう締めくくった。
それからふっと小さく吹き出して、
「いやあ、柄にもなく緊張しました! かっこよくきみの呪いを解く王子様の役目は、誰にも渡したくありませんでしたから」
張り詰めていた空気が一気に緩んだのを感じ、正斗も肩の力をようやく抜いて苦笑した。まったく、この人は。
「意味分かんないですけど、とりあえず王子様より名探偵のがかっこいいですよ?」
大鶴は目を瞬き、それから嬉しそうに笑った。
「それは光栄ですねえ。きみも着々と助手力をつけていますよ。僕の推理にちゃんとついてきてくれてました」
「助手力? って何ですか。ていうか、助手ってそれが出来てやっとスタート地点ですよね?」
褒められてもあんまり嬉しくないですと鼻を鳴らすと、大鶴が驚いたように柳眉を下げる。
「そ、そこまでストイックに考えなくていいんですよ、それで僕のこと嫌いになられたら困ります。きみが息苦しくならない程度にやる気は調整してください、お願いします」
「難しいこと言いますね……」
「……。……ま、まぁ、ともかく」
推理を披露している最中のどこか怜悧な雰囲気はどこへやら、絶対に嫌われたくないです、と露骨に書いてある顔で、大鶴は慌てて話題を変えた。
ばっと広げた手で部屋全体を指し、
「本橋くんは更生させられましたし、真犯人も判明したんですから、もうきみを縛るものはありません! なのでまず、この部屋を何とかしましょう! 趣味は人それぞれですが、自分の好みというわけでもないのにこんな尖った品揃えの部屋で寝起きするのは良くないです。というか、いつまでもきみがお父様や本橋くんに絡め取られているようで僕が不愉快です!」
「本音出てますよ!」
「市の指定のゴミ袋は各種持ってきました! この部屋をすっきり新生させるためなら、僕のことは顎で使ってもらって構いません。僕自身この先何度となくお邪魔させてもらう予定の部屋ですし」
と、本当に鞄から大量のゴミ袋を出してくる。用意が良い。他人の家であろうと問答無用で断捨離する気満々だ。
まぁでも、そうだな。もうこの部屋には、自分以外に誰も帰ってこない。
深呼吸すると、感覚的な話だが、なんだか前とは部屋の空気が別物になっているような気がした。
大鶴が呪いと表現したのもあながち間違っていなかったのかもしれない。
奥田乃愛がもうこの世にはいないことを、今やっと受け入れられた。
「いいんですか。まさかの断捨離で朝帰りする羽目になりますよ、探偵さん?」
「…………、……そういうジョークすらさまざまな未来を期待させられて嬉しいですが、いま意志が揺らぐようなことは言わないでいただけると助かります……」
「はいはい」
本気で苦渋の滲んだ声で訴える大鶴に笑って、正斗は大鶴の手から燃えるゴミ袋を受け取った。
亀井が刑事の訪問を知って自宅から逃亡しようとしたところを取り押さえられ、逮捕されたのは、およそ二時間後のことだった。
探偵は助手が足りてない! 花村すたじお @SutaHana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます